第5話 家庭教師なおる そして蜂蜜へ

 部屋に戻ると、ハイデマリーはまだ伸びていた。どうやら脳味噌を使い過ぎてしまったようだ。

 悪い事をしてしまったかもしれない。でもこれからも自重はしないが。


「うぐぐぐ…古典が…古典が私を殺しに来る…お許し下さいお父様……」


 ハイデマリーは酷くうなされていた。一族のプライドと使命感と、まだまだ教えるのは先になる筈だった学習内容に追いかけられている夢に違いない。

 頑張れ、私は見守っているよ。見守るだけだけれども。


「悪夢なら見なくても良さそうだから、起こしてあげて?」


「はい、かしこまりました。ハイデマリー様!ハイデマリー様、起きて下さい!」


 イルゼがハイデマリーの肩をゆさゆさと揺すると、ハイデマリーはゆっくりと目を覚ました。

 悪夢も貴重な睡眠時間だが、あれ程にうなされる位ならば見ない方が良いだろう。

 ハイデマリーはまだ若くて体力も有りそうだし。きっと大丈夫。たぶん、きっと。


「ふぁ…あれ?お父様が辞書を持って物凄い形相で追いかけて来ていた筈?」


 起き上がってボーっとした表情で、ハイデマリーは私を見ている。

 快適とは言い難い睡眠ではあったろうものの、落ち着いてくれたようだった。


「それは夢」


「夢でしたか…良かったですわ……」


 ハイデマリーがほっと胸を撫で下ろした所で、私は部屋に帰ってきてからドアの前でお菓子の乗ったお盆などを乗せたキッチンワゴンのハンドルを持ったまま直立不動の体勢だったカチヤの方を向いた。


「カチヤ」


「ひゃい!」


 相変わらず怯えている…ワタシコワクナイヨームガイダヨーと笑顔を送ってみるが、やはり怯える。解せぬ。

 私の顔は、自分で見た限り美少女の類だと思っていたが、ひょっとするとこの世界では怖い顔なのだろうか?ちょっと自分の容姿に自信が無くなって来た。


「ハイデマリーにお菓子を」


「は、はい、かしこまりました。ハイデマリー様、アーデルハイト様が手ずから拵えて下さったお菓子です」


 何だか大げさな話になっている。私は謎の味のしない焼菓子に、蜂蜜をほんのちょっぴりかけただけなのだが。

 とはいえ、私くらいの年齢の少女なら、アレでも作ったと言える程度には上出来かもしれない。中身は兎に角、今の私は7歳児なのだから。


「あ、アーデルハイト様が!?」


「あのアーデルハイト様が、手ずから作って下さったお菓子なのです!」


 ハイデマリーは驚き固まり、カチヤは恐縮しまくっている…いったい何が起こっているのか、さっぱりわからない。

 後、カチヤが矢鱈と《あのアーデルハイト様》を強調していた。彼女の中での私は、いったいどのような恐ろしげな存在となっているのか……?

 どうやら私が今の私になる前に、カチヤに何やら恐ろしげな体験をさせてしまったのではないかと推測してはいるが、何せ今生の記憶は未だ朧気にも戻らないから何かしたにしても原因が分からない。そろそろ出ておいでー、今生の私。

 カチヤと和解出来る日はいったい何時になるのだろう?切ない。


 それは兎に角として、私はどうやら何かやらかしたらしいが、生憎こっちの世界のルールにはトンと疎いので、何が起こったのやらサッパリ理解出来ない。

 なので一人だけ泰然自若としているイルゼに声をかけてみる。


「私は何か変な事をした?」


「貴族が手ずから何かを作って下賜するというのは、臣下にとってはとても名誉な事ですわ」


 何だか大げさな話になってしまっているようだが、その前に臣下と言われてもピンと来ない。ハイデマリーは、何時から私の臣下となったのか。

 そもそも臣下というのは、普通は主に向けて鞭をパシーンパシーンと鳴らさない立場の筈なのだが。何かの間違いではないだろうか?


「臣下?」


「はい。エッツホルン家は、代々オルデンブルク家の臣下ですもの」


「でも、私は御爺様では無い」


「貴族は仕えている当主に従うもので御座いますが、当主の一族にも仕え従うものに御座います」


 成程、ハイデマリーは私にとっても家臣という事らしい。教師が家臣というのは、中々に立場が分かり難いけれども、恐らく教師というのは厳しく教えるのが許可されている役割なのだろう。

 御爺様も御父様も、鞭で時折しばかれていたようだし。


「ん、わかった。ではハイデマリー。ささやかではあるけれども、このお菓子を受け取って。甘いから、きっと精神の回復にも効果がある。

 紫詰草の花茶も淹れてきた。たぶん落ち着く」


 蜂蜜を乗せたお菓子は先ほど私も一個味見したので、味も保障済みである。

 素朴ながら中々悪くなかったので、やはり蜂蜜の量産は御父様に進言しようと思う。甘味が気兼ね無く手に入る環境にしたいし、何よりも甘味は間違い無く儲かるだろうから。


「ありがとう御座います。ここで食べても?」


「ん。そうして貰う為に持ってきた。食べて」


 口の中がパッサパサになるのは辛いだろうからと、しっかりお茶まで用意したのだ。ここで食べて貰わなかったら意味が無い。

 回復して貰って、明日からも頑張って貰わなくてはいけないのだ。

 私の為にも、彼女の為にも。


「美味しい!とても甘くて美味しいですわ!」


 ハイデマリーはお菓子をとても気に入ってくれたようで、こちらとしてもお父様に怒られるのを若干覚悟した甲斐が有るというものだ。

 紫詰草の花茶には鎮静効果があるから、脳内のエネルギーを回復させた上で沈静させつつしっかり休ませれば回復してくれると思う。


「よかった。これからも私と共に頑張って欲しい」


「はい、かしこまりました!」


 ハイデマリーは笑顔で頷いてくれたのだった。

 さあ私と一緒に、明日も地獄を見て貰おう。

 ああ私は今、とても悪い笑みを浮かべているに違いない。




 次の日、私は御爺様の部屋に出向いていた。理由は蜂蜜の使い過ぎである。

 あの蜂蜜。単なる甘味としてだけではなく、薬に使ったり酒の材料にしたりするものらしい。

 おまけに今は蜂蜜収穫のシーズンがそろそろ来る頃という、いわゆる実りの前の欠乏期らしく、当主の了解を一切得ずに使うのはいささか問題だったようだ。

 御父様に怒られるどころか、飛び越えて御爺様に呼び出されてしまった。


「アーディ、蜂蜜を焼菓子にかけたと聞いたが、何故そんな事をした?」


「私の家庭教師を、早急に回復させる必要がありましたので」


 私がそう言うと、御爺様は目を点にした。


「回復?どういう事だ?」


「私があまりにも勉強をせがみ過ぎたせいで、働き過ぎで少し体調を崩してしまったのです。

 なので、薬にもなる蜂蜜を与えれば回復するのではないかと思い、与える事にしました。効果は覿面だった用に思います」


 神経系統への栄養といえば、何と言っても糖分だ。蜂蜜の糖分は主にブドウ糖と果糖であり、吸収が早い。更に言うと焼き菓子も小麦粉なので炭水化物であり、即効性と遅効性の糖分を二種類与えたという形になる。

 ハイデマリーの脳味噌には早く復活して貰わなくてはいけなかったし、実際に頑張ってくれたので正解だったとは思う。

 ……終わる頃には、またふらふらになっていたけれども。


「自分で食べたのではないのか?」


「一個味見はしましたが、他は全部家庭教師に下げ渡しました。

 私はあの家庭教師、ハイデマリーを気に入ったのです」


 頑張っている娘は応援してあげたくなるというのが人情というものだろう。

 イルゼから詳しく聞いた限りだが、どうも貴族が目下の者に何か高価な物を下げ渡すというのは、その者への信用と親愛の意味を表すらしく、この時期に貴重な蜂蜜を菓子につけて渡したというのは、私がそのくらいハイデマリーを評価しているという事が御爺様に伝わる…という事らしい。

 そうすれば御爺様からのハイデマリーへの評価も上がるので、巡り巡って何れはハイデマリーへの両親からの評価にも繋がって良く…という若干気の長い話ではあるのだけれども。

 ちなみにだがイルゼにも言外にせがまれた気がしたので、今の私の権限で贈れるものは何があるのか、ちょっと考えていたりする。

 彼女には私が記憶喪失だから黙っておいてくれと頼んだ義理もあるしね。


「下賜したというのであれば、そなたくらいの年齢の者であれば蜂蜜くらいが微笑ましかろう。だがしかしアーディ、儂は当主として其方に罰は与えねばならぬ。

 頭を出すがよい」


「はい……」


 私が頭を差し出すと同時に、ゴチンと拳骨が落ちた。

 御爺様は腕も手も大きく、服の下から見ても筋骨隆々なのが分かる体格をしている。そんな人に拳骨されたらどうなるかというと、当たり前だが非常に痛い。

 衝撃で目の前に星が飛ぶという現象が起きた。なかなか容赦無い祖父だ。


「いたたたたたた……」


「泣かないか、偉いぞ」


 私が泣かなかったのに感心したのか、御爺様が私の頭をポンポンと軽く叩くように撫でてきた…が、そこはさっき拳骨された所であり、撫でられると余計に痛い。

 まさかの追撃である。この爺、容赦せぬ。


「御爺様、そこは先程拳骨された場所で……」


「おお、それはすまなんだ」


 ようやく追撃から解放され、ひとまず落ち着いた。高価なものを勝手に使ったら、いかに貴族といえども怒られて当然というものだろう。

 あの鉄拳制裁をこの7歳の身で何度も食らったら、流石に死んでしまうような気はするけれども。


「ところで御爺様。蜂蜜ですが、あれはどうやって入手されているものなのですか?」


 蜂蜜が高価だといわれていた時に思い付いた養蜂。高価ならば作れば良いし、生産力が余剰になれば売り出す事だって出来るだろう。

 出来るかどうかはわからないが、兎に角チャレンジしてみる価値はあると思う。

 そして養蜂をやるにせよ、蜜蜂は入手しなければならない。なので蜂蜜をどうやって入手しているのか問うてみたというわけだ。


「蜂蜜狩人から入手するのだ」


「は?」


 予想外過ぎる答えが返ってきた。

 蜂蜜狩人?ええと、ひょっとしてこの世界の蜂蜜は何か謎の巨大生物か何かを狩って手に入れる類の代物なのであろうか?


蜂蜜狩人ホーニヒ・イェーガー……ですか?」


 何かドイツ語っぽい言語で言うと、異様に格好良い。

 やはりアレだろうか?巨大な歩く蜂の巣と戦ったりするのだろうか?

 だとするなら、養蜂は諦めよう。私には絶対無理だ。

 蜂の巣を駆逐するつもりも無いし。


「えーと、蜂蜜とは何か、巨大な怪物と戦って入手するようなものですか?

 だとしたら、大変貴重なものを……」


「あー、いや。それは無いから安心せよ。蜂蜜はな、このくらいの蜜蜂の巣から採れるものだ」


 そう言うと、御爺様は手に抱えて持てるくらいの大きさだというジェスチャーをして見せてくれた。

 良かった良かった。この世界でも蜂蜜は普通に蜂の巣から手に入るようだし、蜜蜂も化け物じみた大きさではないようだ。


「蜂蜜狩人というのはな。蜂の巣を育てて蜂蜜を収穫する職業の者の事を言うのだ」


「成程、だから蜂蜜狩人というのですか」


 御爺様の話を聞く限り、蜂蜜狩人と呼ばれる人達は養蜂家の事を指すようだ。

 何故に養蜂家イムカーと呼ばずに、そんな大仰な呼び方に…なんという微妙な異世界成分なのだろうか。


「御爺様の話で、とても興味が湧きました。

 今度、彼らの仕事をする様を見学に行っても宜しいでしょうか?」


 御爺様の話を聞く前から興味は持っていたが、ここはお爺様をヨイショするべき場面だろう。御爺様のお陰で興味を持てたという事にしておく。


「蜂蜜狩人の所にか……?」


「はい。領民の仕事を視察に行くのも、領主の孫として勉学の一環かと存じます。

 最近はすっかり本の虫になっていたので、気分転換として外出がしたいというのもありますけれども」


 私の言葉を聞いて、お爺様がむむむと頭を捻っている。

 ひょっとして勉学というワードが良く無かったのだろうか?御爺様、勉学はあまり好きでは無いようだ。

 私としては趣味と実益を兼ねて行う勉強は、この上無い娯楽なのだけれども。


「私の孫なのに、まさかこんなに勉学が好きとは……。

 うーむ、まあ確かにそろそろ蜂蜜を納めて貰う頃ではあるから、その時で良いのであれば許そう」


「御爺様、ありがとう御座います」


 何せ今の私は貴族令嬢であるが故に、外に出して貰えない可能性も考えて居たけれども、外出に関しては問題無いようだ。

 まあまだ7歳の子供だし、悪い虫が付かないかどうかとか、そういう心配をしなくても良い年齢だというのも有るだろうけれども。

 怒られついでに面会出来て、本当に良かったと思う。

 ……怒られたで思い出したけれども、頭はまだ痛い。

 御爺様の拳骨は痛いという事を、よく記憶しておこうと思う。

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