第14話 男領主・女領主

 百名の人数の理由が宴会の席になって始めてわかった。

「凄いな。噂には聞いていたが、なんという…」

 豪華である。とにかく贅を尽くしていた。宴会用の遊女や、僕・使用人・料理人。会場を設置する職人までいた。

 給仕の殆どは貞安公ご自慢の綺羅綺羅しいお小姓と数名の侍女達が行っている。

 普段から酒は手酌か小者で、女など呼ばず、肴はたくわんのしっぽという静には、目が眩むほどの席であった。

 寺の客間を全て開け広げ、屋外に天幕を張り池に船を浮かべ、女達が演奏し、踊り、歌う。膳は次々に取り替えられ、ぼんやりしていると食べ損なってしまう。

  …恐るべき財力。このような金を今のわしにはとても用意できない。やはり五カ国を治める領主ともなればこれほどのものなのか。…しかし、これだけの金があれば、わしは絶対土地の開墾に使うが、その必要もないほどに時環国は豊かなのだろ

うか?

 静の従者達もはじめは驚愕のあまり愉しむよりは呆けてしまっていたが、年若い彼らは次第に雰囲気に慣れ、浮き足だって宴の中にのめり込んでいった。

 元来このようなばか騒ぎを好まぬ静は密偵の池田と共に、

「この酒はいずこのものじゃ?うまいの。」

「享和の方だとおもいまする。あちらは水がよいのです。」

等とちびちびとやっている。

 宴会は好きなのだが派手さを好きになれないので、他の若い家臣達のようにのめり込めなかった。

 …これで史郎が酌でもしてくれればまだ楽しかろうが…

 椎野の殿様は宿泊所で静の帰りを待つ小者が恋しかった。質素で朴訥で正直で、自然な彼が懐かしく思えてしまう。

「すさまじいのう・・貞安公は時環と相馬の国力の違いを見せつけたかったのじゃ。」

「はぁ」

「ようわかった。お腹いっぱいじゃ。」

 表情だけはそのまま、うんざりしたように呟く主君の声を聞いて、池田は苦笑した。

 そこへほろ酔いと泥酔のちょうど真ん中当たりをさまよっていると思われる、このたびの主催者が単身で歩み寄って来るではないか。つい今し方まで遊女と戯れて舞を披露してていたように思えたが、いつの間にこちらへ来たものか。

「静殿はお若いのに、このような宴はお嫌いか?」

「い、いいえ。あまりにすばらしいので、気後れしてしまっておりまする。それがしは田舎者ゆえ、見るもの全て新しく…目が回りそうでございます。」

 やや上気した顔をほころばせながら、時環の殿様は提案した。

「静かな別室にご案内いたそう。酔い覚めに冷たい茶でも…」

「それは、よろしゅうござりますな。」

 ありがたいと思いながら静が快諾すると、貞安公は若い領主を促して立ち上がる。飲んでいる割には足下がしっかりしているので、池田は少し安心した。

「従者の方はここにおられてもようござる。お連れになりまするか、静殿。大抵の用はわしの小姓どもがたしますが。」

 続いて腰を上げようとした池田を制するように中年の領主殿が尋ねる。

 静はいささか赤い顔を緩めて、

「池田、かく仰せになってくれるゆえおぬしはそこにいてもよいぞ。」

 自分の主にまで言われては無理に付き添うわけにも行かず、仕方なく池田は首肯した。だが、次に静が付け足した台詞が池田の次の行動を決める。

「だが、まだ引き下がるなよ。そなたはわしを守るのが役目ゆえ、わしが床につくまでは下がることまかりならんぞ。飲んでも遊んでも構わぬがな。」

 くすくすと笑って貞安と歩いていった静の瞳は、決して酔っておらず笑ってもいなかった。

 榊原が開いてくれた玄関を通ると、宴会の喧噪が嘘のように遠く聞こえた。このような離れ屋があったとは、到着したときには気が付かなかった。

 この禅寺、名前こそ寺だが、どうやら貞安公の別邸らしい。

 こじんまりした書斎らしき部屋に通され、静は下座にぼんやりと胡座をかく。先刻とは別世界のように空気がひんやりとし、心地よい。どうやら香を炊き込めているらしく、眠りを誘う優しい香りが漂う。ふすま絵は白地に墨一色で描かれた鷹・竜・兎。床の間には一輪の竜胆が生けられ、その上の掛け軸には白楽天が記されている。違い棚はじっくりと漆を塗り込められた檜。

  …素晴らしい。なんと美しい部屋だろう。

 宴会よりもこちらの方が何倍も静の興味をそそった。竜胆が生けられた壺は、静が腰に帯びる両刀の十倍の値段はするだろうし、床の間の作りは見たことのない飾り棚である。

 部屋の中を見回している内に貞安公が蝶丸に冷茶を持たせて入ってきた。慌てて静は平伏する。

 一瞬蝶丸の美しさに静の目は釘付けになる。

  …先程は遠くてよく見えなんだが、なんという整った顔をしているのだろう。あの肌の白さ。本当に男か?

 茶器を揃えると、蝶丸は下がっていった。思わずその後ろ姿まで見送ってしまう。

「我が小姓、お気に召しか?」

 年若い静の様子がおかしく、貞安公が声をかけた。

「いいえ。とんでもございません。それがしは小姓をおきませぬゆえ、あまりに美しい方を見てつい目を奪われました。」

「都でさえ、あれほどのものはみつからなんだ。わしは運がよいのかの。ところで、静殿。」

冷茶を指して、飲むように促す。

「いただきまする。過日死んだ父は何度か京へ参ったようですが、私はまだ行ったことがございません。」

 白く艶のある薄い茶碗を手にとって一気に干す。えもいわれぬさわやかさで、もう一杯といいたいくらいだった。

  …茶碗までこのように凝ったものを…

 夏らしく白地に青竹の小さな模様をあしらった薄焼きの陶器である。名残惜しくそれを茶托に戻した。

「涼殿か…京で一度だけお会いしたことがある。それも吉原の郭での。ははは。静殿の御父君もお好きであったなあ。わしも人のことはいえんが。」

 父親の色好みを指摘されて、静は赤くなった。

「静殿は女嫌いとか?」

「はあ…」

「そのようにうかがっておらなんだら、乳飲み子の婚姻より、年頃の我が娘の中から好きなのを娶ってもらおうと思うていた。」

  …そんなに娘がたくさんいるのか…

 娶らずに済んで、本当によかったと安堵する静であった。

「申し訳ございません。」

「かといって俗世を離れるわけでもなし。静殿はひょっとして…」

 唐突に貞安公が腰を浮かせた。上座から下りて茶碗を持ったまま静の隣に跪く。

「静殿」

「はい。」

 相手の意図がつかめず、静は狼狽を隠しながらわずかに後ずさった。斬りつけてくるには近すぎる。相手の酒臭い息がかかりそうなくらいだった。もっとも酒臭さでは自分も同じようなものなので気づかないが。

「静殿には弟君がおられたな。お幾つじゃ?」

「は、十五を過ぎまするが・・」

「ほう。ではもう元服を過ぎておるの。どうじゃな、静殿。そなたわしに仕えぬか?」

 酔いが一気に冷めてしまった。

「な、何を仰せです。わしのようなうつけ者などものの役にも立ちませぬ。」

「家督は当座弟君に譲られてしばしわしに仕えよ。さすれば相馬の国はわしの直轄地として守ろうぞ。」

貞安はいよいよ興にのってきたようにペラペラと喋りだした。器を畳の上に置き、静にのしかかるように押し迫ってくる。

「お、恐れながら弟はまだ若輩にて、とても一国を治めることなどできかねまする…」

 目の前の中年男がぐいぐいと迫ってくるために、無礼に当たらぬ程度によけながら後ずさる。

「静殿は美しい…今日あったときからなんと清らかな姿をお持ちなのだろうと思うていた。わしに仕えよ。そしてわしの思いを叶えて下されば、どのようなことも思いのままぞ。わしの気持ちを受けてはもらえぬか…」

 何だか貞安公の言葉もひどくあやしいものになってきていた。

「おっっ恐れながら、椚山公は酒量が過ぎておられるようにて…」

 もはや貞安の目当ては明白であった。ものすごい力で迫られ、両手を静の体へ伸ばしてくる。

  …まずい、このおっさん衆道だ。本家本元の男色家。しかもわしを間違いなく少年と思っているぞ。うわあああ…。

「お離し下され!椚山公!」

 このままいいようにされてしまうのは絶対にまずいし、その途中で女とばれるのもまずい。かといって刀を抜くわけにも行かない、力任せに投げ飛ばすわけにも行かない。

  …池田が、ひかえていてくれれば…

「たれぞおらぬか!殿がご不快じゃ!」

 静は力の限り叫んだ。

 襟元と袴の裾に中年男の手が入り込んだときにはたまりかねて、誰かが自分の声に答えるのなど待てず、ついに突きとばしてしまった。

「一国一城の主ともあろうお方がなんという醜態をなさる!民が泣きまするぞ椚山公!」

 素早く立ち上がり脇差しを胸に抱く。

「同じ侍として情けのうござる。このような屈辱を強いられるならばこの場にて切腹いたす!」

 美里城主に振り払われた欅城主は、ぎらりと光る備前国光の刀身を見せられるにいたり、仕方なく身を引いた。

「お呼びになりましたか?」

 障子越しに廊下から静の叫びを聞きつけた蝶丸と、もう一人低い男の声が聞こえてきた。

 …池田。よかった。やはり控えていてくれたな。

 刀を我が身に押し当てたまま安堵する。

「なんでもない。蝶丸、冷茶を所望じゃ。静殿にもな。」 

 落ち着いた声で貞安公がそう命じると、そのまま美しい小姓は去っていった。

「…静殿、悪かった。酒が過ぎたようじゃ。もう二度とこのような振る舞いに及ばぬゆえ、刀を鞘に戻しなされ。」

 近寄りはしないが、とりあえず脇座を元に戻して下座に座ると、貞安も上座の自分の位置へ戻った。それを見てようやく息を付く。

「すまぬ。悪いが今の忘れてくれぬか。…わしの色狂いは時折自分でも歯止めが利かぬほど度が過ぎておるのだ。よくぞ目を覚まさせてくれた。」

「ご無礼をいたしました。」

「何を申されるか。涼殿のお子があまりに美しゅうてつい、出来心を起こしてしもうた。許してくれ。榊原に見つかるとまた、あれがうるさいゆえ。」

 普通の娘ならば中年にとはいえ、男にこれだけ美しいと連発されると嬉しくなるが、史郎と父親以外に何を言われてもまったく心が動かない静である。

 そもそも自分が美しいなどと言われても実感がないのだ。

「二度となさらぬならば口外いたしませぬ。わしこそ、大声を出してしまい…」

 確かに、今の二人からはまるっきり酒が抜けていた。

 静も幾分落ち着いて、再び胡座をかく。

「許されよ。」

「両家の同盟が続く限り口外いたしませぬ。」

 お小姓の声が聞こえて、冷茶が運ばれてきた。美しいお小姓に今度は一瞥も与えず茶碗を受け取る。

 彼が出ていくと、しばらくの間沈黙があった。

 両城主が疲労しきってしまったように、どうにもけだるい沈黙で静はぼんやりと正面に見えるふすま絵を眺めていた。池田がどこかに詰めていてくれると思うので、安心している。

「静殿は一見おとなしそうだが、実はずいぶんと激しい気性をお持ちじゃのう。よもや腹を切るなどと言われるとは思わなんだ。」

 沈黙を先に破った貞安公が感心したように呟く。

「まるで龍のようじゃな。」

「…は?それがしが、ですか?」

 言われて静が貞安を見上げる。

「我が時環には龍神伝説が多いのをご存じか?濃州には環三霊峰と呼ばれる山々があり、湖沼地帯でな。」

 濃州の環三霊峰が龍神伝説で有名なのは静もよく知っていたので、相づちのつもりで頷く。

「その内の一つ、護徳湖には非常におとなしい龍神が棲むと言われている。なぜなら護徳湖はさざ波一つたてぬ、真に静かな湖でな。」

「確か、水の色が赤く見える湖と聞き及んでいまする」

「そうじゃ。水自体は普通の透明の水なのだがな。ある日愚か者が龍などおらぬと言いだし、誰も入ろうとしない護徳湖に船を浮かべ荒らし始めた。すると水底で眠っていた龍神が目覚め怒り、愚か者とその船を沈めた。そして人々の愚かさに絶望してその身を引き裂き血の色で湖を染めた後、天に帰ろうとした所、現在の護徳神社の祖先である神官が引き留めて、今も湖の底に眠っている。」

「ほお。…そのような伝説がありますのか。」

「静殿は龍のようだ。日頃おとなしいが、いざ、我と我が身…国を守るためにはどんな手段もいとわない。しかもその手段は自分を犠牲にしておらぬか。自分が血を流すことを恐れぬ。違うかの?そなたは静かなる龍なのじゃ。」

 伝説の龍神と一緒にされるなどおこがましくてたまったものではなかった。そんなご大層なものではないし、自分は犠牲になどなりたくはないと言いたいが、たった今脇差しを抜いて見せてしまった手前、静は返す言葉がない。

「……」

  …貞安公とは、色恋が飛び抜けて好きだと言うだけのことがあり、なかなかのロマンチストだな…

「そなたの父君が、『箏州の鷹』と呼ばれたのを知っておられよう。涼殿は我慢強く領国を守り通し、ついに宿敵・丘越国領主高良頼一を倒し、水汀を手にし、山背国との婚姻を決めた。お若い頃は、苦労なさったと聞いている。」

「はあ…」

「鷹が龍を生むというのも面白い話よ。それにのう、静殿。」

「は、」

「護徳湖の龍神が人の姿をとると乙女だと言う説もある。それ故に、荒らされるのを好まない。汚れを嫌うのだそうな。」

「…!」 

動揺が顔に出ないよう、顔面の筋肉に力を入れる。

 確かに多少は触られた気がする。

 気づかれたのだろうか?

「龍神の化身はそなたのように美しいに違いあるまいよ。」

 すっかり酒気の消えた温和な中年男となった貞安が、昔語りを息子に聞かせるようににこにこと笑った。

 先程手を伸ばしてきた男と同一人物とは思えぬ、誠実そのものの笑顔で。 


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