18:騎士、奮起する
予備校から家に帰る道すがら、佳乃は自分なりに花乃の不調を頭の中でまとめてみた。
(しばらく前、新しい人気のある先生、英語の問題……英語の自主勉強、テストの結果……)
なにか、もやもやと形のないものが浮かんでくる。
(人気のある先生、自主勉強、テストの結果に凹む……?)
・・・・・・。
恋。
頭の中にたちこめた霧の隙間からそれを掴んだ瞬間、佳乃は往来だという事も忘れて絶叫していた。
「うそよ――ッ! あたしの花乃が、まさかそんなバカなっ!」
我ながら最も信じたくない想像ではあったけれど、一旦それに気付いてしまえば、見事に連結したキーワードはもうそれ以外のどんな予想も受け付けなかった。人気のある優しくて格好いい先生に恋をした花乃は、少しでも好印象を与えようと英語の成績を上げようと必死で勉強し、しかしテストでは思ったような結果が出せずにとてもショックを受けた――ほら、なんという一致。
(かかか、花乃が恋……! しかも相手が先生だなんて、そんな、うそようそよ考えすぎよ)
頭を抱えて佳乃はうめいた。叶わぬ相手に恋したばかりに、花乃の初恋の思い出はずたぼろ、なんてことだけは絶対に避けなくてはいけない。自分がどれだけ辛い思いをしたか解っているからこそ、花乃にだけは報われない恋をさせてはならないと佳乃は強く思いこんでいた。
(とにかく聞かなきゃ、なんとかして聞き出さなきゃ!)
佳乃はいてもたってもいられずに、全速力で花乃の待つ家に向かって走った。
「おかえり、おつかれさまあ、よしのちゃん」
いつものように玄関まで出迎えに来た姉に、佳乃はぜえぜえと息を切らしながらも可能な限り平静を装って微笑んだ。「た、ただいま……。つ、疲れた寒い……ごはん……っ」
「用意してあるよ~。今晩はね、おなべ! あったまるよ」
朗らかに笑う花乃は、やはりいくら注意して見ても変わった様子はない。もしかして本当に考えすぎなのだろうかといぶかしみながら、佳乃はおそるおそる口を開いた。
「ねえ……そういえばさ、二学期の成績はどうだったの? 上がったんじゃない、英語とか――あれだけ勉強してたんだしさ」
ぴくりと花乃の頬が動いた。いきなり地雷を踏んでしまったことに気付き、佳乃はあわてて冬休みの予定のことに話題を変えたが、花乃は突然黙りこくって俯いてしまった。「か、花乃……?」
「わたし、あしたから補習行かなきゃいけないの。23日までずっと学校……。ごめんね、佳乃ちゃん、せっかく受験前の大事な時間つぶしてお勉強おしえてくれたのに」
真っ青になった花乃に慌てふためいた佳乃は、自分の軽はずみな言動を呪いながら何とか話題転換をしようと試みた。「だ、大丈夫よ! 23日までなんてすぐに終わるって! ほ、ほらそのあとはさ、クリスマスとかあるし。花乃はデートとか誘われてないの?」
「でーと?」
「福原クンとかさ、紫の上親衛隊の誰かとかさ、どうなの?」
花乃はきょとんとしたまま黙って呆けている。これだけもてるという事実を知ったにも関らず、その鈍さは相変わらずなのだった。そんなこと考えてみたこともなかったという風に目をしばたく花乃を見て、佳乃は花乃の恋愛の範疇に忍や紫事件の彼らがいまだ存在しないことを知った。
(ああ、お気の毒に忍くん……って、待てよ……じゃあまさか)
高なる心音をおさめるべく佳乃は鼻から深く息を吸い込み、再び核心を口にした。
「ねえ。花乃の英語の先生、すごい優しくて格好イイって聞くけど、本当?」
次の瞬間。明らかに花乃の顔色が変わったのを、佳乃は目の当りにする羽目になった。
(び――ビンゴ!?)
衝撃を受けた佳乃が立ち尽くす前で、花乃は青くなった顔に手を当てて考え込む仕草をし、いくらか躊躇したのちにようやく答えた。ひどく小さな声だった。「うん、に、人気はあるみたいだよ……」
明らかに動揺している花乃を見て、佳乃は大いに狼狽した。そろって真っ青になった二人はそれきりろくな会話もせずに夕食を済ませて、それぞれの部屋へ閉じこもった。
(ど、ど、どうしよう)
着信音が鳴り、落ち着きを取り戻さぬままかたわらのスマホを取った佳乃の耳に、穏やかな声。それが拓也だということはすぐにわかったが、佳乃の心はそこにあらずだった。
『どうかしたんですか?』
「ど、どうもこうもないのよ……ああ、どうしようー花乃が悲しむのはいやー」
『花乃さんが? 一体何があったんですか』
「だからそれをあたしが今整理してるんじゃないの。ああーもう、ごめん今アンタと喋ってる場合じゃないのよ、切るわねっ、じゃっ!」
ぶちっと容赦なく電源を切り、佳乃は腕を組んで唸った。彼女がテスト前だったせいで電話も許されず、ようやく一週間ぶりに声を聞こうとすれば1分で切られるあまりに不憫な彼氏の存在すら、すでに佳乃の脳内にはなかった。
どうすれば花乃を不幸な恋から救うことができるのか。
(だめ、これ以上深入りさせるワケにはいかない! こうなれば徹底的に忍くんをバックアップするしかないわ――そしてその前に、確かめなきゃ……!)
クローゼットにしまいこんだ制服のブレザーを引き出して、ハンガーにかけ直す。念入りにしわのチェックをして、いつもの通学カバンから教科書を抜き出して、できるかぎり軽くする。
(諸悪の根源、磐城とかいう先生をこの目で見てやる。花乃は毎日その先生の元で補習だもの、新学期まで悠長に待ってられるもんか!)
目覚ましセット、AM7:00。いつも通りの時間。
姉の不幸な初恋を是正すべしと強く思いこんだ妹の、ひそかな奮闘が始まった。
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