第23話 病の裏で

「三浦、息災であったか。」

高熱を発し、体中に発疹が出来て身動き一つできないはずの患者が、臥所から元気そうな声をかける。

いささか拍子抜けした顔で、かつての主君が床に就く寝室へ顔を向ける。勿論御簾に閉ざされているので顔まではわからない。臥所、次の間、対面の間へと続く部屋へ通され、次の間の下座にて待機を許された三浦は、雨の中、馬を走らせてきたために濡れそぼり、手拭いでそれを拭くこともせずにここまで上がった。

「は、静様、お加減の方は…」

唐突にかけられた声に面食らいながら返答する。

「かなり悪いな。ひょっとすると死ぬやもしれぬ」。

どう聞いても悪そうではない。張りのある高い声は、数ヶ月前最後に会ったときよりもよほど溌剌としていた。

寝室に隣接する次の間から面会を許された元家臣は、端正な顔を困惑に歪めて言葉を続けた。

「医師はなんと申しておるのです?」

「うむ、今そこに来ておるゆえ、そなたきいておけ」

隠居の言葉と同時に御簾が上がり、静が城にいた頃からのかかり付け医師である水縁草庵(みなふちそうあん)が顔を出した。かかりつけ、といっても以前の静はほとんど診療されたことがない。

頭髪が織部と同じく真っ白になった医師で、背中で一つにまとめている。眉毛や髭はまだいくらか黒いものが混じっているが、よく日に焼けた肌に刻まれた無数のしわが年齢を物語っている。

「草庵殿…」

難しい顔をして、御簾を下ろし次の間に降りてきた医師に顔を向けると、

「恐らく、完全に治癒する見込みはありませぬ。」

ひどくきっぱりと言いきるではないか。

「そんな、一体どのような病状なのです。」

額を突き合わせんばかりに詰め寄って家臣が詰問する。

「お命に別状はありませぬが、人前に出ることはお避けになったほうがよろしゅうございます。このお姿をおいそれとさらしては…」

白髪の医師は流れるように診断を述べる。

「なに!」

ぱっと草庵から視線をはずし、障子へ顔をこするように近づける。

…そう言えは発疹が出たとかなんとか言うていた…

「ご隠居様…静様…!」

時環国で別れて以来一度も見ていない顔を、久しぶりに拝めると思って激しい雨の中やってきたと言うのに、かなわないと言うのか。

しがない足軽組頭の子であった自分と岩井を、ここまで取りたててくれたかつての主が、その美しい姿をもはや人前に晒せぬと言う。信じられない。突然の衝撃だった。

三浦とて帰国した時、静の元へ来ることを望んだのだ。しかしそれは許されなかった。岩井と共に祥へ仕えることを命じられた。

主の器量など、気にとめていなかった三浦にも、現在の主がどれほど扱いにくく、仕えにくい主人であることかはすぐに分かってしまった。それだけに、年下でありながら主として自分を可愛がってくれた静がいつも懐かしかったのだ。

この世の終わりと言った表情で障子に顔を押し付ける家臣の姿を横目で見て、申し訳なさそうに苦笑してから、草庵は軽く会釈して、次の間を退出していった。

医師が去ってからしばらく、かつての主従は沈黙を守っていたが、それを破ったのは床に臥しているはずの、静の元気な声であった。

「三浦、しかと聞いたか?」

「は…」

「こなた、今でもわしに忠誠を誓えるか、どうじゃ。」

放心状態に陥りろくな返事も出来なかった三浦は、その言葉を聞くと正気に戻ったようだった。

「申すまでもございませぬ。」

先刻の医師の診断よりもはっきりと言う。

「いかようなときにも?」

「はいっ」

「わしがどのようになってもか?」

祥と言う二度目の主を得てから、ほとほと静のありがたみを噛み締めていた三浦は、もはや主君を変える気持ちにはなれなかった。

「それがしの主は生涯静様にござる。」

言い切った途端に、御簾が勢いよく上がった。

「せ、静様!」

「三浦よ、よくぞ申した。その言葉しかと聞いたぞ。」

肌の色艶もいい、わずかに肥えたと思える小柄な静が、きちんと平服を着込み、備前国光を片手に、布団の上で胡座をかいていた。母親譲りの美しい顔立ちと、よく日に焼けた健康的な肌が瞳を焼くほどに眩しく思える。

「静様、お加減は…」

どう見ても健康そのものの顔には、何の異常も見られない。

「久しぶりにそなたの顔を見られて嬉しいゆえ、気分が良いぞ。」

「そ、それは何よりで…」

キツネにつままれたような顔をして、自分を眺める三浦に、静はにっこりと笑いかけた。

「見ての通りわしは健康じゃ。騙してすまぬ。したが、これからは人前に出ぬつもりゆえ病のふりをいたす。よいか?」

「分かり申した。しかし、それは一体何故に…」

隠居の笑顔につられてしまいそうな三浦の頬が、わずかに緩んでいる。

「それよりこなた、何ぞわしに用があったのではないか。母から何か言われておろう。」

立て板に水といってもいい歯切れのいい会話は、紛れもない静のもので、三浦は懐かしくて涙が出そうになった。誰もが静を温厚で大人しいな武将だと言うが、傍近く仕えるものは彼を大人しいなどとは少しも思わない。

「は、ご明察で。御病とお聞きしまして、美里丸様、山背御前様ご心配なされ、山背御前様お見舞いにこちらへみえられたいとのことで、御容体のほどをうかがいに参りましたが…」

「お才殿か。よし、いつでもお越し下されるようお伝えせよ。ただし、対面は御簾越しであると念を押してな。」

「お伝えいたしまする。」

「よしよし。これ、史郎よ。酒を持て。」

手を叩いて、小者を呼び付けて命ずると、静は臥所から次の間へ降りてきた。すぐに史郎が脇息と座布団を上座に用意して、次の間を出る。

相変わらずこまごまと働く史郎の姿を久しぶりに見て、三浦は訳もなく嬉しくなった。

襖戸が開くたびに、外の大雨と風と雷の音が鳴り響く。湿気った冷たい風が次の間を吹きぬけた。

「ひどい雨だの。火急の用がなければ、泊まっていけと言いたいところだが…」

「いえ、お方様がお返事を首を長くしてお待ち下されておりますれば…」

「ふむ。では、一杯だけ付き合うてゆけ。」

足音が聞こえ、史郎が小さな声で失礼します、と告げる。

冷や酒と川魚を焼いた皿が運ばれ、静は三浦に酌をしてやった。

「恐れ入りまする。」

「何を言うか、以前はいつもこうして飲んだではないか。」

互いに杯に口をつけると、いずれからともなくため息が洩れた。

「わしがこのようにぴんぴんしておることは無論他言無用じゃ。母上にも祥にも言うてはならぬ。竹脇も吉野のじじにもじゃ。」

「されば、何と申し上げておけばよろしゅうござるか?」

「原因不明の熱病で、人前に出られぬ爛れた顔になったと申せ。」

「かしこまりました。」

「わけはそなたにもいずれ打ち明けよう。事が済むまでわしの一存に従うてくれぬか。」

箸で焼き魚をつつきつつ、淡々と静は語りかける。

「ついに、おたちあそばされますか。」

三浦は杯を置き、興奮も露わに身を乗り出した。

「…立たねばなるまい。恐らく祥は佐々木公が手をこまねいて相馬国を料理しようと待ちかまえていることにも、気づいておらぬだろう。」

「静様が決起なされば多くの者が味方しまする。必ず美里城へ返り咲けましょう。それがしに出来ることを何でもお申しつけ下され。」

「そなたが隠居所に出入りすることは危険ゆえこれ以後はやめよ。お才殿がこちらにおみえになるときは…そうじゃの、鏑木基胤を護衛に付けよ。当面は変わらず勤めるがよい。それから…」

再び静が手を叩く。廊下に面した襖戸が左右に開き二名の男が平伏していた。

「池田正次と日向理平治じゃ。何かあらばこの者たちがそなたのところへ行く。覚えておいてくれ。」

二人の鋭い眼差しを見て、三浦はこれが噂に高い加羅衆の密偵であると直感する。三浦は彼らと面通ししたのは始めてであったが、暗躍には非常に心強い味方だときいていた。

本格的に静の動きが始まったのだ。それが嬉しくて、三浦は二人の密偵にも愛想良く声をかけた。

「よろしゅう頼むぞ、両名。」

「はっ」

低い返答が聞こえると、

「よし、さがってよいぞ」

静が命じた。

めったに見られない密偵の姿をもう少し見ていたかった三浦は、名残惜しそうに閉じる襖を眺めている。

「先に申しておこう。岩井のことだが…」

「あ、岩井殿も、この事を聞けばさぞ喜びましょう。いつも、静様を恋しがっているから…」

視線を転じて、静に酌をしようと手を伸ばした三浦は目を丸くした。

主君の悲しそうな表情を目の当たりにしたからである。

「あれは、わしを裏切った。祥をたき付けて謀反を起こしたはあれじゃ。他国へ侵略する意志のないわしでは、主として役不足だったのかもしれぬ。そなたは帰国が遅かったゆえよう知らぬだろうが、そなたが祥直属で仕えられるは岩井のおかげよ。わしが挙兵しておれば間違いなく敵味方じゃ。」

「な、なんですと…!」

三浦が杯を取り落とした。

「そしてこれからそうなるやもしれぬ。」

厳しい声だった。

「彼奴はわしの手の内を知っておる。それゆえ敵に回ることがあれば岩井こそ生かしておけぬ。…よいか、わしと話し合うたこと、ゆめゆめ気取られてはならぬ。おくびにもだすでないぞ。」

「静様、あの…」

「なんじゃ」

「お怒りはごもっともにございますが、何とぞお許しを頂とうございます。それがしが、二度と静様に逆らわぬよう説得いたしますゆえ、どうか、岩井殿を…」

「許せ、と申すか」

「はい」

「そしてまた裏切ったらいかがするぞ」

「それがし腹を切って責任をとりまする。」

三浦の、同輩を守りたいために体を張る意気込みが伝わり、静はちょっと苦笑した。

「それではわしは大損じゃ。裏切られ、大事な家臣を失って…一文にもならぬ。第一、三浦よ、わしが兵を挙げたからと言うて勝つとは限らぬぞ」

「静様は負ける戦などなさらぬ。」

自分のことのように、胸を張って家臣が言い切った。

静は仕方なく、ここは折れることにした。

「…わかった。岩井のことは全てが済んでから考えよう。よいか、そなた、けして余人に悟られてはならぬぞ。岩井にもな。」

「はい。」

「さればそろそろ戻るがよい。日が暮れてから雨の中帰るのはきついぞ。」

「それでは失礼いたしまする。ごちそうになりまいた。」

「きをつけてな。」

立ち上がった三浦を見上げて、静は声をかけた。

「かたじけのう、ござる」

三浦の身支度を用意していた小者が音もなく駆け寄ってきた。

「そうじゃ、聞いてみようと思うていた。史郎よ」

「は?」

雨支度をする史郎に向かって、三浦はかねてからの疑問を小声で投げかける。

「ここにきてから静様に存分に可愛がられておるのか?」

その言い方は明らかに、単なる主従の関係以外のことを意味していた。三浦は、静が男色家でその相手に史郎を選んだと思っている。

すると、史郎の面が真っ赤に染まった。

その推測は当たっていないがはずれていもいないからだ。

次の瞬間、同じく真っ赤になった隠居が脇息を投げつける。

「ばかなことをいうな!さっさと帰れ!」

「わ、若殿、危のうござる。」

襖にぶつかる寸前に脇息を受け止めた史郎が、真っ赤な顔で、何と返事したものかを主に無言で尋ねる。

勿論、答えはなくさっさと臥所へ入っていってしまった。

「三浦様…困ります。御隠居様を怒らせないで下さい。」

「すまんすまん。まさか聞こえるとは思わなかったのだ。」




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