第4話 家庭教師壊れる
先ず結論から言わせて貰おう。
文字をあっさり覚えられた私だったが、文章も割とあっさりと読めるようにはなった。なったのだが……。
「ハイデマリー、この単語は?」
「その単語はですね、ええっと…アーデルハイト様、何でこんな歴史ものを……?」
ハイデマリー、意外とポンコツ疑惑が私の中で発生している。
取り敢えず歴史からこの世界を把握しようとしているのだが、古い単語などを尋ねると、必死な顔で家伝の辞書を捲り始めるのだ。
いやまあ前に年齢を聞いたら17歳で、成人してからまだ1年しか経っていないらしい。
ああそうそう忘れていたけど、この世界の成人年齢は16歳だそうだ。
話は戻るが、17歳で様々な単語を習熟しているというのは、中々難しいものがあるだろう。そもそも彼女はたかだか7歳の少女に、文字やら魔術やらの基礎を教える為に派遣された身なのだという。
正直な話、荷が重いのではないかなと思って、交代しても良いとは言ったのだが『それだけはどうかご容赦を』と頼み込まれてしまった。
数日で送り返されたら、一族から無能扱いされかねないらしい。
さすがにそれは可哀想だし、何より現状よりも彼女としてそちらの方が困らないのであればということで、教師のチェンジは中止した。
「あー、わかりました!それは《栄光》という意味の古い表現ですわ!」
「ふむ…かつてこの世界には、偉大なる帝国があった。
帝国は魔法を開発し、高め、世界を栄光の時代へと導いた」
私が読んでいるのは、この世界がこの体制に落ち着く前の時代の話。
《偉大なる帝国》という、魔法で栄えた古代魔法文明の興亡の歴史を詩文仕立てで綴った歴史書だ。しかし何で歴史書をポエムなんぞで書いたんだこの史学者。
いちいち難解な比喩表現やら昔の言葉やらを混ぜてきて、読み進める際に家伝の辞書を持っているハイデマリーが必要不可欠になるわ、そのたびにつっかえつっかえになるわで実に読み難い。
「あひー!」
ハイデマリーが頻繁に単語を尋ねられるせいで、忙し過ぎて変な顔になっている。
もともと結構可愛い容姿をしているのに、実に可哀想だ。
史書をポエムで書くとか死ねば良いのに、この無駄な拘り見せるポエマー史学者。
もっとも、もう死んでる人らしいけれども。
まあそれは置いておいて、この世界は神が作っただの何だのという、至極どうでも良い神話時代の話は軽く流して、比較的近いこの古代魔法文明の話を読む事にしたのだ。
神話も嫌いではない。ここらの神話では大きな林檎の木がこの世界であるという神話なのだが、何処にも巨大な林檎の木が見えない。いくら魔法が使えるファンタジーな世界でもそれは無いっぽかったので、取り敢えず読み飛ばした。
もうちょっと南下するとスケコマシな古代の神があちこちで女作っては子供を生ませて、そのたびに嫁にしばかれる神話とかがあるが、こちらはどう考えても7歳の少女が読むような話では無いだろう。
もうちょっと少女の教育に良い神々であって欲しいと、切にそう願いつつ、そっと本を閉じたのだった。
もっと子供に読み聞かせられるハートが温まる神話はないのだろうか、この世界。
話が脱線したけれども、こんな感じで神話時代の資料はサッと流した。
後で読むつもりだけれども、取り敢えずはサッとで良い。
さて、古代魔法文明だ。
「帝国は我々の礎を築いた。漠然とした現象であった魔法を技術である魔術へと昇華せしめた。
魔術を用いた騎士たちは蛮族を打ち破り、これを平らげていった。
光輝なる時代の、栄光の時代の到来。おお神々よ御照覧あれ」
ゴチャゴチャ修飾語を挟んで非常に読み難い。そういうの良いから、もっと淡々と書いてくれないものだろうか?
歴史というのは、ただ淡々と示してあっても想像の翼を羽ばたかせてくれる。とてもとても面白い物語なのだし。
著者の何たらとか言うポエマーは本当に死ねば良いのに。死んでいるけれども。
まあ兎に角。古代魔法文明がどんなものかは朧げながらわかった。
帝国と称される古代魔法文明は、魔法を魔術というより効率的な技術に変えて、それによって周囲の彼ら基準では文明化されていない蛮族達を平らげて行ったという事らしい。
それは地球に於ける鉄器の発見みたいなものであったのか、どうなのか?
それはわからないけれども、帝国は魔術によって向かう所敵無し状態で領土を拡張し、拡張した領土内に各種インフラを構築し、それによって占領地域の効率的な支配と生産力増大を図っていった……みたいな話のようだ。
そうやって拡がった帝国は、地域と地域を繋ぎ、帝国の影響下にある複数の文明と言語にある程度の均質化を起こし、そして爛熟した身が崩れるかのように崩壊したのだそうだ。
そしてああだこうだ何やかんやあって現在に至る……と。
また読むべき時にこれは読もう。
「あひー……」
ハイデマリーも目を回してしまった事だしね。
「イルゼ、ハイデマリーを介抱して」
「はい、アーデルハイト様」
イルゼは目を回したハイデマリーを、そのまま床に寝かそうとした。
長椅子も無いこの部屋だと、私の身分が一番高い為に私の寝台を使わせてくれと言うわけにも行かず、床に寝かせるしかないようだ。
「……イルゼ、私の寝台を使っても良い」
「助かりますわ」
イルゼが笑顔で頷く。やはりこれで正解だったようだ。
ハイデマリーを寝台に横たえると、彼女は私の方を向いた。
「アーデルハイト様、ハイデマリー様を扱使い過ぎですわ」
イルゼは私の専属の召使であり、気難しかったらしい私の世話を一手に引き受けていた為、私の親代わりみたいな所があったらしい。
《私がやり過ぎると、やんわりと窘めてくれる》というのは、非常に有難い事だ。
私はかなりマイペースな性格なので、ストッパーが必要不可欠だと思う
「すまない事をしたかなとは、少し思っている」
ハイデマリーの現状は、小学校の先生をするのだと思っていたら、いきなり高校の古文を教える羽目になったようなものだ。
年齢から考えてもしんどいってレベルではない筈なのに、一族での落ちこぼれになりたくないとの思いから必死にフル回転してくれている。
これは何かご褒美でもあげねばなるまい。取り敢えず脳味噌をフルで使った筈なので、甘いものなどどうだろうか。
「イルゼ、ハイデマリーを見ていて」
「アーデルハイト様、どちらに?」
「ハイデマリーの現状に、良さそうなものを持ってくる」
お菓子だ。お菓子しかあるまい。出来れば蜂蜜を使った喉が焼けるくらい甘いのを差し入れてあげようと思う。脳の活動に、糖分は必要不可欠だし。
私だって今や伯爵令嬢という生き物なのだから、そのくらいのブツは調達出来ると思うのだ、たぶん。
「それではハイデマリー様、表に控えている者をお連れ下さい。
館の中とは言え、貴族の娘が一人で出歩くものでは御座いません」
「ん。承知」
ドアを開けると、成程。本来はイルゼから用事を言い渡される係なのであろう召使の女性が立っていた。年はイルゼより若いというか、ハイデマリーより若い。
その女性は14~15歳くらいの少女だった。
「名前は?」
「はひっ!?はっ、すいません、すいません!」
名前を聞いただけで怯えられてしまった……私はかなり気難しかったとは聞いていたが、まさか怯えられるとは。
ここは今まであまり使っていなかったような気がする表情筋を、総動員せねばなるまい。
つまり、某ファストフード点では0円のアレだ。スマイルである。
「安心して、怒らない」
イルゼは言っていた。記憶を無くした後の私はあまり表情が動かないと。
多分、前世が日本人だったせいと、私自身が情動を表に出すのをあまり好まない性格だったのが影響しているのではなかろか。
だが今私はきっと、にこーっと笑っていると思う。たぶん、きっと。
「は、はい。カチヤに御座います!」
私の精一杯のスマイルを見たカチヤの目が右に左に泳ぎ、表情が更に硬くなった。
おかしい、こんな筈では……。
「…まあ良い。カチヤ、厨房へ案内して」
「あわわわわ…か、かしこまりまひゅた!」
怯えさせてもしょうが無いので、表情筋を何時も通りに戻してカチヤにそう頼んだ。
しかし表情筋を使うのを止めたら、言葉を噛むくらい更に怯えられた。
もう何と言うか、私が何をやっても怯えるのではなかろうか、この娘。
何をやっても怯えるという事は、若干時間をかけないと打ち解けるのは無理だろう。諦めよう、うん。
「こここ、此方に御座いますアーデルハイト様」
先導するカチヤの後を付いて行くと、薪で火力調整するタイプの竈が沢山並ぶ部屋に着いた。
あちこちに並んでいる食材と言い、間違い無い。ここがこの城の厨房なのだろう。
「あ、アーデルハイト様!?」
突如厨房に入ってきた領主の娘に気づき、料理人たちが一斉に跪いて礼をする。
ひょっとして、料理人は若干身分の低い職業なのだろうか?
だとしたら、少し悪い事をしてしまったかもしれない。
「畏まらずとも良い。面を上げて」
「は、はあ。それでは…して、何の御用件で御座いましょう?
食事に何か気に食わない点でも御座いましたか?」
何でいきなりクレームの話になるのか……うーん、私は私が思っていたよりも遥かに気難しい人間だと思われているのだろうか?
記憶はまだ戻っていないものの、私が悪いな、これは。
「いや、料理に文句は無い」
実際には塩味と特定の香草の香りがきつくて、もう少し薄くしたり別の味付けもして欲しい気もするのだが、今まで食べたものの感じから察するに、要求は全て過大なものになりそうだった。
たぶんだが、この地域は香辛料が結構貴重なのだと思う。
貴族だろうが日本の頃のような、豊かな食生活は難しそうだった。
「何か、甘いものはある?」
「甘い物と言いますと、お菓子ですか?」
「ん。そう」
お菓子が有るのであれば、一番手っ取り早いだろう。私はこっくりと頷いた。
「焼き菓子が少々なら御座いますが」
そう言って、料理人の一人が田舎風のクッキーみたいなのを持ってきた。
薄茶色に焼けた若干甘い匂いがする、小麦粉で出来ていると思しき焼き菓子。
「一口、貰っても?」
「勿論、どうぞ」
食べるとサクッとした歯ごたえと、広がる焼けた小麦粉の香ばしい匂い。
ほんのりと、物凄くほんのりと甘い。つまり、ほぼ甘くない。
更に言うと、しっとり感ゼロでパッサパサである。
正直な所を言うと、食べられなくは無いが、普通に不味い。
「口の中が乾く……」
昔、祖父母の家で食べた事のある乾パンみたいな食感だったが、アレより数段不味い。今のこれに比べたら、あの胡麻風味で甘しょっぱい乾パンはご馳走だ。
「蜂蜜はある?」
「へ?あ、はい。蜂蜜持って来い!」
私の言葉に料理人は素直に従い、蜂蜜を持ってきてくれた。
「少し、使っても良い?」
「はい、勿論で御座います」
料理人が持ってきた小さな壷を覗き込んでみる。色が黒い…匂いは蜂蜜なのだけれども、黒褐色をした粘性の液体が溜まっていた。
俗に言う蜂蜜色というやつではない。
「これが、蜂蜜?」
「はい、そのとおりに御座います」
ううむ、見た目葉黒い感じがするけど、匂いは確かに蜂蜜…私に出した以上、痛んでいるという事は無いだろうから、壷と一緒に差し出された匙にチョンと付けて舐めてみる。
「ん。甘い」
非常に甘い。味は私の良く知る蜂蜜に近い…が、違う香りが結構混じっている。
何の香りなのかはさっぱりわからないが、私の知るものとは違う香りだった。こういう所でも、日本と今の世界の微妙な違いを感じる。
「お菓子にかけても良い?」
「あ、はい。ですが、蜂蜜はその…高価なものなので、あまり多くかけ無いでいただけますと……」
蜂蜜は貴族の厨房係ですら若干躊躇うほど高価な代物のようだ。折角前世の知識を持ったまま生まれ変わったのだし、養蜂を改良してみるなんてのも良いかも知れない。
養蜂ならラングストロス式巣箱とか、一応知識が無いわけでもないしね。
「承知した」
味のしない謎の焼菓子に少しずつ蜂蜜を垂らして行く。そーっと、そーっと、慎重に……。
「ああっ、そんなに沢山……」
「御爺様と御父様には、私がやったと言って」
たこ焼きにかけるソースよりもかなり控えめにかけたのに、文句言われるとか辛い。養蜂は最優先でやらねばならないかもしれない。
まあ蜂蜜の話はこのくらいにして、取り敢えず味見味見。
「うん。甘い」
香ばしさと蜂蜜の甘みがマッチして良い感じだと思う。
これならば、気絶から回復したハイデマリーへの御褒美に丁度良さそうだ。
私はこの時、にっこりと微笑んでいたらしい。
怯えるカチヤにそう教えて貰ったが、なぜ怯えるのか…私の笑顔はそんなに怖いのだろうか?解せぬ、解せぬ……。
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