08:男の子の画策・2
忍は驚いたような顔をして、それからかすかに苦味の混ざったような珍しい表情で笑った。「いや……そんな、お礼を言われるようなことはしてないよ」
実際は引け目があってこその答えだったのだが、何も知らない花乃にとっては謙虚を極めて聞こえた。そのため花乃はムキになったようにかぶりを振って捲し立てた。
「してるよ。こんなに親切な人、他にいないもん」
花乃はまっすぐに忍をみつめて、真摯に問い掛けた。「ねえ、ホントに後夜祭出なくていいの? 福原くんに勇気を振り絞って告白してもらえる人なら、絶対断らないんじゃないかなって思うの。その子絶対幸せだよ。今からでも遅くないよ、行ってきて? わたしここで見張ってるから」
仕掛けられた地雷は、踏ませたのか踏まされたのか。
「……花乃ちゃんは、勇気を振り絞って告白してほしいって思う人はいないの?」
思い掛けないことを尋ねられて、花乃はきょとんとして忍を見返した。
忍はほんのかすかに笑っているようだったが、いつものそれと比べれば無表情に近いくらいの顔をしていた。どことなく怪訝に思いながらも、花乃は素直に頷いた。
「うん……今はね。前は、後夜祭で誰かに告白されないかなって考えるの楽しみだったんだけど、佳乃ちゃんと神崎君を見てたら、そんなこと関係ないんだって思ったの。本当の恋ってやっぱり自分で見つけるものだって。だから佳乃ちゃんが羨ましい」
泣いて喚いて、ぼろぼろに傷付いても、あきらめなかったかたわれの恋。
いまの自分の心のどこを探しても存在しないもの。それをたったひとつ持っているだけで佳乃は驚くほど強く綺麗になっていった。ただそばで見ていることしかできなかったけれど、妹に映し出された恋の威力をまのあたりにしたことは、少なからず花乃にも影響を与えたのだった。
「わたしもいつか、わたしだけの素敵な恋ができるといいなあって思うんだけど……そのためには、まず好きな人を作らなきゃいけないよね、えへへ」
「……なあ、花乃ちゃん。オレ、そんなにいいひとじゃないんだよ」
階段の向こうを見つめたまま、どこかが軽く引き攣れた声で忍は呟いた。
「聖人でも何でもないし、親切心だけで生きられる人間じゃないんだ。だからちゃんと――ちゃんとって言うのもおかしいけど、負い目とか、自分の欲求とか、そういうので動いてる。そんな風に、何ひとつ疑わずに人を信じられる花乃ちゃんはすごいし……ある意味ちょっと、オレみたいなのには残酷かもしれないな」
「えっ、わたし、福原くんに何かひどいことした?」
花乃は仰天して忍を見返したが、忍は振りかえらなかった。「そういう意味じゃないんだ……たとえば、オレがこんな風に拓也と佳乃ちゃんの仲を取りもとうとしてるのは、純粋に二人のためだけっていうわけじゃないってことだよ。二人に対する贖罪と、単純な自分の欲求が混ざってる」
普段は見ることのない切羽詰った忍の表情に引き込まれるように、花乃は尋ねた。「贖罪?」
鸚鵡返しに尋ね返したものの、花乃の頭の中では『しょくざい』を漢字に変換するのに結構な時間がかかったのだが、その間にも忍は小さな声で話しはじめていた。
「……オレ、修学旅行のときに佳乃ちゃんをひどく傷つけたことがあったんだ。拓也にも迷惑をかけた。混乱してたんだ。真面目に人を好きになるのってオレにとって初めてだったし、まだその自覚もなかったから、オレは佳乃ちゃんが好きなんだって思いこんでた……思いこもうとしてた」
花乃は目を見開いて、忍の話を聞くので精一杯だった。あの修学旅行に、まさかそんなことがあったとは思わなかった――けれど、思い返せば拓也は花乃に言ったのだ、「佳乃に対する気持ちを確かめたい人がいるから、協力してほしい」――あれは忍のことだったのだろうか。
忍がなぜ今そんなことを話すのか、最終的な目的地が読めないまま、花乃は黙って忍の言葉の続きを待った。忍は息を吸って、再び口を開く。
「けど違ってた。拓也と佳乃ちゃんに言われるまで気付かなかったのが情けなくて仕方なくて、傷付けたことを今でも悔やんでる。だから、その償いを少しでもしたかったんだよ。それから」
そこでやっと、忍は花乃に向き直った。ひるむことなく、まっすぐにその視線を花乃の瞳に据えた。あまりにも強い眼差しでとらえられ、視線を外すことは許されない気がした。
(福原くん……?)
「オレが、花乃ちゃんといたかったから――誰にも、奪われたくなかったから」
掌に宿っていたほのかな熱が、急に上がっていく。
重ねられた手に驚く暇も与えず、忍は今までためてきた全ての想いを振り絞った。
最後の祝宴の終幕、炎を囲む歓声を遠くに聞きながら。
「オレは、花乃ちゃんが好きなんだ」
眠り続けていた心の中の小さな『わたし』。
そのまわりで、はじめて何かがはじける音がした。
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