第28話 言い訳
当主昌幸がしこたま飲んで上機嫌の祥を別室に呼んだのは、下弦の月が傾くほどの真夜中だった。
宴の最中も主が何かしでかしたりとんでもない事を言い出したりしないか監視していた岩井も同席する。佐々木家で祥が何か無礼をする前に制止せねばならない。その使命に、いささかうんざりもしていたが放置しておくほど豪胆にも自暴自棄にもなれなかった。
それも結局は己が可愛いゆえの打算ではあったが、岩井とてこれ以上立場が悪くなるのは避けたいのだ。
「酔い覚ましに、冷たい茶でもいかがかな。」
昌幸の小姓が青い座布団を並べ席を整えると、胡坐を組んでそこに座る。目の前に茶托が出されて、冷たい茶が注がれた。
二間程の向こうでは今も宴もたけなわと賑やかに騒いでいる。その喚声が遠く感じられるほどに、別室のここは静寂に包まれている。酒臭い己の息さえ、まるで浄化されていくように思えた。
「お才のやつは塞ぎ込んでおる。」
「は・・・、まことに申し訳ござらぬ。妹御のご機嫌を損ねてしまい、面目ない。」
「なんぞ、祥殿は側女を持たれたそうで。」
祥の顔色が変わった。
故郷で囲っていたお津奈の事を佐々木公は言っているのだろう。
祥もさすがにここまでお津奈を連れて来てはいない。密かに逃がしたのだと聞いているが、どこへ逃がしたのかも知らなかった。
だから、しらを切れば切り通せるのだが、どう答えるのが適当なのか、にわかには判断しかねる事だった。
話の流れから言えば、佐々木公の実妹の不快は祥が側女を召しそちらに心を移したからだと非難しているともとれる。
「それは、どちらからお聞き及びで・・・」
適当な返答を思いつかず、情報の出所を尋ねるという卑怯な言い逃れになってしまった。
だが佐々木公は自分から祥の側女の話を出しておきながら、
「まあ良いわ。女子の悋気はみっともないでな。一国一城の主ともあれば、一人の女で足りずともおかしゅうはない。英雄色を好むと申すからのう。」
妹婿を庇うような事を言って、祥を図に乗らせる。
佐々木公は冷茶の茶碗を取って軽く口に含むと、祥にも飲むよう促した。
今の話で酔いは冷めていたが、勧めに従って祥もまた冷茶を手に取る。背後で控える岩井は気が気ではなかった。
・・・側女の話だって、もう少し言い訳のしようがあろうに。
例えば、お才の方にはいまだ子供が出来ていない。それを理由にすれば側女を持ったからと言って非難される言われも無いのだ。お才と祥の夫婦はまだ十分に若いので子供を諦めるには早すぎるが、世継ぎは早く出来るに越したことは無い。
だから静だって亡き父親にあれほど所帯を持つようせっつかれていたのだ。残念ながら、涼のその願いばかりは叶えられることは無かったが。
「かねてより、聞いてみたいと思うていたのだが。祥殿は、何故に兄君に背かれたのであろうか?」
「はっ・・・」
どきりとした。心臓の音が体の外へ聞こえた方とさえ思う程であった。
「以前より相馬国を兄君より奪おうと思うておられたのか?」
「い、いえ・・・」
再び祥は沈黙する。どう答えるべきか全くわからないからだ。
実父である父・涼が暗殺された日、祥はあろうことか城を空けていた。山背国からはるばる輿入れしてくる才姫との婚礼を控えた身だというのに、城内の兵を連れて鍋島まで野党退治に出かけていたのだ。
その失態を、家臣たちの面前で激しく糾弾され、謹慎処分となった。これを根に持った祥は、兄・静が同盟を結ぶため時環国へ出かけ、美里城を留守にしている間に謀反を起こしたのだ。
・・・などと事実を述べるわけには行かない。
祥が兄に逆らった理由をどう言うべきか考えていると、血色のいい顔に柔和な笑みを浮かべた佐々木公が、まるで誘導するように言葉を続けた。
「もしや、兄君の静殿には、祥殿からすれば到底許しがたい欠陥でもお有りだったのではないか?」
山背国を治める佐々木昌幸は、ちびちびと冷茶の茶碗を舐めながら妹婿の様子を見つめている。
勿論、祥が何故静に謀反を起こしたかについての理由など、別に興味があるわけではない。結果、現在の彼は国を追われてこの上三川城まで敗走しているのだ。どんな理由があろうが負けは負けである。重要なのは、祥が逃げてきたことによって相馬国を攻める大義名分が出来た、その一事に尽きる。
妹婿が泣き付いてきたのだ。助けて上げなくてはなるまい。
そして、あわよくばそのまま戦を大きくして、美里城まで攻め上り、祥を傀儡に据えて自分が支配すればよいのだ。
ただ気になるのは。
椎野静がそうなることを予想していないはずはない、ということだった。
曲者だった椎野涼はお互いに目の上の瘤だった。その嫡男は、悉く佐々木昌幸の思い通りにいかぬ更なる曲者だ。
だから、可哀想な妹婿を尋問しているのは、何もただ無為にいじめているわけではない。
少しでもいい、小さな事でもいいから、静についての情報を得たかったためである。
「じ、じつは、申し上げたき義がござる。」
「うん?」
何かいいわけでも思いついたのか、勢いづいた様子で顔を上げた祥に再度視線を向けた。
「兄は、・・・実は、兄ではなかったのでございます。」
「・・・はて?兄ではない、とな?実の御兄弟と聞いておりましたが、生母が違われるとか?」
「いいえ、兄と自分は同じ母より生まれた兄弟にござります。ですが、ずっと兄は隠していたのです。」
「何を?」
「椎野静は、女です。兄ではなく姉だったのでございます。国を出る折に、岳父である吉野高元よりその話を聞き、母に問い詰めた所事実であると。」
そこまで聞いて、初めて昌幸の眉が動いた。
「本来姉である静に家督を継ぐ資格はござりませぬ。ですから、本当の嫡男であるわしが、・・・椎野家を継ぐに相応しいのです。この祥こそが、相馬国を治めるに足る跡継ぎにございます。」
「・・・なんと。」
「それゆえに、逆らって謀反を起こしたのです。」
そこまで言い尽くすと、祥はひれ伏した。
佐々木公は、祥の背後に控えている彼の家臣である岩井へ目を向ける。
「まことか?」
唐突に声を掛けられ、慌てて平伏した岩井は狼狽をひた隠した。
そんなことは初耳である。かつての主である静が女だったなどと知る由もない。岩井にとっては寝耳に水のような話だった。
言い訳が思いつかず、祥が馬鹿げた話をでっち上げているのかとさえ考えてしまった。
「は、はい。長年たばかられていたとも知らず、わ、我らは静様が真の嫡男であると思いお仕えして参りました。」
「騙されておったと申すか?」
「家中で知っておるものは殆どおらぬかと思いまする。」
「ふーむ・・・それは、それはいかぬことよな。」
「は・・・」
「そのような家の大事を、十数年もの間隠しておったとは。まことに許せぬこと。祥殿の申さるるのはもっともじゃのう。」
何やらしたり顔で、顎のあたりを指先で掻いている。
大層面白いことを知ってしまった。これは使えるかもしれない、と佐々木公の顔には書いてあるようだ。
岩井にはそう見えて仕方がなかった。
祥の言う事が本当に正しくて、本当に静が女性の身でありながら椎野家を継いだと言うのなら問題である。
だがそれをどうやって証明するのだ。静に目の前で裸になれとでも言うのか。そんなことが出来ようはずがない。
静が男であれ女であれ、祥はとんでもないことを言い出してくれたものだ。
岩井は、なんだか胃の辺りがしくしくと痛む気がした。
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