9 死神

「あら。のよしみで見逃してはくれないの?」


 俊太郎の鉄串で針鼠のようになっている亜紀は、おどけたようにそう答えて、ゆっくりと身を起こした。


「まったく、いくら死体だからって、こんなにも遠慮なく刺してくことないじゃない。あたしじゃなかったら、死んでるわよ」


 亜紀は全身に鉄串を生やしたまま、憤然として立ち上がった。うつぶせていたので、顔や体の正面はきれいなままだ。それだけに、よりいっそう針鼠のように見える。


「そうだな。普通だったら、とっくに死んでる」


 冷然と友部は同意した。


「だから、妖魔ハンターにおまえは殺せない」

「ああ、やっぱりね」


 艶然と亜紀は微笑んだ。


「協会からこの仕事を紹介されて、市役所であんたを見たとき確信したわ。あんたは妖魔ハンターとしてじゃなく、妖魔使いとしてあたしを狩りにきたんだって」

「わかっていたなら、どうして逃げずに依頼を受けた? ――いや、そもそも、どうして小島由佳を殺して食った。警察におまえのDNAデータはなくても、協会にはある。おまえが邪眼で人間も妖魔も操れることも知っている」

「逃げるわけないじゃない。あたしの目的は協会に妖魔使いを派遣させて、この世から〝妖魔ハンター・山本亜紀〟を消し去ることだったんだから」


 亜紀はまた笑ったが、友部はまったく表情を変えなかった。


「別に、誰でもよかったわ。適当に窓ガラスを叩いたら、たまたまあの娘がカーテンを開けただけ。家の中にいるからって安心してたのかしら。親の対妖魔教育がなってないわね」

「協会の監視もなってなかったな。いくら〝妖魔ハンター〟として有能でも、半分は妖魔だ」

「あたしはあんたと違って〝普通〟だから。……妖魔の父親は協会に狩られて、人間の母親は協会にあたしを売った。協会にとっては、あたしはごくごくありふれたケースなのよ。それでも、あんたの他に妖魔ハンターを二人も寄こしてきたってことは、それなりに評価はされてたのかしら?」

「結局、それがあだになったがな。おまえの他に俺一人だけ雇わせれば、犠牲者は人間一人で済んだ。俺にはどうでもいいことだが、人間として生きることに疲れたんなら、最初からおまえ一人で滅べ。他の奴らを道連れにするな」


 亜紀は顔をしかめて友部を睨んだ。友部は自分の左の薬指にはまっている金の指輪を、手なぐさみのようにいじっている。


「友部。何であんたはそっち側にいるの?」

「こっち側には、俺の守りたいものがある」


 淡々と友部は答えた。


「俺は、そのためだけにこっち側にいる」

「じゃあ、それをなくしたら、あんたもこっち側に来ることになるのね?」


 亜紀は酷薄に笑い、自分の腕に刺さっている鉄串を肉ごと引き抜いた。


「あたしにこれを刺していったあの坊や? あんた、あの子の前では人間の顔してたわ。あの子をここから離れさせたのも、自分の正体を知られたくなかったからでしょ?」


 言い様、亜紀は鉄串を友部に投げつけた。

 俊太郎よりもはるかに速い速度で投げつけられたそれは、友部自身は何もしていないのにもかかわらず、彼の一メートルほど手前で弾き飛ばされた。

 友部は亜紀にも鉄串にも見向きもせずに、左の薬指から指輪を抜きとった。


「来たれ」


 その一言に応じるように、指輪が白く輝きはじめた。正確には、指輪の中の狭い空間が。


「〝リンダ〟――今、ここにあれ」


 そう言って、夜空に向かって指輪を放り投げた、その瞬間。

 指輪は照明弾のような閃光を放ち、指輪の中の丸い空間の中から、白く光り輝く巨大な鳥のようなものが抜け出てきた。


「御前に」


 涼やかな女の声で鳥は答えた。

 その鳥に友部は短く命じる。


「そのを殺せ」


 亜紀は大きく目を見張り――笑った。

 夜空を仰ぎながら、狂ったように笑いつづけた。


「……そう。あんたがそう言うんなら、あたしはなのね」


 友部は何も答えず、右手を空中に掲げた。その手に呼ばれたように指輪が落ちてきて、彼はそれを元のように左手の薬指にはめた。


「そういやあんた、ホテルのフロントに伝言残していったわね。『どんな夢を見た?』って。伝言聞いてから思い出そうとしてみたけど、全然思い出せなかった」


 亜紀の細い体が膨れ上がり、服が破れた。いまだ鉄串を生やしたまま、亜紀は人間の女から、青白く光る巨大な蛇へと変貌した。


「あたしが最後に見た夢は、その程度の夢。他愛もない、記憶にも残らない夢。あたしの存在と同じ。……バイバイ、友部。お先に失礼するわ。あんたがこっち側に来るのを楽しみに待ってる」


 蛇は亜紀の声で明るく別れを告げると、空中で羽ばたいている鳥に鎌首をもたげた。

 しかし、友部はそちらではなく、少し欠けた月に目を向けた。

 それから、己の下僕と元同業者の戦いに決着がつくまで、ずっとその月だけを眺めていた。


   *


 俊太郎が友部の着替えを持って戻ってきたとき、そこにはすでに「妖魔課」が到着していて、死体の回収作業も終了していた。黄色い規制テープを前にどうしたものかと困惑していると、遠くから友部の声が聞こえた。


「俊太ー、お疲れー」


 相変わらず妖魔の黒い血に塗れている友部は、上機嫌で俊太郎に駆け寄ってきた。


「かまわないから、そのまま中に入ってこいよ。おまえも当事者の一人なんだから」

「うん……」


 当事者と言えるほど、今回の自分は仕事をしていないような気がするが、俊太郎は友部に言われるまま、テープをくぐって中に入った。


「あの妖魔が〝犯人〟だったのか?」

「ただいま鑑定中。でも、十中八九そうだろな。約束どおり、報酬は全部おまえにやるよ」


 俊太郎は驚いて、友部を見返した。


「俺はいらないよ。実際、あれをしとめたのはおまえだろうが」

「あれの手助けできないように、亜紀のを止めてくれたのはおまえだろ。いいから、もらえる金は素直にもらっとけ。どうしても納得いかないなら、誰かにやるなり寄付するなりすればいい。それより、俺の服……」

「あ、ああ、適当に見つくろってきたけど……」


 手に提げていた紙袋の中身を広げて見せると、友部は満足げに笑った。


「おー、サンキュー。そのまま持っててくれ」


 友部はまず、パーカーとTシャツを無造作に脱ぎ捨て、上半身裸の状態になってから――その間、俊太郎は目をそらせていた――紙袋の中からTシャツを取り出し、すばやく着た。


「友部……その汚れた服はどうするんだよ?」

「廃棄するよ。めんどくさいから、『妖魔課』に預けて捨ててもらう。それがいちばん安全だ」

「確かにな」


 妖魔の血つきの服などパウダーと同じだ。めったやたらに捨てられるものではない。


「友部さーん」


 友部が厚手のシャツを羽織ったところで、例の鈴木刑事が鑑識車の陰から現れた。


「あー、こっちこっち」


 おざなりに答えながら、友部は地面に投げていた自分の服をまとめて拾い上げた。


「お待たせしました……と、北山さんも戻られましたか」

「すみません。この男に着替えを取ってこいと言われたもので」

「ええ、うかがってますよ。あ、北山さんの鉄串はすべて回収しましたから、後でお返ししますね」

「お手数をおかけします……」


 俊太郎は恐縮して頭を下げた。


「それで、友部さん。鑑定結果出ました。……やっぱり、が〝犯人〟でした」

「ああ、やっぱり。じゃあ、すぐに市役所に連絡入れてもらえます? 明日、報酬取りに行きますから」

「わかりました」

「……結局、妖魔ハンターは二人しか残らなかったな……」


 思わず呟くと、友部に左手で頭を撫でられた。


「な、何だよ!」

「いや。……おまえが無事でよかった」

「え?」

「あ、それじゃ今、北山さんの鉄串持ってきますね!」


 あわてて鈴木が鑑識車のほうに戻っていく。その笑顔はなぜか引きつっていたが、友部しか見ていなかった俊太郎が気づくことはなかった。


   *


 翌日――正確には〝当日〟だったが――俊太郎は友部と一緒に市役所に出向き、初日に説明を受けたあの会議室で、それぞれ約束の報酬を現金で受け取った。

 たいていの妖魔ハンターは、報酬は現金払いを好む。振込だと踏み倒される恐れがあるからだ。手にした現金を人間に強奪されるような妖魔ハンターなら、妖魔ハンターをやめたほうがいい。


 ――たった二日前には、ここに妖魔ハンターは四人いたのに。


 山本亜紀と田中譲治が座っていた席を見たとき、俊太郎は複雑な心境に陥った。

 確かに、友部は〝死神〟なのかもしれない。しかし、その〝死神〟は、会議室を出たとたん、俊太郎に自分の分の報酬を押しつけてきた。


「あの、やっぱり……」


 これはもらえないと言おうとすると、友部は悪戯っぽく笑った。


「昨日も言った。もらえる金はもらっとけ。じゃ、俊太。またな」


 友部は俊太郎に背を向けると、足早にその場を立ち去っていった。


(やけにあっさり……)


 俊太郎は不審に思ったが、とりあえず自分も市役所を出て、松本に電話を入れてから、彼が今いるウィークリーマンションへと直行した。

 松本は少し眠そうな顔をしていたが、俊太郎に自分と友部の分を合わせた報酬をそっくりそのまま差し出されて、いっぺんに目が覚めたようだった。


「おいおい。これはおまえの初報酬だろ。何で俺にくれようとするんだよ?」


 呆れたように笑う松本に、俊太郎は生真面目に答えた。


「あれはもともと師匠に回してもらった仕事ですし……本当は友部が一人でしとめたんで、自分の報酬だとは思えないんです」

「おまえだって、何にもしなかったわけじゃないだろ。俺もさっき電話で話を聞いて、そんな厄介な仕事、おまえに回すんじゃなかったって改めて後悔した。……そうだな。それならこの金、遺族基金に寄付したらどうだ?」

「遺族基金?」

「正式名称忘れちまったが、妖魔に家族を殺された人間を支援するための基金だ。確か、去年か一昨年あたりにできたんじゃなかったかな。まあ、それは後で自分で調べてみてくれ。とにかく、この金は受け取れねえ。このまま持ち帰れ」

「はあ……」

「そのかわり、今日は俺の夕飯作って、ここで朝まで留守番してろ」

「俺も一緒に行きましょうか?」

「おまえはもう俺の〝元弟子〟だろ。ボランティアで仕事はするな。俺たちが受け取る金は、自分の命を危険にさらす見返りだ」


 厳しい表情で説教してから、松本は俊太郎に自分の財布を手渡した。


「で、夕飯はチキンカレー中辛。わかってるだろうが、ジャガイモは絶対入れるなよ」


   *


 それから一週間後。

 同じ「市」でも、先週いた市より小規模の市内に俊太郎はいた。

 妖魔は人口数が多い地域ほど多く出現する。彼らも餌の少ない田舎より都会のほうがいいのだろう。だが、田舎なら絶対に妖魔は出現しないということはない。むしろ、そういう田舎ほど妖魔は脅威であり、妖魔ハンターの需要も高い。都会ならいくらでも人は流入してくるが、田舎はそこの住民全員が妖魔に襲われたら、そのまま廃墟と化してしまう。

 市役所というより町役場といったほうがふさわしい古びた建物の中に入り、受付で自分の名前を告げる。すぐに若い女性職員がやってきて、依頼人である市長のいる市長室へと案内してくれた。


(今回は会議室じゃないのか)


 ということは、今度こそ自分一人だけが雇われているのだろう。俊太郎は内心ほっとして、市長室に足を踏み入れた。――と。


「よう、俊太。また会ったな」


 聞き覚えのありすぎるあの声が、応接セットのソファから上がった。


「友部!?」


 そんな馬鹿な、今回は友部が出張らなければならないような依頼ではないはずだ。それとも、実はそうなのか? 協会は新人の自分にそんな仕事を紹介したのか?

 混乱している俊太郎をよそに、友部はにやにや笑った。


「そんなに驚くようなことじゃないだろ。たまたま一度に二人、ハンターが雇われただけのことだ。俺はフリーだから、協会にもわからなかったのさ。とりあえず、そう思っとけ。それより俊太、俺に再会の喜びの抱擁を!」


 市長の目もはばからず、友部が両腕を差し出してくる。

 俊太郎は遠慮なく、友部の顔面にウェスタン・ラリアートを浴びせた。


  ―了―

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【仮に完結】BLACK BLOOD 邦幸恵紀 @tks_naiyo

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