05:祭の終わりと始まり

「佳乃ちゃん、明日の後夜祭出る?」

 ごくさりげなくを装いつつ、花乃は風呂上がりにリビングにやってきた佳乃を捕まえて尋ねた。

 尋ねられた佳乃は、パジャマで牛乳パックを手にしたまま首を傾げる。

「あたしはどっちでもいいけど。花乃が出るんなら出るよ。楽しみにしてたじゃん、後夜祭のイベント」

「えっ……そ、そうだっけ?」

「去年から言ってたでしょ、わくわくするって。あたしは興味ないけど、まあ花乃なら退屈はしないはずよね。あちこちから散々『振り絞られる』わよ~」

「わたしが? まさかあ。見てるだけで楽しそうだから参加してみたかっただけだよ」

 花乃は素で驚いたのか、頓狂な声を上げた。このイベントの場合、残り火を『振り絞る』のは男子生徒と決まっていて、女子生徒は『振り絞られる』対象に徹するのみだった。それでも半数くらいの女子は、関与することもできずにその様子を見守る羽目になる。花乃は最初からそのつもりらしい。

(この子、ホントに鈍いんだわー……忍くん、どうするんだろう)

 余計なお世話とは知りつつも佳乃が忍に少し同情していると、花乃は突然小声で言った。

「神崎くん、明日舞台見に来たりしないかな?」

「さあ……でもなんか親戚回りで忙しいみたいだし、後夜祭には学生しか参加できないんだから多分来ないわよ。あれでも、もう退学しちゃったんだしね……」

 ほんの少し寂しそうに呟く佳乃を見て、花乃は胸のうちでまだ迷っていた作戦への密かな決意を固めた。そしてそのために必要な事は、まずあらかじめ聞いていた忍の携帯に電話をかけることだった。会話も早々に切り上げて自分の部屋へ戻った花乃は、すぐに忍へ連絡を取った。

「わたし明日絶対佳乃ちゃんを連れていくから。福原くん、よろしくね」

 了解、と軽快に答える受話器ごしの声が頼もしくて、その夜花乃は思いがけず忍と他愛のない話で長電話をしてしまう羽目になった。


***


 千秋楽の舞台。最終日は、源氏の死を予感させる『雲隠くもがくれ』の巻で幕を閉じる。

 藤壺の出番は昨日ですっきりと終わっていたが、アンコールで全員出なければいけなかったため、佳乃や他の出番を終えたキャストたちも一日控え室にスタンバっていた。花乃は終幕近くまで出番がありなかなか休む時間もなかったが、衣装替えの際に翔子と千歌にばったり遭遇することができた。二人とも出番を控えて、あでやかな女房装束に身を包んでいた。

「うわーキレイキレイ! 翔子ちゃんよく似合うねー、明石姫君! 千歌ちゃんは……」

 まじまじと見上げた千歌は、見なれた花乃ですら驚くほど可憐な大和撫子だった。見るからに元気で明るそうな明石姫君役の翔子と対象的に、薄幸を背負った落葉宮が容赦なくはまってしまうほど、しっとりとした雰囲気を湛えている。普段とのギャップにあまりに驚いた花乃が声も出せずにいると、続きを聞く事もなく千歌はさっさと舞台へ行ってしまった。

 慌てて着替えてそのあとを追うと、舞台袖からはちょうど夕霧と落葉宮のシーンが見えた。

(あ、夕霧って吉村君だったんだ)

 高澄といえばいまだに翔子の彼氏、というイメージが咄嗟に浮かんできてしまう。それほど二人は仲がよく、誰からも羨まれるカップルだったのだ。それなのに、修学旅行の最中にそれはいきなり破局をむかえてしまった。誰もが驚いた事件だった。

(翔子ちゃん、どんな気持ちで吉村君を見てるんだろう……)

 高澄も千歌も、堂に入った演技で見るものを魅了した。二人が並ぶのはこのワンシーンだけだったのでろくに練習出来なかったにもかかわらず、舞台に通う空気はこのときの夕霧と落葉宮の微妙な愛憎を見事に表現していて、キャストたちを驚かせた。

(すごいなあ……本当にみんな頑張ってるんだ。わたしも最後まで頑張ろう)


 そしてその意気込みの甲斐あってか、舞台は15時過ぎに無事閉幕。

 学祭にあるまじきスタンディングオベーションまで起こり、キャストたちはアンコールの舞台上で抱き合って大泣きし大笑いし、最高の思い出が作れた事を誇りに思いながら、一斉に客席に向かって大きく頭を下げた。わっとわき上がる大歓声のなか、花乃は閉まっていく幕を見ながら呆然と立ち尽くしている佳乃に抱きついた。「佳乃ちゃん、お疲れさま! おめでとう!」

「花乃も……ホントに、三日間よく頑張ったね。すごかったよ、おつかれさま!」

「よしのちゃ……ありがとう……」

 佳乃に頭を撫でられて、花乃はしがみついたまま熱に呑まれるようにして泣いた。ついつられて滲む涙を拭う佳乃の前にキャストたちが次々とやってきて、ばしばしとその背中を叩いたり、頭をなでたりして口々に言った。「おつかれさま、二人とも本当に見事だったよ!」

 それは、佳乃や花乃にとって初めて学年全員で心を一つにして頑張った大きな仕事の終わる合図だった。泣き笑いの渦の中最後は3年全員で万歳三唱をして、最後の文化祭は終わった。


 さて、その余韻から最後のイベントに向けての転換は、恐ろしいほど早いものだった。客席が空っぽになるやいなや力仕事専門の男子たちは総勢で椅子をたたみこみ、舞台下の収納庫に次々に運び込んでいく。裏方たちは作った舞台セットを感傷も遠慮も一緒くたにべりべりと剥がして担ぎ上げ、火の種とするために駆け足で校庭に運ぶ。キャストたちは大急ぎで制服に着替え、掃除や後片付けなどを必死で手伝った。これほどまでに熱がこもる理由はただ一つ。

 17時の後夜祭開始に、何とかして間に合わせなければいけないからだった。

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