修学旅行・1日目<京都2>
「関口さんて、もしかしてこういうところ……昔の都とか好きだったりします?」
不意に尋ねられて、佳乃は驚いて拓也を見上げた。「なんで?」
「いえ、なんだか熱心に見てらっしゃるんで……」
紫宸殿を目の前にして、佳乃はまたも我を忘れたらしい。好きなものをみると、夢中になって他のことがまったく目に入らなくなってしまうのも、佳乃の困ったところだった。長年の自習で培った集中力が、とんだところで発揮されてしまうのだ。
「ふん、好きよ、悪い? どうせ似合わないとか思ってるんでしょ、わかってるわよ。でも言っておくけど、あたし古典は絶対あんたより成績いいんだから」
「別にそんなこと思ってませんよ。それに、僕は元々古典が苦手です」
佳乃は気を削がれて、また元の壮大な建物に目を向けた。憧れの千年王城の中心となったであろう建物が今目の前にあると思うと、気も漫ろだった。
「……平安ってさ、他の時代に比べて、一番平和ボケしてるじゃない? まあ実際は末法思想とか流行るような時代だからそうでもなかったんだろうけど、作品から全然血の臭いがしないの。やんごとない人々はやたら優雅でさ、おかしとかあはれとか連発して、妙に無邪気に見えるのよね。ちょっと親近感がわくというか……」
「おもしろいことを考えるんですね」
ふと拓也を見ると、彼は唇の端に微笑を湛えたまま佳乃を見ていた。
「いいのよ、言ったってどうせ解ってもらえないと思ってたわ。ああ、でも勘違いしないでよ、あたしこの頃の文学とか大嫌いなの。とくに源氏物語とか!」
力を込めて佳乃が言い切ると、拓也は首を傾げた。「どうしてですか?」
佳乃は無言で顔をしかめて拓也を見返していたが、しばらく間を空けてから呟いた。
「だって……あの主人公がキライ。最低よ、女たらしにも程があるわよ」
拓也は何とも言えない顔をして佳乃を見つめ、そうですか、と呟いた。そして付け加えるように。
「じゃあ関口さんは、要するに……自分一人だけ見てくれる相手がいい、と」
「そりゃ誰だってそうに決まって――」
あやうく答えかけて、佳乃はぎょっとした。一体全体、何の話だ。
「いっ、いいじゃないの、そんなこと! あーもうそろそろ集合時間よ、急がなきゃ!」
踵を返して走り出しながら、佳乃はまたうるさく高鳴る左胸のあたりを押さえた。
(やだもう、なんか大恥かいちゃったよ。なんでアイツとあんな話しなきゃなんなかったの?)
朝からきたからにはとことん回っちまえというような意図が明らかに感じられるスケジュールに沿って、平安神宮見学、岡崎公園で昼食、南禅寺、知恩院、八坂神社を巡り、ねねの道を経て清水寺へ。観光名所だけあって二年坂三寧坂のあたりから人波にもまれつつも、かの舞台に辿りついたときは感動も一入だった。
「うわあ、やっぱり高ーい! でも現代っ子にとっては割と見なれた高さじゃない? 昔の人なんかビビるわよね、この高さじゃあね……ん?」
舞台から身を乗り出してはしゃぐ夕子の横で、佳乃はでき得る限り欄干からの距離を保っておそるおそる下を覗き込んでいた。夕子はにやりと笑い、突然佳乃に飛びかかった。
「あははは、恐がりー! 落とすぞ、ほれほれ」
「いやああ! やめなさい、バカバカ、バカ夕子!」
舞台の上で小突きあっていると、二人を発見した花乃が喜々として駆け寄ってきた。
「佳乃ちゃん、夕子ちゃあん。やっと会えたねー♪ わあっ、すごい眺め!」
花乃は見かけよりも相当神経が図太い。佳乃が止める間もなく、夕子と並んでこっちが怖くなるほど思い切りよく舞台から身を乗り出している。引き戻すにも怖くて佳乃が動けずにいると、横からため息とともに聞き慣れた声がした。
「よくやるわ、あの子も。ヨシ、双子の妹として大変でしょ」
「千歌……」
花乃のクラスメート、千歌が凛々しい微笑を浮かべて佳乃の傍らに並んだ。
佐々木千歌は花乃の親友だが、花乃とは似ても似つかないほどしっかりしていて頼りになる。美少女のくせに妙に男っぷりが良くサバサバしているので、佳乃とも気が合って良く夕子を含めて4人で遊んだりもしていた。佳乃は苦笑を交えて答える。
「うん、でもあの子もああ見えて結構しっかりしてるところもあるし、心配はしてないけどね。それに千歌がいれば安心だし。それより、旅行楽しんでる?」
「まあね、定番そのものだけど京都って感じは満喫できるわね。頼まれてた清水焼も買えたし」
「ああ、千歌ん家って小料理屋さん――」
「きゃあん、拓也さま、こわいん」
会話をいきなり嬌声でぶつ切られて、佳乃達はイヤな顔で振り返った。栞がここぞとばかり隣を歩く男の腕にしがみつきながら黄色い声で喚き続けている。その横で、むりやり腕を組まれながらほとんど蒼いようなしかめつらで歩いているのは、案の定拓也だった。
「湯浅さん、友達先に行ってしまいましたよ、追いかけた方がいいんじゃありませんか……それにその、サマってのやめてください……」
ほとほと困り果てた様子の拓也を見るのは初めてで、佳乃は密かにほくそ笑んだ。
(いい気味。いつも飄々と格好つけてるんだから、たまには少しくらい困るといいんだわ)
奇妙な顔で笑っている佳乃に気付いた千歌は、眉根を寄せてその様子をじっと見て、あっと声を上げた。「やっぱりそうだったの、ヨシ。噂には聞いてたけど」
「は?」と怪訝な顔で振り返ると、がっしと千歌に肩を掴まれた。
「あんたやっぱり、神崎君が好きだったのね!」
思考停止。それから、もう自制も一切合切きかないような状態で、佳乃は絶叫した。
「冗談じゃないわよ――! バカ言わないで! そんなことあるはずないでしょう、何でアイツなの! あ、あたしには、他にちゃんと好きな人がいるんだか――ら?」
とんでもないことを、とんでもないところで叫んでしまった。
舞台上は静まりかえって、学生達の視線は佳乃に集中していた。花乃の視線も、栞の視線も、拓也の視線も。千歌はあんぐりと口を開けていたが、固まる二人の間に飛び込んできたのは。
「佳乃ちゃん! い、いまの! 今のホント!?」
真っ赤な顔をした、花乃だった。
「まあ、大胆な方ね。清水の舞台でそんな大声で叫ぶなんて、想われた方も可哀想。誰のことなの? そんなに聞いて欲しいなら、聞いてあげてもよろしくってよ」
したり顔で栞に笑われ、羞恥と腹立たしさのあまりに佳乃は半泣きになって俯いた。いっそもうここから飛び降りてしまいたい。夕子は欄干にもたれてため息をこぼしていたが、誰かがひっきりなしに佳乃の袖を引いていた。
「ねえ佳乃ちゃん、本当なの!?ねえ、ねえ」
「ウルサイッ!」
怒鳴りつけた相手が花乃だと解ったときも、もう止まらなかった。
「ほっといてよ! お節介なのよ、なんでそんなことまで言わなきゃいけないの!?」
言い終わりもしないうちに、佳乃は激しく後悔した。目の前にある花乃の顔が蒼くなって、いつも湛えられている微笑が失われる。表情と声が大きく哀しげに揺れる。
「あ……っ、ごめんなさい……佳乃ちゃん……」
佳乃はいたたまれなくなって、その場から逃げ出した。
すれ違いざまに拓也とぶつかった瞬間、耳元に小さく、彼のささやく声が響いた。
―――前途多難ですよ。
そう、聞こえた。
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