09:女の子の対策・1

 だって、知らなかったの

 まだ、とおくとおくに浮かんでるものだって思ってたから

 こんなに突然に目の前に落っこちてくるものだなんて



「……ん?」

 瞳に狙いを定め、痛いほどに見つめてくる忍の視線を真っ向から見返しつつ、花乃はとりあえず得意の微笑を浮かべてみた。今の言葉が聞き間違いでなければ、ありがたい言葉に変わりはない気がするのだが、念の為に花乃はもう一度それを反芻した。「……わたし? 好き?」

「そうだよ。オレは、花乃ちゃんが好きなんだ」

 気の抜けた花乃の返答は覚悟の上だったのか、大して恥じる様子も困惑する様子も見せずに、忍は根気よく繰り返した。どこか開き直ったような、いっそ堂々とした宣言だった。

 花乃はしばらく笑顔のまま忍を見返していたが、やがてひとつこくりと頷いた。

「うん、ありがとう。わたしも、福原くんのこと、すきだよ」

 あっさり、という音が聞こえそうな口調で花乃は言い放った。


「へ……? ほ、ほんとに?」

「うん。福原くんのこと嫌いになれるひとなんて、きっといないよ~」

 忍はあまりに願ったり叶ったりの返答にしばし呆然として花乃を見返していたが、どうやら自分が決死で振り絞った勇気は、自分の意図するところとは違う方向へ折れ曲がって花乃の中におさまったのだということに気がついた。要するに『いいひと』として好きだといわれたのだ。

 今にもがっくりと廊下に伏せたい気分をこらえて、忍は花乃の手を握る指に力をこめた。

「花乃ちゃん……そうじゃなくて」

「うん?」

「ええと……だからさ、たとえば、オレは、花乃ちゃんといると、こう、ドキドキするわけ」

 ライバルを出し抜くまでは守備よくいったのに、まさか本人に向かって気持ちを伝えることにこんな苦労を強いられるとは思わなかった。しどろもどろになりつつ必死で今の気持ちを言葉にしようとすると、簡単な告白には全く動じなかった緊張が一気に張り詰めて、忍は自分の顔が赤くなるのを感じた。

「で、何ていうか……こう、いつでも会いたいって思うし、会えたら嬉しいし、いろんなこと喋りたいし……こんな風に手とか髪とかに、触りたいなあって思ったり……あー、もう」

 どんどん熱くなる顔を左手で押さえて、指の隙間から花乃を覗き見る。花乃は呆然と気の抜けた顔で忍を見返していた。とりあえずあの鉄壁の微笑は消えた。あとひと押し、と自分に言い聞かせて(あくまで意思の疎通までの話だが)、忍は息を吸った。ほぼやけくその勢いで。

「そういうのって、花乃ちゃんが思う『すき』とは違うだろう? 要するに、オレは、花乃ちゃんに恋愛感情を抱いているわけ。あわよくば付き合ってほしいとか思ってるんだよ、わかる?」


 すき、好き、スキ――

(どれ? どれが恋?)


「え、え、え」

 1秒ずつの沈黙を挟みながら、花乃は3度ぱちぱちと瞬きをして奇妙な声を上げた。

「恋愛感情って……福原くんが、わたしに? つきあうって、わたしと?」

 混乱して目を白黒させる花乃に、忍はどこか途方に暮れたような苦笑を返す。

「さっきからそう言ってるじゃん……」

「だってあんまり突然で……だって、恋って、つきあうって、神崎君と佳乃ちゃんみたいになるんでしょう?」

「いや、あの二人みたいになるのはどうかとも思うんだけど……」

「え、だって、だって」

 花乃の頭の中は真っ白になって、何も考えられなくなった。

 今まで過ごしてきた18年弱、一度もこんな風に恋愛に直面することなどなかったし、まさかこんなに突然他人によってもたらされることがあろうとは思ってもみなかった。しかも、誰からも好かれる人気者のクラス委員長の忍が、自分を恋愛対象として見ていた――?

(福原くんのことは大好きだし尊敬してるし、でも、でも)

「ああ、まって、そんな慌てないでいいんだよ」

 頭から煙でも吹き出しそうな勢いで混乱している花乃を見かねて、忍が両手をひらひらと振る。花乃が涙目で見上げた忍は、どこか切なげで困ったような顔をしていた。

「花乃ちゃんがオレのことそんな風に見てないってのも知ってるから。ゆっくり考えてくれればいいんだ。今はオレが花乃ちゃんをそういう風に見てるってこと、わかってくれたらそれでいいんだ」

 その言葉で花乃はようやく落ち着きを取り戻し、じっと忍を見つめたあと、頷いた。

「……うん、わかった」

「よかった。困らせてごめんな」

 ふっと左手が冷たくなって、今までずっと握られていた手が離れたのを知る。

 その時ふと心にわいた感情がどこか寂しさに似ている気がして、花乃は少し驚いていた。

(こんなに、近くにあったなんて知らなかったよ……)

 どうしよう。

 なんだか、ドキドキしてきたみたい。



 結局、佳乃と拓也が屋上から出てくるまで、二人は他愛のない世間話をして過ごした。

 実際のところ花乃の頭の中はそれどころじゃなかったのだが、寛容な忍のフォローと誘導でどうにか会話らしきものは成り立っていた。舞台に対する労いや、来週からの授業やテストの話、新しく赴任してくるらしい英語の教師の話などを話しているうちに、やがて校庭の喧騒が一気に膨れあがってから突然ぴたりと途絶えた気配がして、ようやく後夜祭が終わったのだと予想がついた。屋上のドアが開いたのはその直後だった。

 佳乃と花乃は男子二人に別れを告げ、並んで帰路についた。


「佳乃ちゃん、なに怒ってるの……?」

 何度話しかけても返ってくるのはおざなりな返事ばかりで、花乃は勢いよく闊歩する佳乃の数歩あとからおそるおそる尋ねた。怒らせた覚えがないだけに、不可解で何となく恐ろしい。

 佳乃は憮然とした顔で振り向き、唇を尖らせた。

「余計な気を回してくれたじゃないの、お箸忘れたなんて嘘ついて屋上に閉じ込めるなんて!」

「だって、神崎君が行く前に二人きりでのんびり過ごしてほしかったんだもん。迷惑だった?」

 悪びれた様子などまったくないにも関わらず、潤んだ花乃の目は佳乃の些細な反撃をいとも簡単に跳ね返して、佳乃を無言で唸らせた。「……め、迷惑っていうわけじゃ……ないけどっ」

「本当? じゃあ喜んでくれたんだ、よかったあ! 福原君と一緒にサプライズ考えた甲斐があった~!」

 佳乃はぐるると唸りながら、横目で嬉しそうに飛び跳ねる花乃を見た。その忍に担がれていたことなど全然気付いていないのか――いや、忍は勇気を振り絞ったのではなかったのだろうか。

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