17:騎士と姫君

 テスト対策の付け焼刃に必死になっていたせいで、もう12月に入り完全な冬になってしまったと気付いたのは、テストが終わってからのことだった。全力を振り絞ってほとんど抜け殻となっていた花乃は、順番に返却されたテストの点数もまともに見ることなく、ぼんやりと感慨にふけっていた。短大にも無事に合格して、あとはこのまま卒業するだけ。最後の冬休みはなにをしよう、ということに頭を巡らせていた花乃は、英秋がいつもの笑顔で言い放った言葉を聞いて目を見開いた。

「今回50点以下を取ったヤツは、12月冬休みの合同補習に来てもらうからなー」

「やっだー先生、この時期にこの授業で50点以下なんてとる人いないですよおー」

 女生徒たちがきゃあきゃあと騒ぎながら笑う。隣の女子からは、わざと悪い点をとって補習に行けば良かった、などともらす声が聞こえてくる。そんな周囲と比べると、見ているものが冗談としか思えなくて、花乃は無意識のうちにごしごしと目を擦った。

(うそ)

 花乃の答案に大きく書かれたのは、無情の「48点」。

 思わず顔を上げた花乃に向けられた、彼の勝ち誇ったような微笑。

 点数の下には、英秋の流麗な字で一言、「残念でした」――と、書かれていた。



「花乃ちゃん、最近元気なくない? なんか、ぼうっとしてることが多い気が」

 とは、姫に懸想する健気なクラス委員長の言。

「あ、あたしもそう思った。でもさあ、聞いても『何でもない』としか言わないのよね、あの子」

 とは、姫の親友かつ世話係をかねた友人の言。

「こういうときは、あの子の騎士ナイトにまかせるしかないんじゃない?」


 というわけで、現役ナイトの佳乃のもとに花乃の不調が届けられたのは、2学期終業式後の休み時間のことだった。珍しく3組までやってきた千歌がおもむろに切り出した言葉に、佳乃は目を見開いた。「花乃がおかしい?」

「うん。何か、どんよりしてるっていうか、思いに沈んでるっていうか、ため息ばっかりついてる。悩みごとでもあるのって聞いたら何もないとしか言わないんだけど。ヨシ何か知らない?」

 佳乃は瞬きをして、ただ首を振った。思い当たることなど何もなかった。家では柔らかな微笑みと一緒に紅茶を淹れてくれたり、夕飯の席で他愛ない話で盛りあがったりと、完璧にいつもの花乃でしかなかったのだ。そこには憂いの一片も見えなかった。

 半ば信じ難い心地ながら、佳乃は念入りに尋ねた。「いつからおかしいの?」

「うーん……しばらく前からかな。この間の英語の授業のあとが1番ひどかったよ。真っ青な顔して、しばらくはあたしの声も聞いてないような状態だったもん」

「英語……」

 よほどテストの点が悪かったのだろうか、と考えて佳乃はすぐにその考えを打ち消した。花乃は自分と違って、テストの点などに左右されるようなやわな神経の持ち主ではないはずだった。良くても悪くても「こんなものだよ」で済ませる、簡潔というか無頓着というか――まあそういう性格なのだ。

「そういえば、あの子最近よく英語のテキスト持って問題聞きにきてた。受験もないのに、珍しく勉強熱心なんだなって思ってたけど……何か関係あるのかな」

 千歌はうーんと唸って首をかしげる。「あたしは花乃と英語のクラス違うからなあ。でも確か花乃のクラスって、磐城先生の担当でしょ。女子曰くの『ファーストクラス』」

「磐城? ファースト?」

「ホラ新しく来たじゃん、英語の山口センセの代理の。どえらいカッコイイ上にすごい優しいから、女子がもう大騒ぎでさー。ちなみに他のクラスはエコノミー」

 佳乃は引きつった顔で笑った。その教師の噂は聞かなかった訳ではないが、まったくもってバカバカしいことだとしか思えない。いくら見栄えが良くたって所詮教師は教師、本気で女生徒たちはその教師が自分とどうにかなるとでも思っているのだろうか。

「あっそ」

 まったく同意する気のない返答に、千歌は声を上げて笑った。「チョー無関心だな! まあヨシには素敵な彼氏がいるからな~、彼以外は男に見えませんか」

「そんなんじゃないっての。第一あたしその磐城とかいう先生の顔知らないし、それに千歌だってたいしていれこんでないみたいじゃない。そう大した先生でもないんでしょ」

「え、あたし?」

 千歌は驚いたように肩を竦めて、すぐに破顔した。「そう――そうかもね、あたし目が高いから」

 そこでHR前の予鈴が鳴り、購買に間食を買いに行っていた夕子が戻ってきた。千歌は夕子と他愛のないお喋りをしてからくるりと踵を返し、佳乃に目配せをした。「じゃあ、よろしくねヨシ」

「わかった、さりげなく花乃に聞いてみるわ」

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