第17話 家督争い

 たった一日で戻り、富樫城へ入った静の知らせを受けて祥は驚愕した。

「兄上に伝わったのも速かった…しかもこれほど速く戻ってこようとは。」

 念願の城主の間で腕を組んだにわか城主は、兄の電光石火のごとし素早い行動と情報収集能力に驚いた。

「ほっておくわけにゆかんな。富樫城を明け渡してもらわねば。この相馬は最早わしのものじゃ。それに兄上に付き従う加羅衆も…」

 加羅衆は勿論静の親衛隊ではない。城主の命令によって動く軍である。当然祥が支配すべきものであった。

 …兄には、薄ら寒いところがある。滅多に声を荒げず、常に物静かで口ではいつも戦嫌いと言うておるのに、実際兄上が参戦した戦は大抵勝っている…

 静などには負けぬ、という激しい闘志はあっても、ときにそれが薄ら寒い不安に変わることがある。

 …本当に兄と戦ったら勝てるのか?

 そう自分に問えば、

 …いや勝つ。勝たねばならぬ。

と自分で答える。そうやって闘志をみなぎらせる。

 何しろ、ろくに兄弟喧嘩さえしたことがない兄なのだ。

 そして、噂では謀略に長けている、とも聞く。

 時環国との政略結婚や、水汀を落としたときなどのことを思うと、背筋が寒くなる気がするのだ。

 …生まれてまもない赤子の妙に婚姻だと?

 …前領主を亡くしたばかりの水汀に攻め込み、殆ど戦わずして井筒城を落としたと?

 井筒城前城主を、静が暗殺したのではないかという噂までも流れている。

「負けぬ。絶対に負けられぬ。」

 独り言のように何度も呟いた。城主の間を一人で何度も行ったり来たりする。

「岩井はおらぬか!」

不安に耐え兼ねて、家臣の一人を名指しで呼ぶ。

しばらく待つほどもなく、やってきた柔和な顔の男が、

「これに」

と、平伏する。

岩井介正は、静の腹心ではなかったか。

「兄上は富樫城へ入られたそうな。すぐに富樫へ兵を送れい。」

「その前に、使者が参っておりまする。お会い下されませぬか。」

細い目を一層細めて言う岩井に、祥は面倒臭そうな顔つきで、

「たれからじゃ。急ぎか?」

と尋ねる。岩井は気にした風もなく答えた。

「富樫城からでございまする。」

「なんじゃと!」

祥は目を見開いた。

「どういうことじゃ。兄上からか?岩井、そちは長年兄上に使えておったのじゃ、何かわからぬか?」

「皆目見当も付きませぬが…静様は元々戦嫌いの温和なお方。和睦し、話し合いたいとでもいうてこられるのでは…」

にわか城主は小さくうめいて腕を組みかえる。

この家臣が言うのもわからなくはない。いつも戦嫌いと口にする静のこと、確かにそれもありえないこともないが逆に罠にかけられそうな気もした。何しろ、あの若さで謀略家なのだ。

「使者はたれじゃ。」

「安川内記でございます。病身の身を押して登城した模様です。」

「よし、会おう。」

岩井は軽く頷いて退出した。

対面の間で使者と会う旨を侍臣に伝えるとすぐに城主の間へ急ぐ。

…静様と違いせっかちでいらっしゃることだ。短期で野心家…そのくせ、根は小心だ。俺の目的にはぴったりだが、操縦するのは骨が折れる…。

重臣達との口論の末、興奮覚めやらぬ祥に謀反を薦めたのは静の腹心・岩井忠正であった。

…あれほどの器をお持ちなのに、静様は野心がない。俺にはそれが我慢ならないのだ。

 三浦がその野心を確かめようとおもむろに発言したことは戯れにされてしまった。岩井は本気で思っていたのだ。

静様は若く先が長い…全国制覇も決して夢ではない。

竹脇は静のような武将が他国にいるという。

しかし、他国にいても仕方ないのだ。この、相馬の国にいなければ意味がない。今更他国の武将に仕えたところで今ほど重用されまい。だから静に望みを託していたのに、何と本人は全国へのぞむ気が無いというのだ。

「殿、対面の間へおこし下されませ。」

新たな主君・祥へ声をかける。

前領主に良く似た外見の祥は、温和な静よりも扱いにくいが、何を考えているのかが一目瞭然である。

早く言えば…

「少々わがままでお人好しな…」

少年であった。兄に対しての劣等感が非常に強いことを除けば毒にも薬にもならぬ。

対面の間に、げっそりとやつれた安川の姿があった。

久々の出仕に緊張した面持ちであるが、以前の生き生きとした印象がすっかり失せて病持ち特有の、どこかくすんだ顔色をしている。その脇に、きちんと包装された白い書状が朱塗りの台にのせられていた。

「長らく登城いたさず、ご無礼を…」

上座に座った新しい主君を見上げて、安川は思わず声を上げた。

「おお。まことに涼様のお若きころを見ているようです…」

これは使者を頼んだ静に、まずこの事を口にせよと言われた事であったが、だから出た言葉ではなかった。

本当に良く似ているのだ。

そして次の間で取り次ぎをする岩井の姿に見入った。

…確かこの若者は静様にお付きのものでは…

あいまいな記憶なのでしかと覚えているわけではない。特にここ一年はまともな出仕をしていないので、安川は自分の思い違いと考え、すぐに上座へ向き直った。

「さようか。年配の家臣達はみなそう申すの。」

祥は父親に似ていると言われる事が自慢なのである。鷹と呼ばれた父に似てるという事は自分も鷹になれそうな錯覚をおこさせる。

うれしげに顔をほころばせて、祥は安川をいたわるように言った。

「病中にも関わらずようもきてくれたな。さ、用向きを申せ。」

「は…この書状を静様よりお預かりしてまいりました。それがしも内容を許されて拝見しております。なにとぞお返事を承って参りとうございます。」

恭しく差し出した書状を、次の間の岩井が静かに受け取った。

それを広げた祥は、恐る恐る兄の筆跡を確認して読み始めた。書状は仰々しい封書に引き比べ、ひどく簡潔でくだけたものであった。


弟・祥殿


以下の五つの条件を満たしていただけるならば、兄は兵を出さずに隠居いたす。

一つ 比良山の麓に隠居所を設け我がそこに居住する事

一つ 同行する僕を十名我に選ばせる事

一つ 我が隠居所に出入りするものを何人たりとも咎めぬ事

一つ みだりに戦し、国を乱さぬ事

一つ 此度の件に付き何人たりとも罰せぬ事


返答を書面にて安川内記に与え、これを帰すならば兄はすぐに

こなたに家督を譲る。

椎野 静


「どういうことじゃ安川…兄上はこのままわしに美里城を譲ると仰せなのか?」

書状を傍らの岩井に返しながら聞き返す。

受け取った家臣は内容を見て、目を見開いた。

「そちらの五つの条件をすべて守れるならば、ご自分は隠居すると仰せになりました。国が守れるならば、領主は自分でなくてはならない理由など無いと、かように申されて、これをそれがしに預けられたのでござる。」

苦虫を噛み潰したような、なんとも不愉快そうな表情のまま、にわか城主は、病身の家臣に別室にて待つよう申し付けた。

「いかが思うな、岩井よ。」

にわか家臣の岩井もまた何とも怪訝な表情をする。

「確かに、静様のご性情から考えますれば有り得ぬ事とも思えませぬが…」

常に守勢を崩さぬ静の言動から、想像の付く書面である。

心なしか安堵した声音となった祥がつぶやく。

「これが本当なら、願っても無い成り行きじゃ。わしだとて血を分けた兄と本来ならば戦しとうない。」

岩井は細い目と注意深い神経をしばし書面に向けていたが、

「しかし、もしもこの条件を守れなんだときに、どうなるかは書いてござらぬ。それが気になりまする。」

と告げる。

「大した条件ではない。兄上は家督をわしに譲った後ご自分の居場所を確保したいのであろう。僕と言うても十名…比良山は本城からもそうは遠くない。誰が出入りしても見張る事はできようぞ。それに、一度隠居した兄上が後になって約束が違うと言い出したところで何ができよう?家臣も、兵も無いただの若隠居に」

「そんな、静様は裏でどのような工作をしておるかわかりませぬぞ。隠居したからといって、兄君の人望までが簡単に消え失せるわけではござらぬ。…本来ならば一戦を交えて勝敗をきちんとつけるが間違いないこと。」

「兄のほうからこのように言うてきたのに、こちらから戦を仕掛けるなどという卑怯な真似はできぬわ。」

現在もっとも腹心といえる岩井は、この主の言い分に呆れた。昨日までは兄をののしり、必ず勝つと息巻いていたのに…いざとなれば兄と戦争などせずに済ませたいのだ。

口では負けぬ、とどれほど言い張ろうとも実際の兄の強さに触れた事が無い弟は、その底知れなさに無意識では恐怖している。

しかし、意識の上では自分より小柄でおとなしい兄の、何が恐ろしいのかまったく理解できない。

…殿は甘いな。静様はこれで済まされるようなお方ではない。仮に今はそうでもいつかはきっと…

この、渡りに船と言える強敵の提案に祥は舞い上がってしまっている。おそらく何を言っても無駄であろう。

「では、ご返書の方をお書き遊ばされますか?」

「うむ。これほど兄上がお話のわかる方ならば、一度お会いしても良かろう。我が家臣としてならばきっとうまく行くのじゃ。兄上とわしは。」

一人ご満悦の様子で機嫌良く筆をとる主君を見て、岩井は小さくため息を吐いた。

この主に足りない部分は、自分が埋めなければならぬ。静がどのような手を打ってくるのかを想定して、岩井の小さな頭は複雑だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る