修学旅行・1日目<京都3>

 ―――恋は、なかなかどうして。


(あたし、最低だ)

 この際もう舞台から飛び降りても構わないような気分で駆け下りた佳乃は、観光シーズンで人々の集まる音羽の滝の前で足を止めた。そして躊躇する暇もなく、衝動的に滝壺の中に頭を突っ込んだ。文字通り頭を冷やしたかった。仏罰も周囲の目も気にせず、びしょぬれになった頭をぶるぶると振るって、力つきたようにその場にへたり込む。

(いつだって一緒だったのに。何一つ言えないことなんてなかったのに。恋だって一緒に見つけようって言ったのに……あたし、なんてこと言っちゃったんだろう)

 今更どれほど悔やんでも仕方がないけれど、それでも自分を恨まずにはいられない。どうしていつもいつもこう考えなしなのだろう。言ってから後悔することばかりで、少しも進歩していない。

 なにより許せないのは、真っ白で純粋な花乃を、みにくいあたしが、傷つけたということ。


 佳乃は唸りながら立ち上がり、とぼとぼとその場を離れた。腕時計を見てまだ余裕があることを確かめてから、本堂から離れるようにのろのろと歩き続ける。ふとその時、一つの神社が目に留まった。「地主神社……?」

 小さな社の割に、妙に参拝客が多い。しかも目立つのはバラエティ豊かな制服姿、どうやら修学旅行生たちが寄り集まっているようだ。そこで初めて、佳乃はここが有名な縁結びの神社だと知った。普段なら近寄りもしない類のご利益。けれど佳乃は、このときの無気力も手伝ってふらふらとその中に紛れ込んだ。

 狭い参道の横に並ぶ、小さなお守りを手に取ってみる。カラフルで愛らしく、どれも若い子向けの趣向になっていた。

(ただの商売道具ね。大量生産でご利益なんかあるわけないし)

 そう思って、佳乃は背を向ける。だが数歩離れたところで足を止め、またしばらく考える。そしてものすごい勢いで振り返ったかと思うと、今すぐに買わなければ死ぬとでもいうような鬼気迫る表情でお守りを二つひっつかみ、奉仕の巫女に向かって突き出した。

「これ、くださいっ!」


(これを花乃に渡して、ちゃんと謝ろう。一緒に頑張ろうって、ちゃんと言おう)

 お守りの入った白い袋を二つ握りしめて、佳乃はバスへ戻った。丁度点呼の最中、戻ってきた佳乃を出迎えた夕子は、どこか気遣うような様子で話しかけた。

「どこに行ってたの。花乃、すっごいしょげてたよ」

 それは当然だろう。実際のところ、二人が喧嘩らしきものをしたのはこれが人生で初めてだった。佳乃はどう頑張っても花乃にだけは盾突くことなどできなかったし、花乃が佳乃に怒りを覚えることもまずないことだったから。

 これはあろう事か修学旅行中に起こってしまった非常事態なのだ。

「うん、わかってる。ちゃんと謝る。でもまだ誰かは花乃には言わない。だって、花乃と同じクラスなんだもん。変に気を遣わせたりしたらやだしさ」

 そう言った佳乃に、夕子は嬉しそうに微笑んでその肩を叩いた。

「佳乃、成長したねえ! もうもうっ、おねえさん応援するからね!」

「いやお願いやめて。あんたが絡むとろくなことないんだから」

 真顔のまま佳乃が全力でかぶりを振る。それが照れのカモフラージュだったのか心底から湧き出る本音だったのかは、夕子には解らなかった。


 宿泊場所は、団体旅行にしてはランクの高い老舗の旅館だった。中央にこぢんまりとした庭園もあり、ロビーに時折響く鹿威しの音が和の気配を存分に演出する。

 佳乃は、夕子を含むクラスメート達との5人部屋だった。時間の都合で荷物だけ置いて慌ただしく夕食を済ませ、入浴した後部屋に戻ってみると、布団が五枚並べて敷いてあった。誰でもがまずそうするようにゴロンと布団に寝転がった佳乃は、天井を見上げて考えた。

(花乃……来ないな……)


 宴もたけなわ。女の子の修学旅行と言えば、定番の。

「ねえねえ! 関口さんは好きな人いるのー!?」

 のセリフで、夜は始まった。

 まさか自分に矛先が来るとは思っていなかった佳乃は、鞄の中の参考書をあさっていた手を止めて振り返った。自慢じゃないけれど、夕子以外のクラスメートとの親交は極端に少ないという自信がある。夕子の顔が広いおかげではみ出し者にはならなかったが、かといって親しく口を利くような女子達もいなかった(これでも、中学までのことを思えば格段に良い方だったが)。

 佳乃はすぐに返事をすることも出来ず、しばし呆然とした後にやっと質問の内容を把握して答えた。「え……い、いない。うん、全然いない」

 一人でしつこいほど呟いてから、参考書をあきらめて布団の中に潜り込む。とても一人で勉強などできる空気じゃない。しかもこの話題は、佳乃の一番苦手なカテゴリーに属するものだった。

「えぇ~、でもウワサになってるじゃん。9組の、うーんと」

「あ、知ってる、神崎君でしょ? 物静かで近寄りがたいけど、すごい格好良くない? いいなあ、関口さん。あんな人と仲いいなんて」

 クラスの女子達が、きゃいきゃいと騒ぎ出す。最初は黙って聞いていた佳乃も、どうやら知らないところでかなり大きく広まっているらしいその『ウワサ』に憤慨して口を挟んだ。

「違うってば、何でみんな誤解するわけ? あんな奴大嫌いなんだから。そんなウワサ、すっごい迷惑なんだから!」

 反感を買うことも覚悟していたが、クラスメートの反応は意外なものだった。

「迷惑ってことは、関口さんにもやっぱり好きな人いるんだ。やっぱりねー」

「そっか、何か安心。ホント言うと、関口さんって何かやたらガリベ……んんっ、頭良さそうってイメージがあって話しかけにくかったんだ。でも普通の女の子なんだよね、良かった~」

 佳乃はぽかんとして女子達を眺めた。前にも確か同じことを言われた、そう確か翔子に。

(翔子ちゃんは吉村君っていう彼氏がいるんだよね。どんな経緯があって、つきあうことになったんだろう。お互いの気持ちを伝えるまでに、やっぱり、色々あるんだろうな……)



 ひとりで好きなだけじゃ、痛い。

 この胸の棘を抜いて、はやく痛みを楽にして。

 そう、こころが叫んでる。

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