07:男の子の画策・1
その前の晩、がらんとなった部屋の床に座って読書をしていた拓也の携帯が鳴った。
携帯のディスプレイに表示される見慣れた名前。この名前を確認すればすぐに留守電に切り変えて、絶対に電話を取らないのがこのところの拓也の日課だった。だが、ごく機械的な着信音を3回ほど聞き流したところで、拓也は通話ボタンを押した。実に一ヶ月ぶりのコミュニケーションだった。
『今日は絶対出ると思ったよ』
開口一番にそう言った相手の声からは、かすかに笑っているような気配が感じられた。拓也はむっとして、取るんじゃなかったと思いながらひややかに応対した。「こんな時間に何か用ですか」
『明日は文化祭最終日だろう? 拓也は来れないのか?』
「あいにくと忙しいんです。それに僕はまだあなたを許したわけじゃないですからね、忍」
『なんだよ、万事丸く収まったんだからいいだろ! それに彼女を泣かせたことを怒るんなら、お前だってそうじゃないか。今まで佳乃ちゃんを不安にさせまくってさ』
痛いところをつかれて拓也は押し黙った。それに勢いを得たのか、電話の向こうの友人はからっと声音を変えた。『そんなことはまあ置いといて。そう明日は最終日なんだけどさ、後夜祭があるんだ。ま、来れないっていうなら仕方ないけど――拓也は知ってるか? 後夜祭のメインイベントのこと』
とても仕方ないとは思っていないような忍の明るさを怪訝に思い、しぶしぶ拓也は尋ね返した。「……ただのファイアーストームでしょう、それが何か」
『焚き火を囲んで語り合うだけのイベントだと思うなよ。前までは普通に文化祭の感想や反省を発表し合う場だったんだけど、何年か前に、クソまじめだった生徒会のメンバーが何を思ったか片想いの女子相手に公開大告白をやらかしてさあ』
「……」
『そいつがうまくいったもんだから、何人も勢いで続いて、いつの間にか後夜祭の裏メインイベントになっちゃったってわけ。拓也は転校生だから知らないと思ったよ、これ毎年3年がお祭騒ぎみたいにして必死になるんだけどさあ』
なんとなく胸の内にいやなものが混じり始めて、拓也は正直聞いたことを後悔した。ここで動揺すれば忍の思うつぼだということは何となくわかっているのに、勝手に動いてしまう感情はどうしようもない。かくなれば電話の向こうの相手に悟られないようにするのみ。――だが。
『……佳乃ちゃん、多分人気出るんだろうなあ~』
やられた、と拓也は思った。
たたみかけるようにして、忍は佳乃の努力や藤壺への見事な変身のさまなどをとうとうと語り尽した挙句に、疲れ果てている拓也に向かって言い放った。
『で、面白くないだろう? やっと自分になついてくれたばっかりの小鳥に、横から網投げられるのはイヤだよな~。だからさ、花乃ちゃんに協力してもらって屋上あたりに佳乃ちゃんを連れ出して来るから、拓也も明日来たらどうだ? あ、べつに、無理にとは言わないけどな?』
拓也は大きくため息をついた。誰にでも人当たりのいい優等生の友人を甘く見ていたのは、自分の方かもしれない。
「……それが目的ですか。溢れかえるライバルを出し抜くために、僕らをダシにして花乃さんを後夜祭から連れ出そうなんて、あなたもたいがいキツネですね、忍」
『人聞き悪いな。どうせ振り絞るんなら、邪魔されたくないだけだよ』
そこでしばらくの沈黙があり、吹き出したのは、二人同時だった。
「オーケイ。じゃあ、明日17時、屋上にてスタンバイ」
それは、小さな恋の行方を守るため、真夜中に交わされた男の子同士のひそかな密約。
***
「福原くん!」
屋上のドアの前に座り込む忍を見つけて、花乃は階段の下から手を振った。ぱたぱたと軽く駆けて来た花乃を微笑んで迎えてから、忍はふいに唇に人差し指をあて小声で囁いた。
「しっ、うまくいったよ。いま二人でいる」
「ほんとう? 良かった、佳乃ちゃん喜んでくれたかなあ」
喜んでいるとは到底思えないような怒鳴り声が先ほどドアの外まで聞こえてきていたのだが、今はそれもなくただ静かだった。拓也がうまく丸め込んだらしいことに感謝しながら、忍はごく自然に座っていた場所をずらし、花乃の座れるスペースを作った。つられるようにして、花乃は素直にちょこんと座り込んだ。忍のそばは暖かくて居心地がいいことを、花乃もすでに無意識のうちに理解しているのだった。
「福原くんは、後夜祭出ないの?」
「うん、とりあえず、しばらくはここを見張っておこうかなと思ってね」
「あ、じゃあわたしもそうするよ」
「共犯者だしな?」
悪戯っぽく目を細めて顔をのぞきこまれ、花乃は笑いながら頷いた。
もたれた屋上のドアはひんやりと冷たかったが、3日間続いた舞台の熱がまだ体の芯に残っているのか、頬も手も、そして心もほのかに温かい。
膝をかかえ、花乃はにこにこしながら忍を振り返った。
「わたし、佳乃ちゃんが幸せになってくれるのが一番嬉しい。だから福原くんがこんな風に親身になってくれたこともすごく嬉しいの。やっぱり頼りになるね、ありがとう」
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