第3話:バースデーディナー-1
結局料理の良い匂いを嗅ぎながら、設楽はリビングの引き出しも片っ端から開けまくり、DVDのケースを1つ1つ開けて、中に違うDVDが入っていないかの確認をした。カウンターの向こうからイヤそうな顔はしているが、それでも大竹は「ストーカーと分かっててお前と付き合ってんだから、もう諦めた……」と小さく首を振る。
一通りの捜索が済み、「こうなると逆に本当にあのタブレットが気になる!!」と叫ぶ設楽に、大竹はうんざりとした声で「お前、俺のエロネタ見つけんのと、俺の作った心尽くしのバースデーディナーを食べるんだったら、どっちが良いわけ?」と訊いてきた。
「え!?ご飯出来たの!?」
「一応な……」
「食べる!すっごい良い匂い!何の匂いだろ~」
やっと設楽がいつもの設楽に戻ってくれて、大竹はこっそりと胸をなで下ろした。
ワクワクしながらテーブルに着いた設楽の目に映ったのは、しかし予想していたようなハンバーグとかステーキとかエビフライではなかった。
「え!?何これ!初めて見るよ!?」
テーブルの上の皿には、マッシュポテトを豚肉で巻いたソテーに何かのジャムが添えられた物がサーブされ、その隣には丸いおまんじゅうのような物と、焼いたインゲン、それからこちらも焼いたトマトが並んでいた。スープはカボチャのポタージュにしてはずいぶん赤い。
「あぁ、そっちの肉はスタッフドポークで、リンゴのソースで食べるんだ。丸いのはコルカノンって言って、マッシュポテトにキャベツ混ぜて団子にした奴な。後、ポタージュはニンジンだ」
「……え?これ、先生の家庭の味?」
イヤ、普通これ定番の誕生日料理じゃないよね?むしろ、日本の定番家庭料理でもないよね……?コルカノンとか……初めて聞いたんだけど……?
「あれ?先生のお母さん、外国の人?」
「イヤ、俺を見りゃ分かるだろ?見ての通り俺の両親は日本人だが、誕生日とかクリスマスとかセントパトリックスデイとかのお祝い事には」
「待って!聞き慣れない単語出た!セントパトリックスデイって何?」
「聖パトリックのお祭りで、緑色の服着て遊んだり……しないよな……?ごめん、うん、多分しない……」
設楽の奇妙な表情に気づき、大竹が急にバツが悪そうな顔になった。
「えと、育ての親が外国の人?」
「う~ん、まぁ、似たような?」
大竹は少し困ったような顔で、自分の生い立ちを話し始めた。
大竹の両親は、国道沿いのビルの1階で喫茶店を営んでいた。そのビルの3階以上は居住フロアになっていて、実家は今もそのビルの1室らしい。そこは外国籍居住者が多く住んでいて、日本人よりも外国人の住民の方が多いくらいだった。
大竹は、そういう隣人の中で育った。
日本人は自分の子供の友達でもない限り、他人の子供を家に上げて遊んばせたりはしないが、外国籍居住者の中には当たり前のように、子供だけで留守番をしている大竹達を家に入れて、遊んでくれたり食事を作ってくれたりする住人がいたのだそうだ。
幼い頃は母親が夕飯を作りに帰って来てくれていたが、大竹が10歳の時に父親が事故で他界すると、母親が1人で店を切り盛りすることになり、見かねた同じビルの顔馴染みの住人達が、順番にご飯を作ってくれるようになった。中でもアイルランド人の夫婦は子供がいなかったせいか特に自分達を可愛がってくれて、何かにつけパーティーを開いて楽しませてくれたのだそうだ。
「だから、ヘルガが作ってくれたバースデーのメニューが、俺にとっては定番の家庭の味なんだ」
ヘルガ達は8年前にアイルランドに帰っちゃったから、余計に懐かしくてさ、と、大竹はふっと表情を和らげた。
「え……と、先生、質問……」
設楽が恐る恐る右手を挙げると、大竹は鷹揚に頷いた。
「はい、設楽くん」
「はい、先生。えっと、何でそんな外国人ばっかり住んでたの?なんか、そういう外国の人が多い地域とかがあるの?」
「いや、地域性では全くないな。日本人のオーナーって、外国人に部屋貸すのイヤがるんだよ。ほら、パーティーして騒いだり、同国人を勝手に住まわせたり、家賃滞納したら本国にバックレるんじゃないかって、勝手な先入観でさ。だから逆に外国人にも貸してくれるマンションやビルがあると、すぐコミュニティに噂広がるから、そういうビルって外国人の居住者が増えてくんだよ。面白いビルだぞ。俺がガキの頃だけでも延べ10カ国ぐらいの奴らが住んでたかな」
「へ…、へぇ……」
先生がどんな環境で育ったのか知りたいな、等と思っていた先程の自分へ。
実家に行かなくても、先生の育った環境がどんなだったか粗方分かっちゃいましたよ!しかもすごい濃い!!なんだこの濃さ!ホント人に歴史ありだな!?
「ま、話はともかく冷めないうちに食べてくれ」
「あ、うん。いただきます!えっと、主食はコルカ……?」
「コルカノン」
「そうそう、そのコルカノンが主食で良いのかな」
パンもライスも出ていないテーブルを見て、至って日本的な食事になれている設楽はついつい主食を探してしまう。
「あぁ、多分そうなんだろうな。あんまり今まで考えたこと無かったけど。てか、ジャガイモ多すぎだよな……。スタッフドポークもジャガイモ巻いてるし」
「そっか。当たり前に食べてると、そういうもんかもね、きっと」
そう言いながら、ポークにリンゴのソースを塗って食べてみる。肉にジャム!?と思ったが、食べてみると、ほとんど加糖していないリンゴのソースは爽やかな酸味があり、こってりした肉に良く合った。
「おいしい!初めて食べたけど、甘酸っぱくて美味しいね、先生!」
「そうか?良かった」
大竹はホッとした顔をして笑うと、自分も安心したようにフォークを手にした。
「これ、作るの大変だったんじゃない?」
「まぁ、昔はヘルガの手伝いもしてたから、手順は大体分かってるんだけど、それより初めて自分で作ったから、味付けが心配で……」
なんだか恥ずかしそうにソワソワと食事をする大竹に、そんなにミックスカルチャーの雰囲気は見られない。だが言われてみると、何事にもあまり偏見を持たないフラットさとか、他人の意に流されずに自己主張する様子は、日本人には珍しいのかもしれない。
「ニンジンのポタージュも、生姜が効いててすごい美味しい。これ、でも子供には好き嫌いが別れるところじゃない?」
「そうか?俺達、あんまり好き嫌い無かったからなぁ……」
そりゃ、それだけ色んな国の食事を摂っていれば、好き嫌いはなくなるのかもしれないが……。
「あれ?そう言えば、じゃあ先生ってその人達とは何語で喋ってたの?先生、ひょっとしてマルチリンガル?」
「イヤ、同国人同士の時なら母国語話すんだろうけど、みんなでいる時は普通に日本語か英語だぞ?」
「え?日本語?」
外国人同士が集まって日本語を喋っているという図が、あまり想像できない。英語ならどこの国の人でも話しそうなものだが……。
「そりゃそうだろ。外国人って言ったって、英語喋れない奴らだって結構いるし。逆に日本に住んでんだから、いくらかは日本語喋れなかったら生活できないしさ。そしたら共通言語は普通に日本語になるさ。ただヘルガは専業主婦な上に周りに英語喋る奴が多すぎたせいか、あんまり日本語喋れなくてさ。まぁ他にも仲良いのがアメリカ人とドイツ人だったから、俺らガキの頃から英語は何となく喋ってたけど。でもお前の方が喋れんじゃねぇの?お前、帰国子女ばりに話せるって聞いたぞ?」
設楽の勉強の手助けはいくつかしてきたが、英語だけは全く手伝う必要ないほど、設楽は英語の成績が良い。文法だけでなく、発音もヒヤリングもほぼ完璧だと聞いている。
「あぁ、それはほら、父さんの2番目のお姉さん、アメリカに嫁いだって話、田舎で聞いたでしょ?そこの従兄弟達、日本語あんま喋れないくせにジャパニメーションとアイドルオタクで、毎週毎週情報寄こせって、スカイプかけてきて大変なんだよ!俺も最初は英語分かんなかったんだけど、あいつら興奮すると全部英語になっちゃって。必然的に俺が英語覚えちゃった」
大竹はそれを聞いてニヤリと笑うと、英語で『じゃあ俺達、外国で式挙げて、そのままあっちで暮らせるな?』と囁いた。
『マジで!?オッケー!俺はどこの国でも付いてくよ!?』
2人はそのままおかしそうに笑うと、どちらからともなく机を挟んでキスをした。
『じゃ、続きは食べてからね?』
『おう、さっさと食べてくれ』
その後設楽は初めて食べるアイルランド料理に歓びながら、大竹の昔話を聞きたがった。大竹がどんな人たちとどんな風に過ごして来たのか、興味を持つなという方が無理な話だ。
昼間は家でゴロゴロしている「ちょい悪オヤジ」達が、大竹が帰ってくると開け放した窓や玄関からだらしない格好でニコニコと手を振ってくること。その「ちょい悪オヤジ」達が夜には近所の飲み屋やレストランでスラリと格好良く給仕なんかしていて、きざったらしくウィンクしてくること。アメリカ人のジェイクに英語の宿題を聞こうとすると「申し訳ないがそんな文法は聞いたこともないね」と憤慨すること。ラーメンの汁を残すと「それはスープなのだから、スープは全て飲むのが正しいだろ」と、ドイツ人のシギーが怒り出すこと。メキシコ人のリカルドがシシトウを買ってきては「日本の青唐辛子は全く辛くない」と哀しそうな顔をすること。
大竹がお祝いのシャンパンを片手につらつらと思い出話をすると、設楽は楽しそうに大笑いしながらもっともっとと話をねだる。
大竹の子供時代を想像しながら料理を食べていると、コルカノンに刺したフォークにかちんと何かが当たった。
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