波乱の実行委員会・1
ある日のこと。
「お帰り待ってたの佳乃ちゃんっ! 一緒に修実やってくれないかなぁ」
佳乃が家に帰ると、自分が飲んでいたらしいティーカップを持ったまま、器用に玄関まで走ってきた花乃がいきなりまくし立てた。帰ってくるなり思いがけない台詞で出迎えられた佳乃は、気の抜けた声で返す。
「ただいま。修実って……修学旅行実行委員?」
何の気なしに口の中で反芻してから、佳乃はその言葉が含むいやな風味をじわじわ感じ始めた。修学旅行実行委員といったら、3年の重要な時期を半年近く行程計画や準備でこき使われるという恐ろしい委員ではないか。ほかの生徒が受験勉強や大学の下見に勤しんでいるときに、この委員はたかが一週間の団体旅行のために貴重な放課後を棒に振らなければならない。
花乃の云わんとする事を察して、佳乃は頬を引きつらせた。
「うんそう! 何かわかんないうちにわたしがやることになっちゃったの、で、佳乃ちゃんが一緒だったらすごい心強いなと思ったの……無理にとは言わないけどね?」
などと言いつつ、花乃はうるうると上目遣いに佳乃を見上げてくる。
佳乃はどうにか目を合わせないようにしながらリビングまでたどり着き、参考書の詰まった鞄をソファに放り投げた。
「花乃のことだからどうせ押しつけられたんでしょう、まったくもう。言っとくけど、あたしは勉強で忙しいの。そんな暇ないわよ」
「大丈夫、佳乃ちゃんが気にするほど仕事ないらしいし! ほとんどPTAとか先生たちが決めちゃうらしいけど、決定権は修実にあるらしいから、そういう時だけ集まればいいんだよ。ほら、佳乃ちゃんて頭いいのに生徒会とか絶対入らないじゃない? 先生たちも勿体ないって言ってるよ?」
何も考えていないようでいて、佳乃の扱い方を一番心得ているのは実は花乃だった。いや、どんな方法をとろうとも、最終的には佳乃は花乃の云うことには逆らえないのだが。
「佳乃ちゃんがいないと不安だなあ……」
心細げな姉の声音に、妹の大いなる庇護欲が煽られる。
「……どうしてもやってほしいの?」
「うん、どうしても」
「何が何でもやって欲しいの?」
「うん、何が何でも。佳乃ちゃんがいないとだめだよぅ」
それを聞いて、佳乃はふいに表情を和らげた。
「もう、仕方ないなあ。仕事ないならいいよ。花乃だけじゃ心配だし」
今回もあっさりと軍配が上がり、花乃は満面の笑顔で佳乃の両手を握りしめた。「わあっ、やったあ! 修実は二人一組だから、夕子ちゃんも誘ってね。わたしは福原君と一緒にやるの」
佳乃はぴくりと耳を動かした。フクハラ――聞き覚えのある響き。なんとなく覚えてしまった人の良さそうな男子生徒の顔、そして連鎖的に浮かぶ天敵の顔。
反射的に顔をしかめて佳乃は尋ね返した。
「福原って、あの例のヤロウの友達の?」
佳乃の拓也に対する呼び名がどんどん悪化していくのに苦笑しながら、花乃は頷く。
「うん。福原忍くん。わたしが不安がってたら、すすんで一緒にやるって言ってくれたの。本当にいい人だよ」
(イイヒト……)
佳乃の胸内で、何かがかすかに動いた気配があった。
(……ん? なに、あたし今何か思った?)
「それでね、明日早速会議があるの。たぶん顔見せ程度だと思うんだけど、来てね」
「あ、うん……わかった」
佳乃は物憂い返事をして、花乃の紅茶を飲み干してから二階の自分の部屋にあがった。なんとなく、最近情緒不安定かもしれない。原因は神崎拓也との一件しか考えられないが、あんな奴のために自分のペースが崩されていると考えるのは途轍もなくしゃくだったので考えないことにした。そして、いつものように机に向かった。
次の日、気の乗らないらしい夕子をむりやり引っ張って修実の会議に行くと、3年生だけということもあってまだメンバーはほとんど来ていなかった。それでも教室の真ん中にちょこんと座った後ろ姿には見覚えがあり、声をかけるまでもなくそれはくるりと振り返った。
「あっ、佳乃ちゃん来てくれたんだ。夕子ちゃんも、ありがとう」
「ま、花乃の頼みなら仕方ないな」
ふくれっ面だった夕子も渋々といった様子で微笑み、ふたりは花乃のすぐ後ろに着席した。花乃の隣で配るプリントの整理をしているらしい男子も、ちらりと二人の方を向いて会釈した。見覚えがある、福原という生徒だった。
「あ、あの、この間はどうも」
佳乃は忍が前を向いてしまう前にと少々早口で話しかけた。忍は少し目を見開き、そしてにっこりと柔らかく微笑んでプリントを二人分手渡した。
「この関口さんなら、拓也とやりあっても大丈夫だと思ったよ。アイツにお灸を据えてくれるかもしれないってね」
「あたりまえです。あんな奴に負けないわ」
佳乃は胸を張って笑い返した。そうだ、誰もあたしが負けたとは思っていないんだ。
忍はますます破顔して言う。「そりゃ頼もしいな。会議でもばんばん言い争ってくれることを楽しみにしてるよ」
「もちろ……え?」
言葉の意味をつかみかねて、おまかせあれとばかりに胸を叩きそうになった手を寸止めに佳乃がきょとんと忍を見返したときだった。佳乃の真後ろの席に、静かに誰かが着座した。
「よう、来たか!」
忍が身を乗り出して挨拶するのにつられて佳乃は振り返り、そのままぱっくりと口を開けた。
「神崎拓也……またあんたなの」
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