スクランブルデート・2

「ここ?」

 いつもの電車を途中下車して、住宅街を抜ける並木道にその店はあった。

 きい、きいと風が吹くたびにブランコのように揺れる木目の看板、一緒に揺れる文字「Mistress leaf」。赤い屋根の一見雑貨屋のような喫茶店は、建築に疎い佳乃が見ても随分と可愛らしい。

「"ミストレス・リーフ"……女主人……主婦?『葉っぱ主婦』? 変な名前ね」

「ああ、ミストレス? ――ふふ、どうかな」

 忍はドアを開ける直前に意味深に微笑んで、今は青葉をたたえる並木を見上げた。

 カララン、と軽快なベルの音が二人を招き入れる。店内に人の気配はなく、奥のカウンターにもマスターの姿はない。だが中は思ったよりも明るかった。夕暮れの光が西側の大きな窓から射し込み、橙色の鮮やかな照明としてすべてのものに均しく光をあたえている。どこから微かに聞こえてくる洋楽のバラードは、佳乃も知っているおなじみの曲だった。

「すごい、きれい」

 思わず佳乃が感嘆して声を上げると、忍は振り返って嬉しそうに笑った。

「そうだろ? この時間が一番綺麗なんだ。これと言って目を引くような特別なものは何もないのに、全体の調和が見事でさ。夕暮れにすべてが『ひとつ』になる。でも、毎日それは同じじゃないんだよ。春の景色と秋の景色は、全然違うんだから」

「福原君はこのお店によく来るの?」

 佳乃が尋ねると、忍ははにかんだ。「実は俺もよく来るようになったのは最近。それまではこんな店のこと、全然知らなかった。喫茶店って結構お高く止まった感じがして、学生の分際じゃなかなか近づけなかったんだよな」

「あ、それはあたしもそう。ついファーストフードとか行っちゃうよね」

 いつのまにかうきうきと喋りながら、二人は南の窓際に腰掛けた。ここから見る店内、いや目に映る景色全てが、たとえればセピア色の一枚の絵のようだった。そこに余分なものは何一つなく全てが光にとけ込んでいる。もしあるとすれば、それは自分たち客かもしれないと佳乃は思った。人通りの少ない路地に、ひっそりと建つわけがなんとなく分かった気がする。

「何かおごるよ。何がいい?」

 忍の声で我に返った佳乃は慌ててかぶりを振った。「そんな、いいよ」

「いいからいいから、気にしない。無理につきあわせたようなもんだし、それに絶対に安くなるから大丈夫なんだよ、さ、これメニュー」

 自信満々な忍の薦めに気圧されて、佳乃はクラシックの楽譜のようなメニューを手に取った。開いた瞬間、あやうくまた反応しそうになった腹部に力を込め、慌てて声を上げた。「うわあ、おいしそー!」

 色とりどりの洋菓子の写真が次から次へと目に飛び込んでくる。どれもが驚くほど美味しそうで可愛くて、とてもじゃないが一つに絞れそうにない。

(ああもし一緒にいるのが夕子か花乃だったら、一緒になってあれもこれも注文するのに)


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりで……あら!」

 カウンターの奥から小走りで出てきた女性は、忍の顔を見るなりぱっと笑った。

「忍くんじゃないの、いらっしゃい。また来てくれたのね」

「こんにちは、苗子さん」

 行儀よく挨拶する忍につられて佳乃も軽く会釈した。女性は大きな目を見開いて佳乃を見、まあまあまあと叫びながら何度も手を叩いた。「忍くん、彼女つれてきてくれたの!? 嬉しいわあ!」

 佳乃は仰天して豪速でかぶりをふった。「違います! そんなんじゃ――」

「いいの、照れない照れない。よおし、今日は奢っちゃう! 何でも好きなもの注文してくれていいわよ、あの子にも手伝わせるから、待っててちょうだい」

 軽快な鼻歌を歌いながら女性マスターはカウンターに引っ込み、忍は悪びれるそぶりもなく佳乃に向かってにやりと笑って見せた。「言っただろ、安くなるって。まあ多少の誤解はあるみたいだけど、いくらでも注文していいみたいだから遠慮せずにどんどん言っていいよ」

「た、た、多少の誤解って……」

 佳乃は地面に放り出された金魚のように口をぱくぱくさせて、忍とメニューを交互に見やった。

 あたしがこんなに取り乱すのはおかしいんだろうか、この人はあたしなんかを彼女に間違えられてなんともないんだろうか、イヤでもせっかくだしあーほんと悩むどうしよう決まらない、ハッもしかしてこの人しょっちゅうこの手を使ってるんじゃ――等々佳乃の頭の中をあらゆる想像が駆け巡る。

(なんにせよ、こんなところ学校のヤツなんかに見られたらたまったものじゃないわ。さっきのせりふなんか聞かれてたりしたら、もう言い訳もできない。ああ、良かった誰もいなくて……)

「何にするー? 何でもいいわよ、言っちゃってー」

「あ、じゃあオレはアイスコーヒーとプレーンワッフル。関口さん決めた?」

「え……えと……」

 お菓子のことでこれほど悩むのもおかしいとは知りながら、どうしても佳乃にはひとつに決めることが出来そうになかった。うんうん唸って悩み抜いた末、佳乃は大声で言った。

「じゃあ、あの、苺のミルフィーユと、モンブランと、プリンアラモードと、クラシックショコラの中で、一番簡単なものをお願いします!」


 しばらく返答がなかった。忍も目を丸くしてぽかんと佳乃を見つめていたが、3秒後には二人そろって大笑いし始めた。

「え、あのあたし何かおかしなこと言いました!?」

「ううん、いいわよオッケー! 全部作ってあげる、待ってて!」

「えええっ? そんなあたしそんなつもりじゃ―――」

 佳乃が仰天して弁解しようとするのを、忍が腹を抱えながらも遮った。

「あははは、いいよ、素直な人だなあ関口さん。アイツも降りてくるだろうし、すぐに出来るよ」

「アイツ?」

 恥ずかしさに真っ赤になりながら佳乃が尋ね返した。そのとき。

「ああ拓也、早く手伝ってちょうだい。忍くんが可愛い彼女を連れてきてくれたのよ、お祝いしなくっちゃ! ほら、ごあいさつごあいさつ♪」

 神崎拓也が、カウンター向こうの扉から顔を出した。


「ぎいや―――――!」

 佳乃は絶叫してイスから立ち上がった。忍が笑い出す声が聞こえる。ここからどういうリアクションをとるべきかめまぐるしく考えたが、答えは見つからなかった。

 拓也は声は上げないまでも、明らかに驚いた様子で佳乃を凝視していた。制服ではない、チェックの綿シャツと黒いジーンズ姿の彼は、佳乃の見る限り別人のようだった。

「あ、あ、はわわ」

 言いたいことがありすぎてそのどれも言葉にならない。代弁を求めるように忍を振り返ると、彼はようやく笑いを収めてにっこりと微笑んだ。そして拓也の方を手のひらで指し示す。

「関口さん、ご存じの通り、神崎拓也氏です。ここはアイツの家だったりします」

「ほええっ!?」

「ちなみに、苗子さんは拓也のお母さん」

 目を丸くして3人を見ていたカウンターの女性が、矛先を向けられ惚けた顔で口を開いた。

「あら、まあ……あなた達、三人とも知り合いなの?」


 ―――Scramble!

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