修学旅行・4日目<奈良3>
「佳乃ちゃーん!」
花乃の声が耳に飛び込んできた瞬間、二人はどちらからともなくべりっと剥がれるようにして飛び離れ、あわてて手を振った。「か、花乃、こっち!」
花乃がぱたぱたと石畳を駆けてやってくる。
「どこ行ってたの佳乃ちゃん、また迷子になっちゃったのかと思って心配したんだから!」
その通りでした。
「よその奴らに絡まれてたんだよ。あいつら、今にも連れ去りそうな雰囲気だったぜ」
忍の言葉を聞いた花乃は、絶叫して佳乃に飛びついた。
「キャーッ! 大丈夫だったの、佳乃ちゃん! 何もされてない!?」
「う、うん……別に何も。福原くんが助けてくれたから平気」
「よかったあ~、もう佳乃ちゃんてばしっかりしてるくせに方向音痴なんだから。おまけにすっごい可愛いんだし、気をつけなくちゃダメだよ!」
「だからアンタ……同じ顔なんだってわかってる?」
不思議と、さっきまで花乃に感じていたコンプレックスはどこかにいってしまっていた。今はたぶん何が起こってもこれ以上は動じないだろう、というくらいせわしなく高鳴る心臓を押さえるので精一杯だった。この調子では今日の夜までは治まりそうもない。
(何だったの、さっきの。もしかして夢?)
とてもとても現実だとは思えない。白昼夢かもしれない。そう思ってちらりと忍を見上げた佳乃は、思いがけず彼と目をあわせる羽目になってどきっとした。忍は、どこかはにかんだような笑顔を向けた。
「さっきは何かゴメン。咄嗟のことでパニクって。でもホントに無事でよかった」
「う、ううん、ありがとう……」
「そろそろ集合時間ですね、点呼を取りに行きましょうか、花乃さん」
突然、背後から拓也の声がして佳乃は飛び上がった。思わず振り返ったものの、彼は花乃の方をじっと見て、佳乃を一瞥もしなかった。
(どこにいたのコイツ! まさかさっきの見られた?)
花乃は面食らった顔でしばらく惚けていたが、我に返ったように瞬いて、
「は、はい。じゃああとでね、佳乃ちゃん」
それだけをうわずった声で答え、あわてて拓也と一緒に行ってしまった。
(なにあれ……)
「何よアイツどういうつもり? なんで花乃を名指しで連れて行くのよ、クラスも違うくせに。あ、でもホントに時間ね。じゃああたしたちも行こうか、福原くん」
拓也の行動を不審に思いはしたものの、確かに時間は刻々と流れていたため、佳乃も忍に声をかけた。けれど、予想したような朗らかな返答はない。
見上げると、忍は小さくなる拓也と花乃の後ろ姿を無心に眺めていた。
「福原くん? ね、福原くんてば」
佳乃が幾度か声をかけてやっと振り返る。「あ、ごめんごめん。行こうか」
(……?)
春日大社を見学した後は、若草山に登って昼食。運動不足に祟られながら息を切らして登った頂上は、古都奈良を一望できる絶景の場所だった。
いい天気でよかったね、などと話しながらビニールシートを広げているところへ、夕子と千歌がお弁当を持ってやって来た。
「あたしたちも混ぜてよー。仲良くやってるみたいでよかったよ」
「夕子ってば、途中でいなくなるんだもん。どこ行ってたのよー」
夕子は不満げな佳乃の首根っこをぐいと引き寄せて囁いた。「何言ってんのよ、あんたのためじゃないの。で、どうよ。福原くんと接近した?」
「!」
真っ赤になって、佳乃は夕子の手を振り払った。夕子には感謝すべきなのか怒るべきなのか、判断が出来ない。夕子は大体を悟ったのか、顔色を変えてますます絡みついてくる。「あっ、さては何かあったな! 言えよ!」
「何もないっ! いいから、さっさと食べるよ、もー!」
配られたお弁当は、今夜の宿の人が特別に作ってくれたものだった。赤米のおむすびに、猪肉と茸の焼き物や葉に包んで蒸し焼きにした魚、山菜の炊き合わせ、蘇と呼ばれる古代のデザートが入った、その名も『万葉弁当』。
6人は同時に口を付けて咀嚼した後、こもごもに口を開いた。
「な、何か不思議な味だな」
「まずくはないですが美味しくもありません」
「このお米味がない。固いっ」
「ねえでも、このチーズみたいなの美味しいよ。甘くってキャラメルみたい♪」
「古代人がホンマにこんなもん食うてたんか?」
「夕子ってば、なんで関西弁なの……?」
好き勝手に批評を述べていた6人だが、突然誰もが無言かつ豪速で弁当箱を傾けながら食べ始めた。周りに、どこからともなく鹿がゆうらりと集まってきたからだった。
次々に弁当がらを片づけはじめ、最後に残されたのは花乃だった。
「花乃、急げ! 鹿に食われるわよ!」
「まっへぇ。もうひょっほ……ほひっ、ほへははひほのひほふひ……はべはー!」
すでに何を言っているのか解らないほど口に詰め込みながら、ようやく花乃も完食し、6人はほっと息をついた。そこで佳乃は花乃の頬のご飯粒に気付き、取ろうと手を伸ばした。すると。
「花乃さん、ここ、ついてます」
拓也がそっと人差し指を伸ばして、それをすくい取った。
ランニング戦慄。さすがにこのときには、拓也を除く5人の間に戦慄が走った。
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