04:最初の魔法

 2日目のプログラムは、三十三巻『藤裏葉ふじのうらば』――天皇と院が二人揃って源氏の六条院への行幸をするという、彼の繁栄の極みを描いた第1部完結までを上演する予定だった。藤壺が出家したので佳乃の出番は減り、衣装も袈裟衣のみで随分と楽になったが、紫役の花乃は相変わらず出ずっぱりで、貴重な出番待ちの時間も衣装チェンジに走りまわるほどだった。何より、多少は機動性を考慮されているとは言え、着慣れない袿はとにかく重くて動きにくい。昔の人は大したものだと、キャストたちは顔を見合わせて笑った。

「明日はあたしも出なきゃいけないんだよねー、ああ憂鬱」

 花乃の衣装替えを手伝いながら、千歌がぼやく。

「千歌ちゃんは落葉宮おちばのみやだったよね、源氏さんの息子の……えーと、夕霧さんのお嫁さん。楽しみだなあ」

 紫とは直接接点のない役柄なのであまり練習をともにすることはなかったけれど、前回の衣装合わせでは千歌は驚くほど美少女になったという噂が飛びかっていた。もともと華のある顔立ちをしているくせに化粧っけがこれっぽっちもなく、女らしさを匂わそうとしないあたりが高じてあまり意識されなかったのだが、千歌は確かに美少女の類なのだった。

 張本人は、がりがりと額を掻いて皮肉めいた口調で呟いた。

「第二夫人みたいなものよ。本妻の雲居雁くもいのかりよりも身分は上だけどね。それがきっかけで、夕霧は雲居雁と険悪になっちゃうの。――奪う女かもね」

「千歌が奪うオンナぁ? ミスキャストもいいとこじゃない、千歌なら彼氏もライバル相手にのしつけてあげそうな感じするわよ、あっははは」

 女房装束に着替えた夕子が脇から口を挟んできて、一人で大笑いをしている。千歌はそれほど色恋沙汰からはほど遠い存在だと思われているらしい。だが笑われている本人は大して気に止める素振りも見せず、一緒になってからからと声を立てた。

「いやだー、あたしそんな豪快な女に見える? んー、でもあたし奪うことが悪いことだとは思わないかも。特に落葉宮は奪いたくて奪ったわけじゃないんだから、気の毒じゃない。好きでもない男と政略結婚させられた上に、本妻の逆恨みをかうなんて。……そんなのはゴメンだわ」

 最後の呟きは語尾がほんのかすかに掠れて聞こえ、花乃は顔を上げた。目が合った瞬間千歌はくるりと表情を変え、思い出したように花乃に言った。

「そういえば花乃、お姫様抱っこのご感想は?」

「えっ? なあに、それ」

 千歌と夕子は顔を見合わせてにやにやと笑い、嬉しくてたまらない様子で口々にまくし立てた。

「ホントに覚えてないの? そりゃ福原くんもラッキーだ」

「噂になってるわよー、あんたを抱き上げて保健室に連れてった王子さまのこと!」

「噂じゃ、もんのすごい美形だったって! なんともうらやましい経験よね~。覚えてないなんてもったいない」

「もー、福原くんにそれを聞いた時の顔ったら……っ、ぶくく、バレバレすぎてもう」

 二人はたまらないと言った様子でついには大声で笑い出し、何を笑うのか判らない花乃はますます困惑を深めるだけだった。倒れる前後のことはまったく記憶に残っていないし、忍の名前が出てくる理由には見当もつかない。ただぼんやりと……何となくだけれど、その時のふわふわとした感覚だけは覚えているような気がする。誰かに抱き上げられた感触だろうか。

 柔らかくて暖かな腕の中。そう、それから、間近で囁かれる少し低めの声も。

(あれが……わたしの、王子さま?)

 ことん、と胸が小さく音をたてる。胸元にお守りをひそませた制服の上着を無意識のうちに抱きしめて、その人にもう一度会いたいと花乃は強く願った。

 ――それは、こころにかけられた最初の魔法。


***


 2日目の舞台も、特に問題なく幕を閉じた。

 昨日の公演の評判を聞いてか客席はほとんど隙間もなく満席になっていて、立ち見まで出る盛況振りだった。舞台は午前中から夕方まで行なわれるのだが、連続で進むために客の入れ替わりはほとんどなく、そのせいで他の展示や野外の催場は閑古鳥が鳴いてしまい、暇になった店番や係が抜け出して舞台を見に来るというありさま。

 一方、3年生は3日間この舞台に関わりっぱなしなので、他の催しへの参加や屋台散策といった文化祭らしい遊び方は出来ないのだった。せっかくの高校最後の文化祭にそれは寂しい、と言い出した先代の生徒会が3日目の夜に行なわれる後夜祭をかなり派手なものに作り変えたことで、その不満は随分とおさまったのだが。

 そういう経緯から、2日目が終われば3年生の意識は徐々に祭りのクライマックスへと向かう。グラウンドの中心に大きな火床を作り、3年全員でそれを囲んでのお祭騒ぎ――というのが表向きの大意なのだが、実際のところは、裏にもう一つ大きなイベントがあった。

 後夜祭のスローガンは、誰が決めたのか、『燃え尽きる前に振り絞れ』。

 つまり、恥も外聞も捨てて、残った熱を大衆の前で“振り絞る”のである。

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