第27話 同じことを


 笛木城の建設現場に現れた若き城主は、立ち働く左官やら大工が手を止めて頭を下げるのを、軽く手で制した。必要のない挨拶など省略して、少しでも早く築城を終わらせてほしいのだ。

 静の傍らにいる若い侍もまた、恐縮する彼らに頷き返し、作業に戻るよう促した。

 白い布で頭から顔を覆った城主は、目の部分にだけ切り込みを入れ視界を確保している。その歩みはとても病後とは思えないほどにしっかりとしていた。

「のう、藤助。」

「はい。」

「わしは、史郎を比良山へ帰そうかと思うておるのだが。如何思うな?」

「静様がこの城へ移られる前に、ですか。」

「左様。」

 元来史郎を雇ったのは静の身の回りの事を行う女中の代わりだった。

 武士として取り立てることはしたくないと思った静は、彼をそういう形で雇い入れ、傍に置いたのだ。

 自分で望んで、本人の了承を得てそうしたことだった。

 若かりし頃に気に入って傍に召した少年は、今もどこかその幼げな雰囲気を持っているが、成人を過ぎた一人前の男である。

「そろそろ所帯を持たせてやらねばならぬと思うてな。」

 影武者として常に傍らに侍る藤助は、眉根を寄せる。

 現在は敢えて静に余り似ないように着物や立ち居振る舞い、そして何より顔貌に手を入れているため、藤助が静の影武者だと言っても誰も信じないだろう。

「よろしいのですか?」

「うむ、いつまでも今のような中途半端な身分では史郎も居づらいだろう。」

「可愛がっておられたのでありましょうに。」

「・・・うん。」

「それほどに、見ていられないと。」

「・・・うん。」

 静が一目惚れして連れてきた若い細工師。

 少しの間だけでも良いから、傍に居て欲しかった。思い出が欲しかった。好いた男と同じ屋根の下に暮らすという夢を叶えたかった。

 勿論史郎の気持ちを尊重したかったので、無理強いすることは出来なかった。

 好きな男には嫌われたくないものだ。だから、静は辛抱強く説得を続けた。その甲斐あって、史郎は、静に付いてきてくれて、そして、静の思いに応えてくれた。

 あの夏の、比良山でのひと時は、静にとって生涯忘れられない時間だろう。

 幸せだった。

 史郎とともに、無邪気に野山を駆け巡り、疲れ果てるまで共にいた。

 出来るならばいつまでも、あの夏が終わらないでいて欲しかったが、どんな季節も必ず巡るものだ。

 藤助が不思議そうに眉を寄せる。

「あの細工師と共に逃げ出そうとは思われないのですか。」

 今度は静のほうがおかしな顔になった。布に隠されて見えないが、その動揺が感じ取れない藤助ではない。

「同じことを申す」

「は?」

「いや」

 いつだったか、史郎もそんなことを言っていた。

『静様をお連れ申し上げ逃げてしまいたい。』

 そんなことが出来るわけがない。出来ないからこその願望だ。細工師の言葉は、その思いの滲む声だった。

 だが、影武者の声はそうではなかった。

 まるで、何故そうしないのか、と問いているかのようだ。

「せんないことを」

 静には他の人生など考えられない。椎野静ではない自分など、もはや自分ではない。美里の国を守る自分こそが己の存在意義であり、他には何もない。

 史郎の事は好きだ。可愛いし好ましいし、大切にしてやりたいと思っている。望みの全てを叶えてやりたい。

 けれども、静の命は、身体は自分のものであって自分のものでは無い。

 まして今はそれどころではないのだ。

 静自身の思いをどうこう考えている場合ではない。

 しかし、史郎の人生は史郎のものだ。彼の得手とする細工の仕事をし相応しい妻を娶り子を生さなねばならないのではないか。

 支配階級にいない彼らに許されている僅かな自由を静の都合で阻害してはならない。

 領主である静は支配階級であるがゆえに、その命も人生も彼女自身のものでは無いのだ。

『静様以外の女子になど興味はありませぬ。子もいりませぬ。』

 史郎が静の目の前ではっきりとそう言った。

 嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 しかしそれ以上に狼狽したのだ。彼が自ら自分の自由を手放すと言い出したことに。




  主の機嫌は驚くほどにいい。 

  上三川城で佐々木昌幸に歓待されているからか、祥は己が敗走してきたのだという自覚が薄い。

 追撃する織部軍から逃れ切ってここまで辿り着いたとはいえ、彼は負け戦だったのだ。本城である美里城を奪われ、国を追い出されてしまった。武将として総大将として面目が立たないのが普通だろう。

 いかに受け入れ先が妻の実家で、快く迎えてくれたからと言って、歓待されるままに宴に溺れほくほく顔でいるのはいささか体裁が悪いのではないか。

 祥の家臣である岩井はそう思うのだが口には出さなかった。余計な口を聞き、藪をつついて蛇を出す真似はしたくない。扱いにくい主には、出来る限り気分よく過ごして貰いたいのだ。

 むしろ正妻で佐々木昌幸の妹であるお才の方の方が塞ぎ込んでいる。

 せっかく自分の実家に戻ったというのに、彼女は歓迎の宴にも顔を出していない。恐らくは兄に合わせる顔がない思っているのだろう。出戻ったことをひどく恥じているらしいと、侍女の一人から聞き及んでいる。

 これからどうなってしまうのか。岩井は先の見えない主に失望しつつある。かといって、他の誰に仕えればいいというのだろう。

 懐かしいかつての主君を思いだす。

 琴州の鷹の子。椎野静はこれほどに愚かではなかった。そしてここまで面の皮の厚いぼんくらでもなかった。

その証拠に、隠居したなどと言って陰で暗躍し、養子の佳近に祥を攻めさせ、見事美里城を奪い取ってしまったではないか。

 その実の弟とは到底思えぬ暗君に従う事に倦んでいる。

 


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