生まれ変わったのは良いとして、何をやれば良いのやら?

@haiiro8116

第1話 ある意味、変身とも言える

 例えば、なのだけれども?

 カフカ作の《変身》という作品に於いて、主人公のグレゴール・ザムザは不安な夢を見て起きたとある朝、自分が一匹の毒虫になっている事に気付いたわけだ。


 私はと言うと、特に夢を見たわけじゃあないが、朝起きると自分が女性になっている事に気付いた。

 たった今、見知らぬ部屋で起きた私は、己の手足の変容が気になり、部屋にあった鏡台で自分を確認した所だった。

 女性というか、少女?

 まあつまり、あまりまだ成長していない少女だ。

 顔立ちは恐ろしいくらいに整っている。目付きは若干悪いが、将来はキツめの美人顔になるのではなかろうか。

 髪の毛は明るい金髪で、フワッフワしている。湿気が多いと爆発しそうだ。

 そして何故女性だと分かったのかと言えば、股間に着いている筈のブツが無いのを視認にて直接確認した。

 男性器が存在せず女性器が有ったので、この身が性転換手術を受けたとかでは無いのであれば、元から女性なのだろう。


「さてと……一体何がどうしたのか、サッパリだ」


 私の喉からは、年頃の少女のものと思しき高く澄んだ声が流れ出る。

 とても違和感を覚える。


 私の記憶が定かであるならば、私は昨夜仕事を終えてから行きつけの中華料理屋で店主の親父と談笑しつつ餃子と天津飯を食べつつ軽い晩酌をし、帰宅してから風呂に入り、その後はネットで知人に挨拶して数回のやり取りの後に眠くなってきてベッドに入り就寝という、何時もの生活パターンで一日を終えた筈だった。

 何時も通り特段記憶に残るような夢も見る事無く眠っていたし、目覚めもだいたい何時も通りの感覚だった。

 どう考えても、次の日に見知らぬ部屋で少女として目覚めるような展開を迎える一日の終え方では無い。

 こういうドッキリは心臓に悪いので、きちんとトラックなり何なりで轢き潰す等々、正規の手続きを経て欲しいものだ。


「とは言え、理不尽とは言え、現状がこうある以上は認めるしか無いか」


 私は現実逃避しつつ、現状を認識した。

 否定したってしょうが無いし、幻覚ならば自分の認識だけが少女なわけで、それならば後ですり合わせるのでそれで良い。

 すり合わせに使えそうなアテはある。

 なにせ此処は、どう考えても一人暮らしの人間が住む家では無い。

 西欧風の寝台や箪笥や化粧台や机といった家具類はあるのに、台所や風呂といった設備が無い。

 つまり西欧風の家具が置かれた1DKアパートとかでは無いという事だ。

 そして今の私の見た目を私の目から観測した限りでは、小学生高学年から中学生くらいの少女であり、どのような境遇にせよ親若しくはそれに類する者が居ないとは考えにくい。

 何れ家人が出てくるだろうから、私の外見に関する認識については、その他者に観測してもらう事にしよう。自己認識よりも、他者からの認識の方が恐らくは正確だろう。


「アーデルハイト様。起きてらっしゃったのですか?」


「誰?」


 かけられた声に私が振り返ると、そこには女性が立っていた。年齢は20代半ば程度だろうか?

 赤みがかった金髪を後頭部で纏めていて、服は使用人らしい地味な装いだった。

 メイド服といえばメイド服?正直、メイド服にはあまり興味が湧かないのでよく分からない。良く分からないが、ミニスカメイド服で無いのは良い事だ。


「イルゼです」


「ふむ、イルゼ?」


 私に呼びかけられたアーデルハイトという名と言い、ドイツ語っぽい響きだ。

 というか今、私はドイツ語っぽい言語で話し掛けられたのだけれども、きちんと意味を把握出来ている。

 ドイツ語といえば英語ですら覚束ないのに何となく格好良さそうという安易な理由から大学で受講したものの色々と面倒臭くて、結局『私はビールが好きですIch trinke bier gern』くらいしか覚えてないので非常に不可思議なのだが、理解出来る事に不都合は無いので、この際言語に関する疑問は置いておこう。


「私の容貌に対して、貴方の意見が聞きたい」


「アーデルハイト様の容貌でございますか?」


 イルゼは首を傾げた。


「何時も通り、大変に可愛らしゅうございます。何か、夢見でも悪かったのですか?」


「夢見は悪いと思う」


 何せ、現在進行形で悪夢を見てるみたいな気分だ。

 それはそれとして、名前といい容貌に関する感想といい、どうやら私は可愛らしい女の子で正解のようだ。

 観測者を増やした方が良いのだろうけど、今の所はこれで納得しておこう。


「まだ朝早いですが、お召し物を取り替えられますか?それとも、もう一度眠られますか?」


「着替える」


 今すぐに眠る事で現実逃避と、目が覚めたら元の環境に戻る事に望みを託すという選択肢も悪くは無さそうではあったけれども、それは今日一日を終える時でも遅くは無いだろう。今起きていようが、人間はいずれ眠るのだ。


「それでは、御召替えさせて頂きますね」


 イルゼが静かに近寄ると、私の服をスポーンと脱がす。

 寝間着は貫頭衣タイプのものだったため、瞬時に素っ裸になった。

 いやまあパンツは履いているので、正確に言うとパンツ一丁だけれども。


「…ん」


 少々びっくりしたが、何となく全体的な雰囲気から着替えは自分でやらない身分なのだろうなとは察していたので、イルゼのやるがままに合わせる。

 恥ずかしいとか自分で着替え怠惰とか、そういう甘っちょろい事を言っている場合ではない。日本人ならば郷に入っては郷に従えだ。

 今の見た目は全然全く、これっぽっちも日本人では無いのだけれども。


「今日の御召し物はこれと…これで…」


 私は今、イルゼが持ってきた服を着せられ、整えられ、髪を梳かされている。

 先程見た限り結構な天然パーマな上にゴワゴワなので、時折髪が櫛に引っ掛かって首が持って行かれる。痛い。

 お金は有りそうな家なのに、コンディショナーをしていないようだ。


「これで完成…と」


「ん。ありがとう」


 朝から頭をグリングリン引っ張り回されて若干眩暈を覚えつつ、イルゼに礼を言ったらびっくりされた。


「あらあらまあまあ!今日のアーデルハイト様は随分と御機嫌で御座いますね!」


 ありがとう程度でこんなにびっくりされるとか、普段どんだけ無愛想なのだろうか、私。

 それとも、こういう場面では礼を言わないのが普通なのかな?

 とは言え、何かして貰ったら礼を言うのは当然の事だし、最低限の有難うくらいは声をかけたい。感謝の言葉はコミュニケーションの潤滑剤とも言うし。


「何かをされたら、礼を言うのは当然と聞いた。違う?」


「いえ、その通りで御座います、アーデルハイト様」


 イルゼはそう答えて苦笑を浮かべた。


「ですが、使用人の仕事にいちいち礼を言う貴族様は少ないものです」


「なるほど、貴族」


 貴族の御姫様なのか私。調度品から見てお金持ちそうだなとは思ってはいたが、これは流石にびっくりだ。


「ありがとう。イルゼには助けられる」


 非常に大事な情報なので、思わず礼を述べてしまった。

 ドイツっぽいが貴族という事は、少なくとも現代では無いのか、此処は。

 現代のドイツは共和制だし、貴族制度も廃止されて久しい。という事は、近世か近代あたりのドイツなのだろうか?


「それほど感謝していただけるとは、感激の至りで御座いますわ。

 アーデルハイト様、朝食迄にはまだもう少し有りますが、何かお飲みになられますか?」


「何が有る?」


 そういえばだが、寝起きでしかも前代未聞の状況に遭遇している為、緊張で私の喉は非常に乾いている。

 とても水分を摂りたい気分になった。


「レモンの果汁を割った水がございます」


「ん。それで良い」


 私がそう言って頷くと、イルゼは一礼した後に立ち去り、然程時間が経たないうちに水差しと銀製と思しきカップを持って戻ってきた。


「どうぞ」


「ん」


 腰に左手を当てて、水を一気に喉に流し込む。

 良い感じに薄まったレモンの甘酸っぱい風味が、私の口の中を満たしてくれた。




 それから1時間ほどしてからだろうか、私は朝食の為に食堂に来ている。

 広い食堂で、席に着いているのは私、そして20代くらいの男女と50代くらいの男女の計5人だった。

 恐らくだけれども若いカップルが私の両親で、中年カップルの方が祖父母なのだろう。

 ひょっとすると若い方は兄夫婦かもしれないけれども。


「コホン…アーディ、御爺様に挨拶は?」


 私が彼らをボーっと見ていると、若いカップルはそう言って、私に挨拶を促す。

 彼らが私の父母で間違いないらしいという事と、私の愛称はアーディである事が判明した。

 名付けた親にとっても、アーデルハイトは長過ぎる名前のようだ。


「お早う御座います、御爺様」


「うむ、お早うアーディ」


 御爺様は私の挨拶に頷き、挨拶を返してくれた。


「お早う御座います御婆様」


「お早うアーディ」


「お早う御座います御父様」


「お早うアーディ」


「お早う御座います御母様」


「お早うアーディ」


 全員、私にとって誰なのかは判明した。

 名前が分からないけど、当面はこれで何とかなるだろう。

 後、私は家族全員にアーディと呼ばれているようだ。

 使用人のイルゼは私をアーデルハイトと呼んでいた所を見るに、愛称は目下か同格の者に対して使うもののようだ。


「しかしアーディ、今日はどうしたんだい?ボーっとしているようだが、風邪でも引いたのかね?」


 自分の立ち位置やら何やらを脳内で反芻していると、御父様が心配そうに声をかけてきた。

 どうやら、具合が悪いのだと勘違いさせてしまったようだ。

 子供がぼーっと挨拶もせずに無言で座っていたら、具合が悪いと勘違いされても仕方が無いという事に、私はそこで初めて気が付いた。


「それはいかん、アーディはオルデンブルク家の大事な跡取り。医者を呼ばねば!」


 御爺様はそれを聞いて、慌てて立ち上がる。

 そうか、私はオルデンブルク家という所の跡取りなのか。

 イルゼから聞いた限りは貴族みたいだし、貴族の跡取り娘……嫁に出される心配はなさそうだけど、いずれは何処からか婿を取らなければいけない立場のようだ、恐らくだけど。

 ……って、そうでは無く!


「御爺様、私は体調が悪いわけではありません」


「そ、そうなのか?」


 御爺様はホッと胸を撫で下ろす仕草をする。


「大した事はありません。若干、記憶が定かでは無いだけです」


「病ではないか!?」


 正直な所を述べたら、御爺様は仰天した。

 確かに病かもしれない。異世界の女の子として目覚める現象を、病と呼ぶのであればだが。


「い、いかん、医者を!今すぐ医者を呼ぶのだヴェンツェル!」


「は、はい!」


 御爺様が御父様に声をかけると、御父様は慌てて部屋を飛び出していった。

 成程、御父様の名前はヴェンツェルか。

 残りは御爺様と御婆様と御母様の名前だなとか、そんな事を考えていると、食事が運ばれてきた。

 メニューは皿に乗ったチーズ、ソーセージと野菜が入ったスープ、そしてパン。

 貴族という割にはシンプルだなとか少し思ったが、朝食だしこんなものか。


「アーディ、食べられるかね?」


「はい、御爺様。お腹は空いております」


 体は健康そのものなのだろう、食べ物を見てお腹がキューっとしてきた。

 このまま眺めていれば、唾液が口から垂れ落ち、お腹が鳴りまくり、貴族令嬢としては大変見苦しい姿を見せる事になるのではなかろうか?


「それでは祈ろうか?」


 御爺様が手を合わせて頭を垂れる。御婆様と御母様もそれに続いた。

 どうやら食事の前に祈るらしい。私も見様見真似で同じポーズをとって頭を垂れる。


「母なるネルトゥスが与えて下さった糧に感謝します」


『感謝します』


 御爺様の言葉に続いて皆が感謝を述べる。これで終わりのようだ。

 朝食は、ハーブがたっぷりと効いた独特な味付けだった。

 不味くは無かったが、何というか独特だった。慣れるしかない。




 私は部屋に戻された後に寝間着に着替え直させられて、今はベッドの中に居る。


「アーデルハイト様、具合が悪いならそうと言って下さいませ!」


 イルゼが少し怒った表情で私を叱った。


「すまない」


 具合悪くなど全く無いが、調子がおかしいかおかしくないかと言われれば、それは勿論おかしいので素直に謝る。

 御父様が連れて来た医者が一通り診断した風邪のようですなと診断してから御父様に薬を渡して立ち去って行ったが、目が覚めたら見知らぬ女の子になっている症状が風邪だとは知らなかった。

 しかも薬を飲まされた時、あまりの不味さに気分が悪くなって若干吐いた。

 あの医者は藪医者で相違無いと思う。


 さて、ベッドに入っても特に何もする事が無いし、一度眠ろう。

 妙なリアルさは有るがこれは夢で、目が覚めたら元の姿に戻れているかもしれない。

 その望みを託し、私は目を閉じる。


 結論を言うと、これは夢では無かった。

 次の日に鏡の前に立ってみたが、やはり私はアーデルハイト・フォン・オルデンブルクという、見た目だけならば可憐な少女だったのだ。

 どうやら此処で、私は生きていかなければいけないらしい。覚悟を決めねば。

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