スクランブルデート・4
こころが、ひとりでにうごきだす。
きがつくと、もうなにもみえなくなって
じぶんさえ、みえなくなって―――
恋は盲目。
「ごめんな、帰るの遅くなっちゃって。家族の人心配してないかな?」
若々しい苗子の笑顔に見送られて二人が「ミストレス・リーフ」を出たときには、あたりにはうっすらと宵闇が立ちこめていた。銀杏並木の間を縫うように、薄紅い街灯が駅までずっと続いている。ほとんど人気のないその道を、佳乃と忍は並んで歩き出した。
「ううん、大丈夫。あたしこそ、なんか夕子が余計なこと言って本まで買わせちゃったのに、結局役に立たなかったね。ごめんね」
何故あたしが謝らなければいけないのかといつもなら不服に思うところだが、今日はそんな気分にはならなかった。それどころか、何だか妙に暖かいようなくすぐったいような、不思議な気分の良さに酔っている感覚だった。
「関口さんのせいじゃないし、松井さんのせいでもないよ。実際に京都にも行くんだから雑誌はいずれ役に立つし。それに、夏はみんなで遊べるもんな、それまでは諦めて勉強するかあ」
「うん、そうだね」
くすくすと自然に笑みをこぼしながら佳乃は忍の仕草を見つめた。街路樹から舞い落ちた青い銀杏の葉を拾い上げて指でくるくるともてあそんだり、そうかと思えば空を見上げて足を蹴り上げてみたりと、叱られて拗ねる小学生のようだ。
(子供みたい。やっぱり人って意外な一面を持ってるんだ)
「よーし、じゃあ明日早速みんなを誘うぞー!」
弾けるような忍の笑顔を見上げて、佳乃は胸に満ちてくる波のようなものを感じていた。
家に帰った瞬間、出迎える足音がひとつふたつ――みっつ?
「佳乃ちゃん、どこ行ってたのお! 心配したんだよっ」
「遅かったじゃないの、夕ご飯もうないわよ」
「おっかえりー、佳乃~♪ どうだったのさー!」
「うわあっ!」
3人にほぼ同時に飛びかかられて、佳乃は危うく玄関先でひっくり返るところだった。いつものように花乃、そして母親、それから普段は出迎えるはずのない顔が目の前にあった。
「夕子! あんたなんでここに、って言うか、待って、あたしアンタに言いたいことが……」
夕子は佳乃の肩を力強くつかんで何度もオーバーに頷いた。「解ってる、解ってるから。あたしも聞こうと思って待ってたの。アンタの分の夕食はあたしが食べておいてあげたから。さ、部屋に行きましょうねー。根掘り葉掘りこのわたくしに話しなさーい」
「ちょっと、な、何よソレ……あたしの晩ごはん!」
反抗を試みるも虚しく、佳乃は有無を言わさぬ勢いで部屋に連れ込まれた。
「で、どうだったのよ」
何の遠慮もなくどっかりとベッドの上に腰を据え足を組んで、夕子は床にへたり込んだ佳乃を見下ろした。「上手くやったんでしょうね、お膳立てしてあげたんだから」
「あ、あ、あんたねえ……」
怒りのあまり、床についた手がわなわなと震えてくる。夕子は明るく情報通でなにかといい友達なのだが、その良さを丸々覆すほどいただけないのが、この他人の迷惑を顧みない余計なお世話っぷりだった。しかも当人は役に立ったと勘違いしているところで余計にタチが悪い。
「あたしに何の相談もなく忍君を無理やりひっぱりだして、どういうつもり!? 本屋行って雑誌買わせたの、全部無駄だったじゃないの! 忍くんは誰のせいでもないなんて言ってたけど、明らかにあんたのせいなんだから! おまけに人の晩ごはんっ」
「細かいわね~、いいじゃないの待っててあげたんだから。それにあんた、甘い匂いがするわよ」
「えっ」
はっとして佳乃は思わず袖口に鼻をあててみた。すぐにそれがカマだったことに気づいたが、すでに夕子はベッドを降りて佳乃の肩をしっかりと掴んでいた。
「やっぱりね。で、で、どうだったのよっ」
「……くっ」
渋々佳乃は今日のことを話し始めた。本屋へ行ったこと、喫茶店(そこが神崎の家ということは面倒くさいので黙っておく)へ行ってケーキを山ほど食べたこと、忍と色々話をしたこと。それから――それから。
「あの……さあ」
あのときの感覚を思い出すと、いまでも胸の奥がじんと痺れる。山ほど甘いものを食べたあとは、痛みもあんなふうに砂糖をおびたような感触になってしまうものなんだろうか。
「夕子はさ、好きな人……いるの?」
沈黙5秒。夕子は佳乃の顔を凝視したまま大きく口を開けて、ゆっくりと息を吐いた。
「あんたの口からそんな言葉が出る日が来るとは思わなかったわ。やっぱりあたしの作戦は大いに成功したということなのね……」
喜ぶことも忘れ、ただ本気で感心しているらしい夕子を睨んで、佳乃は怒鳴った。
「その感情がわからないから聞いてるの! 人を好きになるってどういうこと? なんなの? あたしにはわからない。……わかりたくないもん」
最後は意地だった。今の自分の動向がわからない、全部自分のものなのに、心だけが思うとおりにならない。勝手に動き出す感情が腹立たしいようで愛おしいようで、それさえ覚束ない。
真っ赤な顔で俯いてしまった佳乃の頭をぽんぽんと叩いて、夕子は笑った。
「絶対にわかる日が来るよ。恋の自覚はね、突然来るんだから。びっくりするのよお、その時は」
「答えになってない。好きな人いるのって聞いたのに」
恨みがましく見上げる佳乃に、夕子はほほほと甲高く笑い返して立ち上がった。
「さてどうでしょうね。さ、じゃあお姉さんは帰るとしましょうか♪」
ひらりとスカートを翻したかと思うと、夕子は驚くほど素早く部屋のドアを開けて振り返り、バイバイと手を振って階段を駆け下りていった。
「……逃げられた」
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