第2話 アーデルハイトの家族に面会

 眠りから目が覚めても、私は相変わらずアーデルハイトという少女だった。

 なので元の姿で目覚める事を望むのは、スッパリと諦める事にした。

 何時までも元の姿に戻る事に拘泥しても、解決法が見つからない以上はどうしようもない。

 なので、次の日からは、この世界がどういうものなのかを確認する事にしたのだ。


「聞きたい事が有る」


「はい、何なりと」


 ん?いま何なりとと言ったな?

 イルゼが何なりとと言ったので、何なりと答えて貰う事にした。

 どうせ今日は一日安静にしているように……と、御爺様から仰せつかっているので、私は暇なのだ。

 イルゼは私の身の回りの世話を任されているようなので、今日は私を主に情報面で世話してもらおうと思う。


「御爺様と御婆様、そして御母様の名前が知りたい」


「は?」


 イルゼの目が点のようになった、その気持ちは良く分かる。

 祖父母や母の名前をその孫であり子である者に聞かれたら、それは当然の如く戸惑うだろう。誰だって戸惑う、私だって戸惑う。

 だがそんな顔をされても、全くの別人だった私にとって彼らは名前も知らない人なのだ。聞かないと始まらない。


「イルゼ、秘密は守れる?」


「へ?あ、はい。勿論で御座います。オルデンブルク家の召使たるもの、秘密の1ダースや2ダースは守れますとも!」


 イルゼは驚きから立ち直ったのか、そんな事を自信満々に言って胸をドンと叩いて見せた。

 よく見たら割と胸大きいな。この体に転生だか憑依だかしたせいか、そういう欲求が既に無くなってしまっているようで、《大きいな》以上の感慨が特に湧かないのは悲しむべきかどうなのか、複雑だ。


「御爺様にも軽くは話したけれども、何故かわからないけど、昨日から記憶が定かでない部分だらけになった」


「はあぁ!?何です…むぐ…むが…」


 イルゼが驚きで大声を上げようとしたので、手で口をふさいだ。

 驚きそうだったので、事前に準備しておいたのは無駄にはならなかった。


「落ち着いて。そんなに大した事では無い」


「ぷは…た、大した事無い事無いのでは?」


「別に死病を患ったわけでは無い。死に至る怪我を負ったわけでもない。

 つまり、大した事では無い。些細な事」


「死病などを患う大事に比べれば、そりゃ何だって小事になりますよ!?」


 反論してくるイルゼを強引に説得する。御父様や御母様に私の記憶が無い事を報告されると面倒だからだ。

 何せ、見たところ文明レベルが中世から近世の辺りなので、下手な事をしたら悪魔憑きだの魔女だの言われかねず、場合によっては命に関わる。

 慎重にやっておいて損は無いだろう。


「御父様の名前は流れの中で聞き出せたけれども、それ以外は無理だった。

 私が記憶を無くしている事を、皆に知られて悲しませたくない。おねがい」


「そ、そういう事でしたら」


 どちらかというと訝しがらせたくないというのが本音だけれども、親を想う子供風に振る舞っておいた方が無難だろうという事で、真摯な感じに《お願い》をしてみた。

 我が事ながら中々に畜生染みたやり方だが、恐らく迷信が未だ大手を振って歩いていそうな時代に於いて、私のようなオカルトめいた存在は排斥されるしかないだろう。

 ひょっとすると就寝中に一度死んだのかもしれない《私》が、姿は少女とは言え何の因果か生きているのだから、これを安易に手放すような真似はしたくは無い。


「では先ず御爺様から」


「はい。旦那様の名前はエリマール・フォン・オルデンブルク様と呼ばれておりまして、爵位は伯爵に御座います。

 このオルデンブルク伯爵領の領主様でして、今まで何度か主君であるザクセン公爵様の下、出陣しては武勲を上げておいでです」


 成程、御爺様は伯爵なのか。そしてザクセン公爵とかいうお殿様に仕える領主のようだ。

 貴族と言っても上には上が居るものだが、こういう時代の平民にならなかっただけでも幸運中の幸運と言わざるを得ないので、それはそれで大変結構と思っておくべきだろう。


「出陣されては武勲を上げているという事は、御爺様は武断的な人?」


「貴族の男子である以上、尚武である事は当然かと思われますわ」


出 陣しては武勲を上げているという時点で覚悟はしていたが、武断的な人が当然と言われるという事は、割と戦争の多い時代のようだ。

 この点は、この身が男で無くて良かったと見るべきか、それとも恐らく我が運命を切り開くのがなかなか困難であろう事を嘆くべきか?

 まあ取り敢えず良かった事を喜んでおこう。嘆く事はいつでも出来るのだから。


「次は御父様」


「惣領様はヴェンツェル・フォン・オルデンブルク様と呼ばれております。これはアーデルハイト様もご存知ですわね」


 惣領様。まあつまり跡継ぎの事だ。

 御爺様が伯爵で、御父様がその跡継ぎという事らしい。


「兄弟や姉妹は?」


「お嫁に行かれた姉姫様と妹姫様が居られます」


 分かってはいたけれども、娘は嫁に出されてしまうようだ。

 私も何れ、弟が生まれれる事になれば、何処かに嫁入りする事になるのだろうか?実感はわかないが、その時の事はその時に改めて考えるとしよう。

 今はそんな事を悠長に考えている余裕は無い。


「父上も戦に参加された経験はある?」


「勿論に御座います。16歳で元服された後は、旦那様と一緒に数多くの戦場で武勲を上げておいでですわ」


 御父様、見た感じまだ20代前半に見えるのだけれども、そんなに戦場に出ているのか。

 時は戦国、世は地獄?


 ……と、こんな感じに私は家族の情報を聞いていく事になった。

 勿論、単純に一人の情報のみを掘り下げていく訳では無く、お父様の情報を聞いている最中に御爺様の情報を聞いたり、御母様や御婆様の情報を振り返る事によって、相互の人間関係や私に対する接し方の様子を調べていく。


 御母様の名前はコンスタンツェ、御婆様の名前はフリーデリケ。

 実はイルゼは女性の世話を主にやる召使らしく、御爺様や御父様よりも2人の情報量は多かったのだけれども、あの花が好きだのこの流行がどうだのと正直な話、私にとっては興味の無い話だったので完全に聞き流しモードで進行した。

 というか、花の名前だの流行だの言われても、今の私には全くイメージが湧かないのだ。何せ、基礎となる知識がこれっぽっちも無い。

 まあ、接している内にわかって行くだろう、うん。

 さてと、次なる課題としては……知識だ。

 花の名前を言われてもさっぱりだったように、私にはこの世界の基礎知識がまるで無い。これで元々の知識も無かったら「あーうー」くらいしか言えない生き物になりそうだ。持ってて良かった前世の知識。

 ちなみにだが、イルゼから聞き取れる知識には限界がある。


「イルゼは文字が読める?」


「残念ながら、読めませんわ」


 文字が読めないのだ、彼女は。

 近代くらいまでの欧州ではよくある事だったらしいけど、この欧州っぽい世界に於いて彼女もそれに漏れず文字は読めなかった。

 文字が読めないという事は、入手出来る知識は自ずと制限されてしまう。

 それでは困るのだ。


「うーん、でも記憶を無くされる前のアーデルハイト様も、まだ文字は勉強されていない筈ですよ?」


「そうなのか」


 まあだからと言って、今の私が文字を勉強しない道理は無いが。

 そもそも私は元々結構な活字中毒だ。ネットのテキストサイトを見る事が出来ない上に本も読めないというのはストレスが溜まる。

 そもそもTVもネットも無いし、TVゲームも無い。部屋を見回してもいくつかの目が怖い人形と木馬くらいしか無い。無い無い尽くしで間違いなく暇を持て余す。持て余して気が狂う。

 せめて本くらい読めないと、物質と情報溢れ返る現代人の感覚を持つ私としては暇過ぎて発狂してしまう。

 文字だ、私に文字を与えよ。


「教師を呼ぶ事は出来る?」


「惣領様に聞いてみてはいかがでしょうか?」


 惣領様、つまり御父様に聞いてみれば良いのではないか?という事か。

 まあ確かに一召使に過ぎないイルゼに、教師を手配する権限は無いだろう。

 思い立ったらすぐ行動するしかない。私が退屈で死ぬ前に。


「……と、いうわけでして」


「えーと。何が、かくかくしかじかなんだい?

 後、体調は大丈夫なの?」


 私はイルゼとのやり取りを説明したが、御父様は首を傾げた。

 どうも、説明の趣旨が上手く伝わらなかったらしい。


「体調であれば、問題は有りません。

 文字を習いたいのです」


「文字を?」


 御父様が首を傾げた。

 どうやら、この世界の常識では突飛な提案らしい。


「どうして?」


「本を通して知識を得たいのです」


 私がそう言うと、御父様は更に首を傾げる。

 そんな変な事は言っていない筈なのだが……ひょっとすると、女性が文字を学ぶというのは、この世界に於いては非常識なのだろうか?

 ひょっとして《女性に文字とは要らぬ知恵の実を与えるに過ぎぬ》とかで、文字を学ぶのは禁止の社会とかだったらどうしよう?

 流石に辛過ぎる。


「うーん……わかったよ。だけど、アーディは僕の娘ながら変わった子だね」


「変わっている……でしょうか?」


 さて、自分が変わっているか否かと言えば、恐らくはこの世界屈指で変わった娘ではあるだろう。

 何せ別の世界で社会人として生きた記憶が有るのだから、これが変わっていなかったら何を変わっていると言うべきか、迷うくらい変わっている。

 御父様が言っているのは、そういう意味での変わっているでは無いと思うが。


「僕が文字を覚えさせられた時なんか、背後でヒュンヒュンと鞭を振るう先生に怯えながら嫌々覚えたものさ。

 厭で嫌で仕方が無くて、何度も抜け出したりしてね。御父様にも怒られたものさ。

 アーディみたいに自主的に覚えようだなんて、全く思わなかったよ。

 今だって、本を読むよりは剣を振るっていたい性質だしね。

 だから少し呆気に取られてしまったのさ、僕の娘が本を読むために文字を覚えたがる……なんてね。コンスタンツェに似たのかなぁ?」


 御父様はかなりの勉強嫌いだったようだ。しかも今もそんなに読書は好きじゃあ無いらしい。

 なので、私が知識を得る為に文字が読みたいという提案をしたのは、青天の霹靂のような事態だったのだろう。

 とは言え、アホの子では無いのは、会話の隅々から見て取れる。

 アホの子だったら、理解出来ないものを是とはしなかっただろう。

 教育の結果として、きちんと分別の有る領主の跡取りとして成長しているのが良く分かる。

 単純に子供の頃の勉強が、正確に言うと教師がトラウマになってしまっただけなのだろうと思う。

 

「まあいいか。アーディが勉強をしたいと言うなら、教師を雇おう。

 厳しい先生が良いかい?それとも、優しい先生が良いかい?」


「サボる気は無いので、優しい先生にしてくれると有りがたいです」


 マゾヒストでは無いので、背後で鞭をヒュンヒュンいわされても困る。

 私は折角なので、優しい先生を選んだ。


「うん、それじゃあ優しい先生を選ぶとしよう」


 御父様はそう言って、笑顔で頷いてくれたのだった。




 その晩、家族で集まっての夕食で、御父様が御爺様にその件を報告した。


「何?アーディが文字を習いたいと申したのか?」


 御爺様は御父様の話を聞いて、首を傾げる。

 ……まさかと思うけれども、御爺様も勉強嫌いで、文字習得にトラウマが有るとでもいうのだろうか?


「奇特な心掛けだな」


 御爺様は感心したようにうんうんと頷いているが、本音がダダ漏れだ。

 文字習得程度で奇特とまで言われるとは思わなかったよ、私は。

 勉強嫌いな子ばっかりか。脳筋なのか、うちの一族は。


「儂なんか、背後でヒュンヒュンと鞭を振るう教師に怯えながら勉学を強いられたものだがのう……」


 そこのエピソードまで一緒とか、まさか教師まで一緒とか言い出さないよね、この一族。

 この流れだと、優しい先生をお願いしたのに、やっぱり背後で鞭がヒュンヒュン鳴っている展開になりそうな予感がして、非常に心臓によろしく無いのだけれども。


「御爺様まで……」


「い、いや、きちんと領主が覚えるべき知識は習得したぞ?

 でなくては領民を治める者の身として、相応しくないからのう。泣きながら習得したのだ」


 私の胡乱げな視線に気づき、御爺様は慌てて弁解を始めた。

 孫には祖父母は弱い。その理論がこの現世でも反映されているわけだった。


「そういえばアーディ、何時も連れていた熊の縫い包みはどうしたの?

 昨日から一緒に居ないのね」


 急に御母様がそんな事を訪ねてきた。

 イルゼからは私の話も聞いたのだが、私は熊の縫い包みを常に肌身離さず持ち歩いていたらしい。

 そして時折、その縫い包みに話しかけるという、少し内向的な娘だったようだ。

 名前はベルタ。彼女は今、私のベッドの上で惰眠を貪っている最中だ。


「ベルタには今迄休みを取らせなかった分だけ、部屋で休暇を取らせています。

 ……そろそろ、子供っぽ過ぎるかなと。そう思ったのです」


 年齢的には、女の子の場合はそろそろ背伸びする頃だと思う。

 なので大人ぶろうと頑張っている女の子の体で、私は演技をする。

 この優しそうな御母様を騙すのは少々罪悪感を覚えるけれども、何故か今は私が アーデルハイトなのであり、違和感を無くして行くには徐々にこういう風に塗り替えて行くしかないだろう。


「あらあら、もうそういう歳なのかしら?」


 御母様、本当に申し訳ありません。

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