第25話 台頭

 椎野佳近は、義父に命じられて美里城へ3百の兵を従えて攻入った。

まだ元服もしていない少年大将に率いられて、兵は、疾風のようにあちこちを走り抜け、主だった警備の兵をすべて倒してしまった。

 祥は、城の警備を非常に軽んじている。

 美里城に攻め込む敵など身近にいないと思っているからである。

 そして本丸の祥へと使いを出し、城内の兵をすべて打ち破った旨を告げさせる。

 もちろん、祥はこれに激怒した。

「兄上の養子如き若造がっ!わしを追い払おうというのか。片腹痛いわ。」

 使者の目の前で書状を破り捨て、それを投げつけた。

 使者は怒りに震える美里城主を恐れながらも、はっきりと言い放つ。

「それでは降伏なされぬと、そうお伝えしてよろしいのですな。すでにこの本丸以外をすべて佳近様が掌握なさっておられるのですぞ。」

「なめるな。美里城だけが城ではないわ。わしがその気になれば、貴様などひとひねりだと伝えるがよいぞ。」

「佳近様を敵にまわすことは、ご隠居を敵にまわすことにござる。そのことをよくよくお考えか!?」

「謀反人の申すことなどに聞く耳はもたぬわ!」

 烈火のごとく怒りを表す城主に、使者はこれ以上何を言上しても無駄と思い、静かに頭をさげてひれ伏した。

「お館様のお言葉、しかと申し伝えまする。」

 それだけ言うと、これ以上の長居は無用とばかりに疾風のように本丸を去って佳近の元へ駆け去ってしまった。

 あとでその様子を聞いた岩井が、

「殿!何故我ら臣下に何のご相談もなく…!!」

泣き出さんばかりに言い募ると、

「心配はいらぬ。兄上には城主たる資格などないのだ。その養子の佳近なぞ論外と言ってよいわ。」

「何を根拠にそのような…ご隠居様が本来嫡男であられたのですぞ!!その気になればいつでも跡目を継ぐ権利のあるお方。いたずらにことをかまえてはなりません。内乱が一層ひどくなるではありませんか!!」

 蒼白な家臣の忠告にもまったく耳を貸さない。祥は唇の端をあげて笑うだけである。

「よいから兵を吉野のじじのところへ集めよ。わしも本丸を脱出して、荻城へ向かう。お才とお津奈もいっしょに連れ出そう。兄上にはこの国を継ぐ権利などないのじゃ。」

 岩井には理解できなかった。

 祥の、その自信の根拠がどこにあるのか、さっぱりわからなかった。彼の知る限り、どう考えても今の主君は、隠居した実兄に先手を打たれて追い詰められて劣勢である。そして、祥がこれを挽回する機会があるとはとても思えなかった。



 佳近はあえて祥の脱出を見逃していた。そうするように指示を静からうけているのである。

 そして、美里城に駆けつけたときはたった三百だった兵が、今は二千に膨れ上がっていた。静が次々に援軍として送り込んでいるのだ。

 このまま静の出陣まで、美里城を守ることが佳近の役目であった。

 一方の静は、隠居所から一歩も外へ出ることもなく、次々に味方を申し出る領内の豪族や、もはや祥に見切りをつけたかつての家臣達に指示を与え続けていた。

「いつかお起ちくださると信じておりまいた。」

 臥所の向こうへ訴えるように竹脇は言った。

「あのような不躾な書状でも、ようここまできてくれたな、竹脇。」

 笑いを含んだ声で、隠居が礼を述べる。

 織部の手で竹脇道長へと送られた書状には、非常に無作法で気楽な内容しか記されていなかった。

「酒が手元不如意で買えぬので持って来い等と…あまりに静様らしくない書状でございましたな。」

「西尾城と富樫城はこなたで押さえてくれ。そして祥を佐々木家へ逃がすよう退路を狭めてくれぬか。彼奴には子供の戦しか出来ぬゆえ上手くやれるであろう?」

「佐々木家へ行かせるのですか?」

「祥を操るのは結局佐々木家じゃ。喜んで佐々木昌幸は迎え入れてくれよう。」

「お館様を佐々木家へ入れて、あちらにも相馬国を攻める理由を、こちらにも謀反人を問い詰める理由を作るわけですな。」

「そのためにはお才殿をなんとしても無事に佐々木家まで同伴させねばならぬ。側室とやらはどこかへかくまってやるがよい。」

 静かに臥所の前でひれ伏すと、竹脇は

「やってみましょう。」

と呟き、次の間を退出していった。

 すぐに、次の新しい来客を迎えるために襖が開く。

「叔父上…」

 御簾越しに見える椎野兼房の姿を見て、静は驚愕のあまり暫く言葉を失ってしまった。

 常には戦に関与しない叔父が、今や物騒な戦評定と成り果てた隠居所へやってきたのである。

「お加減はいかがかな。ご隠居様。」

 兼房の温厚そうなたれ目が微かな興奮に彩られている。

「見舞いに来てくれたのか。…心配をかけてすまぬ、元気になった。もしや佳近のことでお見えになられたのですか?叔父上」

 次の間にそっと腰を下ろすと、荻城主・椎野兼房はゆっくりと首を横にふった。

「確かに佳近も心配ではあるが、わしも静殿のお役に立てるかと思うて重い腰をあげてきたのよ。足手まといかも知れぬが、何か出来ることがあらば申し付けて頂きたくてのう。」

  …かほどに戦をお嫌いな叔父上が…

 柔和な顔を見詰めながら、静は微かな感動を覚えていた。

 父・涼が行った大戦にもとうとう参加しなかった冴えない叔父は、甥のために、そしてひいては静のために、ない度胸を振り絞って来てくれたのである。

「嬉しゅうござる。かほどまでにこの静を買ってくれたのですか。」

「でなければ大事な息子を養子に出せませぬよ。」

 養子にした従兄弟の父親の申し出に、感情を強く動かされながらも、静はこの老人の使い道を考え始めていた。

兼房は武将とは到底言えぬ腰抜けであったが、その穏やかな人柄は、家中の誰にも愛されている。この老人の申し出を断るのは、よほどの理由がない限りできまい。

「叔父上、まことに済まぬが、ちと別室にてお待ち頂けるかのう?叔父上にお持ち頂く密書を作りますが故に」

「密書でございますか?して、どちらへ」

「我が母上の元じゃ」

「美里丸様へ?」

「それと、岩井の元へ」

「岩井殿の…かしこまりました。」

 静かに頭を下げた後、次の間を出て行こうとした叔父に、静は声をかける。

「戦場で血を流すばかりが戦ではない。叔父上には、違う戦をして頂きまするぞ。」

「お心づかい、いたみいりまする」

 温厚な叔父の去った後に、静は史郎を呼び付けて墨を磨らせた。

  真剣な眼差しで密書を書き付ける主の横顔を見つめている史郎の顔色は、なんとなく冴えなかった。







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