8 夜歩く

 俊太郎が目覚めたとき、時刻はすでに夕方だった。

 真っ先に携帯電話を確認する。案の定、「妖魔課」からメールが届いていた。

 内容は、田中組を襲った妖魔のDNA鑑定結果で、やはり今度も〝犯人〟ではなかったが、俊太郎と亜紀が倒した妖魔たちと〝血縁関係〟が認められるという。また、田中の弟子の数は、俊太郎の記憶どおり、やはり八人で、遺体と照合したところ、高橋という名の弟子が行方不明になっているらしい。

 待ち合わせの午前〇時まで、まだ六時間以上も時間がある。俊太郎は鉄串とナイフの手入れをしながら、今回の妖魔について改めて考えてみた。

 まず確実に言えることは、この市には小島由佳を殺した妖魔とは別に、あのイグアナに似た妖魔の一族がいるということだ。

 しかし、彼女が殺されるまで、この市内で妖魔に殺された者はいない(いたとしても、その死体は誰にも発見されていない)。

 ということは、あのイグアナ一族がここに来たのはごく最近――おそらく、彼女が殺された後ということになる。


(何か……友部は〝犯人〟に心当たりがあるみたいなんだよな)


 ――人間も妖魔も、自分の思いどおりに操れる妖魔。

 もし本当にそんな妖魔が今回の〝犯人〟なのだとしたら――あのイグアナ妖魔もその妖魔に操られているのだとしたら――いったいどんな手段で狩ればいいのだろう。


(とにかく、俺は俺のやれることをやるしかないな)


 まずその第一弾として、午前〇時まで友部と顔を合わせなくて済むように、俊太郎はルームサービスで夕飯を済ませた。


   *


 午後十一時五十五分。

 俊太郎がロビーへ降りていくと、友部はすでにロビーのソファの一つにだらしなく座って待っていた。


「きっちり五分前行動だな、感心感心」


 にやにやしながら立ち上がった友部を、俊太郎は鋭く睨みつけた。


「そう言うおまえは、いったいいつからここにいたんだ?」

「俺か? 三十分くらい前かな。おまえとデートできるのが嬉しくって、つい早めに来ちまった」


 不覚にも、俊太郎は反発するのに少し出遅れた。


「何がデートだ! やっぱりおまえなんかと組まない!」

「そんなー、今さらそんなつれないこと言うなよー」


 指輪のことを知ってから、友部はすっかり打たれ強くなってしまっていた。


「ほら、もう〇時だ。出発するぞ。俊太はどこ歩きたい?」

「どこ……」


 一転して、俊太郎は困惑した。


「俺……夜に漠然と歩き回るのって、すごく苦手なんだけど……」

「苦手?」


 友部が不思議そうに俊太郎を覗きこんでくる。俊太郎はますます言いづらくなったが、しどろもどろながらも補足した。


「うん……何かこう、決まったコースを歩きたいっていうか……目的地がほしいっていうか……」

「なるほど。いかにも俊太らしいな」


 楽しげに友部は笑った。たぶん、融通のきかない奴だと言いたいのだろう。師匠にもよくそう言われていた。


「じゃあ、俊太。今夜はセオリーどおりに歩いてみるか?」

「セオリー?」

「そう。まずは被害者ガイシャの自宅前に行く。そこから被害者ガイシャが殺された現場、昨日おまえらが妖魔に襲われた場所を回って、最後は田中のジジイたちが殺されたパチンコ屋の駐車場。これならおまえも安心して歩けるだろ」

「安心って……俺は別に、安全な道を歩きたいわけじゃない」


 むっとして言い返すと、友部は鷹揚に答えた。


「わかってるよ。今まで基本どおりにやってきたから、〝漠然と歩く〟っていうのがやりにくいんだろ? 俺はおまえと一緒なら、どこをどう歩いたってかまわないから」


 何か文句を言ってやりたいと俊太郎は思ったが、上機嫌で笑っている友部を見ているうちに、何も言えなくなってしまった。


「さてと、目的地は決まった。どの道を通っていくかはおまえにまかせるよ、俊太」


   *


 被害者・小島由佳の自宅には、昨日、彼女の殺害現場に行く前に寄っていた。

 対妖魔用の鎧戸が下げられていたので、由佳の両親がすでに就寝しているかどうかはわからなかったが、一人娘を妖魔に殺されて、さぞかし無念だろうと思う。

 夜半を過ぎると、街の人通りは完全に途絶える。そんな街の中を友部と二人きりで歩いていると、嫌でも三年前のあの夜のことを思い出してしまう。

 今思えば、あれは虫の知らせだったのだろう。あのとき、もっと早く、あるいは遅く家に帰っていたら、今、友部と同じ妖魔ハンターとして真夜中の街を歩いてはいなかったかもしれない。

 なぜ、この友部は――幼い頃から俊太郎の要望はほとんど聞き入れてくれた男は、俊太郎のあの依頼だけは受けてくれなかったのだろう。口先だけでもいい、一言〝わかった〟と言ってくれてさえいたら。


「俊太」


 今まで黙って俊太郎の少し後方を歩いていた友部が、まるで俊太郎の憤りを感じとったかのようにいきなり口を開いた。


「な、何?」


 動揺して振り返ると、友部は訝しそうな顔をしていたが、すぐに苦笑いした。


「待ってるから」

「え?」

「何年経っても、俺はずっと待ってるから。だから……」


 友部がそう言いかけたときだった。

 けたたましい笛の音が、夜の静寂を引き裂いた。


「亜紀か!」


 友部は表情を変え、笛の音がした方角に向かって走り出した。

 どうして笛の音だけでわかるんだ、いや、それ以前に嫌っているはずの女をどうして名前で呼ぶんだと突っこんでやりたかったが、非常事態――おそらくは妖魔関係の――が起こったことは俊太郎にも想像がついたので、あえて黙って友部の後を追った。

 笛はそれからも断続的に続いた。移動しながら吹いているらしく、亜紀の姿はなかなか捉えられない。音を追いかけて幾度か路地を曲がったところで、ひらけた空き地に出た。

 このような空き地にも、太陽電池を利用した街灯は何本か設置されており、その中央に立つそれを、不完全ながらも闇から浮かび上がらせていた。

 一口に妖魔と言っても、その姿は千差万別だ。だが、いずれもどこか既存の四つ足動物――たとえば、熊とか豹とかイグアナとか――を思わせるところがあった。

 しかし、今目の前にいるそれは、俊太郎がこれまで見てきたものとはかなり異なっていた。

 体高は確実に二メートル以上はあった。頭は体の大きさに比して小さく、しいて言えばトカゲに似ていた。尻にもトカゲを思わせる尾が生えている。

 だが、地につけている足の数は四本ではなく二本で、多少前屈みながらも人間のように立っていた。

 そのかわり、腕は左右二本ずつあり、右の一本は人形のようなものを抱えこんでいたが、体の正面を上にしていたので、白い顔は逆さまで、長い髪が地上に向かって垂れていた。

 また笛が鳴った。

 しかし、その音を立てている笛――縦に長い犬笛のような笛だった――は、トカゲの口の端にまるで煙草のようにくわえられていた。トカゲは嘲笑うように大きく歯を剥き出すと、その笛を噛みつぶして地上に吐き捨てた。


「自分を囮にして妖魔を誘い出すつもりが、逆にあんたたちを呼び寄せる囮にされるとはね……」


 逆さまのまま、人形のようなもの――亜紀は自嘲した。


「まったく、馬鹿よねえ……」


 そう言いながら、亜紀は両腕を持ち上げ、あの銀色の拳銃の銃口を友部に向けた。


「ほんとに、大馬鹿……」


 そのまま、引金を引こうとしたとき。

 妖魔の頭が轟音とともに吹き飛んだ。

 その衝撃で亜紀の弾丸は狙いを大きくはずしたが、そのときにはそこに友部はおらず、俊太郎を抱いて地上に伏せていた。

 妖魔はよろめきはしたものの、倒れはしなかった。続けて妖魔の左胸が吹き飛ばされ、その拍子に亜紀は頭から地上に落ち、二度と動かなかった。

 頭と左胸とを失った妖魔は、それでも二本の足でしっかりと立ちつづけていた。その背後から、バズーカ砲のような武器を担いだ屈強な男が姿を現す。その顔の上半分は、暗視スコープで完全に隠されていた。

 装備からして明らかに妖魔ハンターだ。ここの市は俊太郎の知らない間に妖魔ハンターの補充をしたのだろうか。


「女のほうを張ってれば、いつかは必ず〝本命〟が出てくると思ってたぜ」


 勝ち誇ったように謎の男は言った。


「おかげでこっちは命拾いさせてもらったしな。田中のクソジジイもやっと逝ってくれたことだし、あとはおまえをしとめりゃあ、俺は名実ともに妖魔ハンターだ」

「あれ、行方不明の田中の弟子か? 確か、高橋とかいう」


 俊太郎の耳許で友部が囁いた。それを聞いて、俊太郎はあっと声を上げた。


「じゃあ、途中から別行動をとったから、一人だけ殺されずに済んだのか」

「みたいだな。それも田中のジジイの許可なく勝手にだろ。まあ、とりあえずはお手並み拝見といくか。つーか、下手に動くとこっちがヤバい」


 高橋は肩に担いだ武器を構えなおして、再び妖魔に向けて撃った。打ち上げ花火のような音がして、今度は妖魔の腹に穴が開いた。

 それでも妖魔は倒れず、砂状分解もしていなかった。いつもならとっくに息絶えている頃なのだろう。高橋はあせったように舌打ちし、今度は妖魔の足に狙いを定めた。


「俊太」


 俊太郎の頭を引き寄せて、友部が耳打ちした。


「俺が合図したら、亜紀の死体を針山にしろ。特に両手を。あっちのトカゲは俺が何とかするから」


 友部の指示は、俊太郎には不可解としか言いようがなかった。いったい何を考えて、亜紀の死体にさらに鞭打つ真似をしろというのだろう。

 それに、友部は俊太郎や亜紀と違い、武器らしいものを持ち歩いていない(ように見える)。そんな友部が、どうやってあの巨大な妖魔と戦おうというのか。


「俊太」


 妖魔を見つめたまま、友部はもう一度、俊太郎の名前を呼んだ。


「今だけでいいから俺を信じてくれ。――頼む」

「わかった」


 短く俊太郎は答えた。何はともあれ、この男は自分より長く妖魔ハンターをしていて、今もこうして生き残っている。その男がそうしろと言うのだ、自分にはわからずとも、何か意味があるのだろう。

 友部は嬉しげに笑うと、俊太郎の頭をくしゃりと撫でた。昔みたいに。

 思わず友部を見上げたとき、彼は「今だ」と言った。


 ――躊躇すれば死ぬ。そういう稼業だと師匠は言った。


 俊太郎は懐から鉄串を抜き出すと同時に、亜紀の死体に向かって連続で放った。俊太郎の鉄串は一本も外れることなく亜紀に突き刺さった。が、まるでそれが刺激になったかのように亜紀は動き出し、拳銃を握ったままだった手をのろのろと持ち上げはじめた。


 ――あの手!


 俊太郎は戦慄し、亜紀の手を標本の蝶のように地上に縫い止めた。亜紀は少しずつ動かなくなり、やがて、止まった。嘆息した瞬間、俊太郎は妖魔の存在を思い出し、愕然と顔を上げた。

 頭と体の一部を失っていたはずの妖魔は、まるで何事もなかったのようにすべてを復元させており、背中をこちらに向けて立っているその目線の先では、人の形をしたものが炎を上げて燃えていた。

 一目見て、頭の中が真っ白になった。

 だが、いま自分の前には妖魔がいる。倒さなければ。

 残り少なくなった鉄串を、俊太郎は妖魔の背中めがけて打ちこんだ。と、妖魔は前方に向かってゆっくりと倒れはじめた。その陰から人影が現れて、すばやく離れる。妖魔は音を立てて地に沈み、そのまま砂状に崩れはじめた。


「体についた妖魔の血は消えてくれねえんだよなー」


 右腕を真っ黒に染めてそうぼやいているのは、先ほど俊太郎に自分を信じてくれと言った幼なじみに間違いなかった。


「友……友部っ!」


 ほっとして、俊太郎は友部に駆け寄った。

 友部は右手に何か黒い球状のものを握りしめていた。すでに半ば潰れかかっていたが、まだぴくぴくと動いている。ぎょっとして身を引くと、友部はそれを地上に叩きつけた。

 見る間にそれは溶け崩れ、妖魔と同じ状態に成り果てた。


「妖魔の心臓――っていうより、〝核〟っていったほうが正しいか。こいつを潰されたら、妖魔は再生できない」


 友部は淡々と説明してから、その妖魔と同じようにくずおれていく、人の形をした炎に目をやった。


「残念。妖魔ハンターになりそこねたな」


 その一言で、ようやく俊太郎はあれが高橋の変わり果てた姿であることに気がついた。

 亜紀の死体に鉄串を突き刺しつづけることに集中していた俊太郎には、あのとき高橋が放った弾を妖魔の長い尻尾が炎をまとわせて打ち返し、避ける間もなく彼を炎上させたこともわからなかった。それくらい、周りの状況が視界に入っていなかった。

 やはり自分はまだまだだ。俊太郎が心の中でひそかに、しかし傍から見ればバレバレの反省をしていると、右腕についている黒い血を自分のTシャツで拭おうとした友部が、そこもまた黒く染まっていることを知って、あーあと嘆息した。


「この格好じゃどこにも行けねえな。……俊太。悪いけど、今からホテルに戻って、俺の部屋から着替え取ってきてくれないか? これ、俺の部屋のカードキー。『妖魔課』には俺が連絡しとくから」


 汚れていない左手でホテルのカードキーを手渡された俊太郎は、ついそれを受け取ってしまってから、はっと我に返った。


「ちょっと待て! 今から俺にホテルまで走っていけっていうのか?」

「別に走らなくてもいいよ。おまえが戻ってくるまで、俺はずっとここで待ってるから。帰りはホテルでタクシー拾ってくればいい」

「そういう問題じゃ……」

「頼むよ。おまえ以外に俺のものはいじられたくないんだ」


 弱ったように微笑みかけられて、俊太郎はそれ以上何も言えなくなってしまった。


「う……じゃあ、行ってくる」

「おう。急がなくていいからな。車に気をつけて行けよ」


 友部は愛想よく笑って、黒い右手を振った。俊太郎は眉をしかめたが、上着のポケットから大きめの白いハンカチを取り出すと、押しつけるようにして友部に渡した。


「これじゃ拭ききれないだろうけど……ないよりはましだろうから」


 珍しくぽかんとしている友部に、俊太郎はそっぽを向いて言った。


「いや……これ使ったら、もう二度と使えなくなるぞ?」

「返さなくていいから! そのまま捨てろ!」


 俊太郎は叫び返して、逃げるように駆け出していった。


「使うのも捨てるのも、もったいなさすぎて、俺にはできん」


 苦悩するように友部は独りごちたが、不幸にも受け取った手が右手だったため、すでにハンカチは黒く汚れてしまっていた。


「せめて匂いだけでも……」

「――変態」


 ハンカチを鼻に当てている友部の背後で、軽蔑しきった声がした。

 友部はまったく驚かずに、声のした方向を振り返った。


「俺が変態なら、おまえはマゾだ」


 深く息を吸いこんでから、友部はそのハンカチを大事そうにジーンズの尻ポケットに押しこんだ。


「お互い、茶番はもう終わりにしないか? ――亜紀」


 友部の視線の先では、死んだはずの亜紀の指先が、地面に爪を立てていた。

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