第11話 鷹の子供達

 父親の死から一月が経ち、静は堀河城から美里城に戻ってきた。

 当座は織部に堀河城代を任せ、ゆくゆくはしっかりした重臣をつけて祥に譲り渡さねばならぬ。

父の臨終に間に合わなかった祥を、静は常になく激しい剣幕で叱った。

「翌日に婚礼を控えたものが、城を離れるとは何事ぞ!」

「あ、兄上…しかし」

今や城主として君臨する静に、居並ぶ家臣達の面前で、上座から頭ごなしに怒鳴り付けられ、言い訳もできないほどに狼狽した。

「言い訳など聞かぬわ!」

いつも穏やかでやさしく、大声など張り上げたことなどかつて一度もなかった兄なのだ。

「聞けば父を斬ったと思わるるあやしき兵、お主が入城を許したというではないか。それはお主だけを責めても始まらぬが、警備兵を集めて城を空にするなど武将の行うこととは到底思えぬわ。調子に乗るにも程がある。」

「兄上…」

 一言もなかった。なぜそんな愚かな行動をとってしまったのか、自分でも不思議に思うほどであった。

そして静のこの様な激しい怒りを目の当たりにしたのも初めてで、祥は完全に気圧されてしまっていた。

美里丸御前(お陽)が止めに入らなければ、自分は処罰されてしまうのではないかとさえ思えた。

ここでようやく祥は自分が兄に憎まれていると感じた。

…兄上は、わしのことが邪魔なのか…

暗い邪推を秘めたまま、祥は謹慎に入る。

 あの怪しい早馬の兵が祥に伝えたことは嘘ではなかった。寺に立てこもった野武士たちを退治し、意気揚々と戻ってきた祥を迎えたのは、椎野涼の悲報だったのだ。

確かに、鍋島に行くのは祥でなければ行けない理由などなかった。家臣に命じて行かせればよかったことだし、父にいえば別から兵をまわしてもらえただろう。明らかに功を焦り冷静な判断ができなくなっていた。

 静でなくても、領主がこれを許す訳がなかったのだ。

その頃になると、朝倉史郎も美里城へ移っていた。静は史郎がいなければ

「不便でならぬ」

殿様なのである。

四十九日を過ぎてから、ようやく祥の謹慎が解け才姫との婚礼が実現した。

「何やらひどく長い道程でしたな。」

吉野がため息交じりにそういって静を苦笑させた。

気の毒なのは才姫である。最初の縁談から一年以上経過してからの輿入れだ。さぞ居心地悪いだろう。

だが涼が亡くなった折りに、才姫を山背へ帰さなかったのは正解だった。静が時環国に外交し始めたのを知った佐々木が、婚礼の延期に難癖をつけて、姫を帰せと言ってきたのだ。勿論帰すわけにはいかない。本人には悪いが、大切な人質である。

つつがなく輿入れがすむと、静は才姫を訪ねた。

「お才にございます。よろしくおねがいいたします。」

 澄んだ声で口上を述べた義妹は、父の側室たちとはまた違った美しさを持っていた。

大きな瞳はくるくるとよく動き、愛らしい唇はすぐに笑いの形をとる。色は抜けるように白く、桜色の頬がなんとも初々しい。

しっとりと露に濡れるような艶めかしい美女を好んだ父の側室たちとはまったく違い、天真爛漫な童女のままの美貌に思わず静さえ見蕩れてしまった。

このような女子ははじめてみた…

「静でござりまする。難儀な旅をさせてしまいまして申し訳なく思うています。わしにできることあらば仰せください。できるだけのことをさせていただきます。」

弟の妻はにこりと笑って義兄に見入った。

「お館様は美里丸様にとても似ていらっしゃるのですね。」

どうやら、お陽とはもうあったらしい。

「女嫌いとうかがっておりましたのでどのようなお方かと思うておりましたが、大層お美しい。城内の女性がさぞ泣いていることでしょう。」

初対面でここまで言われたのは初めてであった。さすがの静もすっかりどぎまぎしてしまい、二の句が告げぬ。

この山背から来た姫君は、思ったことをすぐに口に出す性分らしい。

「お、恐れ入り申した。美しいなどと言われたのは初めてでござる。自分では思っても見なかったので・・・」

静は慌てて共のものに婚礼祝いの品を朗読するよう申し付けた。

親兄弟と離れ、遠国に輿入れしてきた小さな姫の心を慰めるために、出来ることはしてやろうと心から思った。


涼の事件以来、お照の容体が悪化し油断できなかったがようやく落ち着いてきたとの報告が入った。

「妙は、健やかにしておるか?」

美園という、梅の丸つきの侍女がやってきて様子を伝えてくれる。

「はい。乳母にも懐かれ、大層お元気でございます。」

十五になったばかりというふっくりしたしもぶくれの、それでいてなんともかわいらしい少女である。美園は時折静に見惚れてぼんやりしてしまうことがあった。

どうやら自分は女にもてるらしいことを、最近知ったお館さまである。美園の熱い視線を困惑の体で受けながら、冷たく、しかし丁寧に、

「さがってよい」

と命じた。

入れ替わるように史郎が茶を入れて入ってきた。

近頃は何も言わなくても静の欲するところがわかる史郎である。

「お疲れでございますか。」

 書斎の文机に山と積まれた文が主人の顔半分を隠していた。

 父に使えていた古参の家臣の半分は息子に後を譲り隠居することを望んでいた。静は、吉野を除いて、殆どの家臣にその許可を与えるつもりであり、自分に引き続き仕えてくれる臣下の格上げを行わねばならなかった。政務はまだまだ終わらない。

 以前から自分の重臣として使えている織部や竹脇は堀河に残して来たために手伝えぬし、三浦と岩井だけではとても手が回らなかった。

 大きくのびをしてから、相馬国に君臨する領主は顔を上げる。

「疲れてなどおらん。ここで命令するだけじゃからの。」

「寝室に火をお入れしておきました。」

「すまんの。春とはいえ、まだ夜は冷える。」

「若殿は本当に寒がりでいらっしゃるゆえ…」

 熱い煎茶を両手で包むように受け取ると、静はくすりと笑った。

「わしを若殿と呼ぶのはそなただけになったの。」

「私にとって静様はまだ若様です。」

 そう呼ぶことに理由は特になかったのだが、誰もがお館、と呼称する中で自分が若殿、と声を出すと静は肩の力が抜けてしまったように苦笑するのだ。なんとなく、そう呼ぶことが今の静に必要な気がした。

火鉢のそばにより、静は大きくため息を吐いた。

父の死後の処理が、ようやく落ち着いてきたのである。後は椚山公との縁談をまとめることだった。

 生まれたばかりのお妙と、椚山公の八男の婚姻を水面下で進めている。勿論、政略結婚である。

 前領主を暗殺した下手人はまだ見つからぬが、影で糸を引いているものが誰なのか、静には大方の見当が付いていた。

「いま少し、辛抱せねばな。」

自分に言い聞かせるように、静が呟くと、

「もうよろしいのでは?」

何もかも見通しているかのように、史郎がにこりと笑う。

「なに?」

「少しお力をぬいてみてはどうですか。若殿は大殿が亡くなられてから引き絞ったままの弓のようにはりつめて、だいぶまいっておられる。」

「仕方あるまい。」

静はお茶のお代わりを所望した。

史郎がすぐに新しい茶を注ぐ。

「大殿は…どのようなお方でしたか?」

「どうってそなたも覚えておるだろう。」

「われら民が知っておるのは御領主様です。静様の父君ではありませぬ。」

「ふうむ。そうよな。…子供のような方であった。わしと遊んでくれるときには、どちらが息子かわからぬほどに夢中でな。優しゅうて厳しゅうて…そう、いつだったか、わしが剣の稽古中相手に怪我をさせてしまったときにはこっぴどく怒られての。」

 静が、父親を回想し、右膝に頬杖を付き懐かしそうに瞳を閉じて語る。父親について語るときはいつでも、嬉しそうで夢見るように安らかな表情になった。

故人となったその人が、静にそんな顔をさせるのかと思うと、史郎の胸が小さく痛む。それは、嫉妬でもあり、悲しみでもあった。

「剣の稽古では仕方ないではありませんか。」

「怪我をさせたことではなく、それを謝らなんだら叱られた。領主の息子と思って傲慢になっている、と言われた。確かに、わしはその頃そういうところがあったよ。誰もが跡取りをちやほやするので、それが当たり前だと思うてしまっていたからな。」

「厳しいですな」

「甘いときには甘いがの。わしがいたずらで母上のお気に入りの茶碗を壊してしもうたときは、一緒に証拠隠滅してくれたのう。ははは。」

「城下では、よく騎馬姿でお見掛けしました。よい女をさがしにきたのよ、などと戯れ言を仰せになって。葬儀の折りには、多くの民が訪れましたな。あれほど民に好かれる殿様はなかなかおりますまい。」

あの葬儀の日、菩提寺に遺体を運ぶ行列が町民と農民でいっぱいになった。吉野が、

「大殿は田楽を大層お好みであった。皆の衆が集まってくれたので、田植え歌で大殿を御送りしてやろうではないか。」

道いっぱいに並ぶ民衆へ訴えかけると、それぞれが口ずさみ始めた歌がやがて一つになり、見事な合唱となって冬の空へ響いたのだ。

あの日、静は喪主を務めていた。民の歌は心に染み渡り、どれほど悲しく、そして誇らしかったことか。

 箏州の鷹。他国では、父がそう呼ばれていると竹脇に聞いたことがある。戦を繰り返しながら、国を豊かにするのは戦争に勝つよりずっと難しい。そうして豊かになった国の人心を一つにまとめ上げて統治するのはもっと至難である。

歌いながら泣いているのものも随分いた。自分も泣きたかった。

あの偉大で懐の広い、無邪気な父はもはやどこにもいないのだ。

小さな声であの歌を史郎が歌い始める。掠れた史郎の声は外へ響かず内へ留まった。

 まもなく春が来る。田植え歌は城下の村のそこかしこで聞こえることだろう。その歌を聴きながら、幼き日は涼の馬に乗せてもらって城下を闊歩した。

『この国はいずれそなたのものとなる。自分のものなのじゃ、大切にせねばならぬぞ。』

 心地よい風が吹き抜ける川岸を、森を、畦道を駆け抜けて静に領国の姿を教えてくれた優しい父親。遠くから民の一人が親しげに声をかけてくる。天気がいいとか、作物の出来がどうとか、子供ができたとか、他愛無いことを語らう。

『よい領主になるには、民の声をよく聞くことじゃ。よいな、静よ。』

葬儀の日の領民たちの悲しみが、そっくり伝わってきた。

あの感情の高ぶりがよみがえる。たまらなかった。

「…やめてくれ、史郎。やめて…」

自分の手を握り締めて父は、静がいるから安堵して死ねると言った。なぜか済まぬことをしたと詫びながら。

もう堪えきれなかった。涙が堰を切って零れ落ちる。

この二月の間になんども泣きそうになりながら耐えてきた。

「もうよろしいのでは?」

もう一度、史郎がそういった。

そうか、それは泣いてもいいということだったのか。

誰が自分にその許可を与えてくれるのだろう。城主として君臨する今、誰も自分にそれを許してはくれない。

「…父上…」

 両手で顔を隠し、声もなく涙を流す。

 歌を止めた史郎が再び言葉を続けた。

 それは、涙にくれるこの領主の悲しみを更に助長する言葉だった。

「これはお照様に御仕えする侍女の方にお聞きしましたことですが、大殿は、静様が生まれるとき女子であったら『しず』と名付けるおつもりだったと…亡くなられた日、仰せになっていたそうです。」

「…しず?」

おのが名の『静(せい)』は勿論『しず』とも読める事くらい知っている。

「ひょっとしたら大殿は、全てをわかっておられたのかもしれませぬなあ。」

 のんびりした口調で、そんな風に史郎は自分の推論を結んだ。

 跡を継いだばかりの若い領主は、小刻みに震えていた。瞳を見開いても、きつく閉じても、涙は止まらない。

 あの父は、全てをわかっていたというのか。その上で静を跡継ぎとして育てたと、そう言うことなのか。

 今となっては誰もその問いに答えることは出来ぬ。

「…あ…ああ…そんな…」

 低く低く泣き続ける静に、史郎はそっと歩み寄った。傍らの茶碗と急須と鉄瓶を火鉢に寄せて、上座にうずくまる主を仰ぐように見つめる。

 史郎よりもたくましくて大柄のはずの静が、子供のように小さく見えた。大切な父親を失って、たった一人で泣いている小さな子供の姿だった。

「好きなだけ、御泣きあそばされませ。」

 静の体をそっと抱きしめながら耳元に唇を寄せて囁く。

 何故かそうすることに何の躊躇もなかった。自分の主人に対しこうしたことをしてよいのかどうか分別がつかぬわけはないのに。

 今、こうせねばならない気がした。

 誰かが静を許してやらなければ、静はいつか領主としての重圧と皆を謀り続ける罪悪感で押し潰されてしまうだろう。

 …罰せられても、斬られても構わない。

 覚悟を決めるのは、そう難しいことではない気がした。

 …この方の力になりたい。自分に出来ることがあるならどんな小さな事でも良い、して差し上げたい。

 それは、史郎自身にも判然としない嵐のような衝動だった。

「このくらいのことしかできませぬが、」

涙に濡れた顔を両手で包み、上向かせる。

「恐らくこの史郎にしかできぬことでしょう。」

唇をゆっくりと静の濡れた唇に押し当てた。

 柔らかで甘い感触に、やはりこの方は少女なのだと、もう一度思う。

 そうして初めて、史郎もまた静に恋をしたのだと気が付いた。

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