修学旅行・7日目<京都駅>

 今までで一番よく寝てしまった自己嫌悪に苛まれながら、佳乃は京都駅の新幹線ホームでぼうっとつっ立っていた。

 目覚めたときは、全てが夢だったと思った。いつも通り、忍を一目見るたびに胸をときめかせたり、拓也と遭遇して喧嘩したり、そういうことが普通にできるに違いないと思っていた。

 けれど朝食の時に忍と鉢合わせたとき、彼は慌てたように視線を逸らして声をかけてもこなかった。それを見て初めて、佳乃は全てが変わってしまっていることに気付いたのだった。

(寂しかったけど……こんなものなのかな)


「よっしのちゃあん!」

 突然大声で名を呼ばれて、佳乃は飛び上がった。花乃が大荷物を抱えてばたばたと佳乃の所へ駆け寄ってくる。佳乃は慌てて辺りを見渡し、サッと売店の陰に身を隠した。

「……どうしたの、佳乃ちゃん」

「名前を呼ばないで。アイツに会ったらどんな顔していいかわかんないのよ」

 ぼそぼそと小声で唸る佳乃に花乃は首を傾げ、隣にいた夕子を見上げた。その視線を受けて、夕子は肩をすくめた。

「この子の言うアイツって言うのは、どうやら神崎くんのことらしいんだけどね」

「……神崎くん?」

 花乃の声のトーンが微妙に変わったことに佳乃は気付いた。他の誰が気付かなくても、さすがに自分と同じ声だけあって、花乃の声に乗る感情だけは割と聞き取れる自信があった。

 それと同時に、しまったと激しく後悔した。今花乃の前で彼の話題を出すことは避けなければならなかったのだ。花乃は何も知らないばかりではなく、神崎の勝手な策略に乗せられた被害者なのだ――これでもし花乃が神崎に対して好意を抱いてしまっていたりしたら、もう収拾がつかない。

 佳乃は、昨日散々に使い果たしたものの、睡眠で少しだけ回復した勇気を早くも振り絞って、花乃に聞いてみることにした。

「花乃。ちょっと来て、話があるの」

「え、わたしに? わあ、何だろ」

「何よ、ズッルーイ! 花乃に言えて親友のあたしには言えないっていうのー!?」

 文句をわめき立てる夕子を後目に、佳乃は花乃の手を引いてホームの隅までやって来た。さすがにここまで来ると人気は少なく、誰かに聞かれる心配もなさそうだった。

 向かい合うと、花乃は大きな目をくるんと機嫌良く丸くして佳乃を見ている。この目で見つめられると自分がえらく後ろめたいことをしようとしている気になるが、ここでめげるわけにはいかない。

「花乃。あのさ……神崎のこと、どう思ってるの」

「神崎くんのこと?」

 花乃は少し驚いたようだった。けれどすぐに満面の笑顔を浮かべ、嬉しそうに言った。

「神崎くんはとてもいい人なんだよ。わたし、神崎くんの気持ちを全部教えてもらったの。本当に本当に素敵な人だよね、わたし神崎くんなら許せるなあって思ったの」

(な、なな何を許す気なんだ、花乃ー! いや、あたしのバカバカ、花乃がそんなこと!)

 心の中でとんでもないことを想像してしまった自分に幻滅しつつ、佳乃は目の前で浮かれている姉を見て愕然とした。花乃は明らかに舞い上がっていた。

(アイツ、やっぱり花乃まで口説いてたんだわ。花乃に対する言葉がウソなのか、それともあたしがやっぱりからかわれてたのか……どっちにしても、もう許せない!)

「花乃、よく聞いて。何を言われたか知ったこっちゃないけど、アイツの言葉は全部ウソよ、絶対に信じないで。大嘘吐きなんだから、ひっどい目にあうんだから、見かけに騙されないで!」

 必死で佳乃は言い募った。クソ眼鏡の毒牙にこの純真な姉を晒すわけにはいかない。もしヤツが本当に花乃のことを好きだったとしても、あたしにあんなことをした罪は重い。

「神崎くんは真剣だったよ、絶対に嘘なんかついてないよ。信じてあげて」

 花乃もまた必死だった。ダメだ、相当重症だ。

「花乃お、目を覚ましてよー! 騙されてるのよ、アンタ!」

「ううん、絶対にだまされてない」

 花乃はかたくなに首を振る。まさか姉がこれほど思いこんだら一直線型だったとは思わなかった。

 堂々巡りの言い合いに、ついに佳乃が叫びだそうとしたとき、花乃は言い放った。

「神崎くんは、本当に佳乃ちゃんのことが好きなんだから!」


 ・・・・・・。


 横たわる、大きな沈黙。遠ざかる喧噪、耳から放り出されるアナウンス。

「……いま、何てった?」

 とりあえず、もう一度聞き直すことしか出来なかった。

 佳乃の気も知らず、花乃は普段どこか抜けたような顔に必死で真剣そのものと言った表情を浮かべて、佳乃の肩を掴んだ。

「神崎くんはね、佳乃ちゃんのことが心配だから協力してほしいってわたしに言ってくれたの。和歌山行く日の前の晩にね、誘いに来てくれて、そのときに全部話してくれたよ。佳乃ちゃんにふさわしいかどうか確かめたい人がいるから、何も聞かずにしばらく一緒にいて欲しいって。結局最後まで、どうしてわたしが関係あるのかわからなかったんだけど……佳乃ちゃんのお姉さんだからかなあ?」

 それは何の理由にもなってないよと心の中でつっこんではみるものの、言葉にする余裕はなかった。とんでもないことを、この、双子の姉の口から聞いてしまった。

 つまり、神崎は花乃に自分の気持ちを話しても(深くは追求しない花乃の性格を手玉に取ったとも言える辺り、やはり策士かもしれないとは思うが)、佳乃や忍の気持ちは花乃にも口外しなかったのだ。

 他人のプライバシーを守る代わりに、自分の気持ちを伝えることになってまで、それを行なった。それほどの。

「佳乃ちゃんには他に好きな人がいることを知ってて、それでも神崎くん、その人と佳乃ちゃんを応援するつもりだったんだよ。普通はそんなこと、できないんじゃないのかな」

 応援するというのにはちょっと語弊があるような気がしたが、口には出さなかった。頭の中の混乱は熾烈を極めていたが、要するにわかることは、花乃は神崎が好きでも何でもなかったということで、神崎は花乃が好きでも何でもなかったと言うことで――いや、というよりは。

(なんてこと……)

 無意識のうちに、佳乃は両手で頭を抱えていた。

 自分が何も知らない間に、そんなことになっていたとは。

 まさかこの花乃の口から、こんなことを聞かされるとは。

 喧噪は遠いのに、高鳴る鼓動はひどくうるさかった。

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