第5話 男色家と女色家

 戦争とは言っても、今回は小競り合いばかりで大きな戦とはならなかった。

 と言うのも、水汀国は国行由親というわずか八歳になる領主を抱えて乱れに乱れていた。彼の父・国行由理(よしさと)は堀河に静が移った頃、三十歳の若さで急死している。これを見逃す静ではなかった。まして静は野戦が得意なのだ、水汀のような山国は攻めるのが

「おもしろいなあ…」

とさえ思った。

 少数精鋭の手勢で奇襲を繰り返し、浮き足だった所を攻め滅ぼしてしまう。戦の後半はほとんどが降服の使者の言ったり来たりで、静は攻略を始めてからたった三日で本城・井筒城を落とした。

「骨のある武将もおらなんだ…」

 水汀の軍勢は、静の手勢の奇襲攻撃に虚を突かれ戦意を喪失してしまっていた。

 小者・史郎の見守るそばで夕食の膳に向かう若き武将はのんびりとそんなことを口にした。

「前領主が亡くなった時点で、もはや水汀国は滅びておったのじゃ。民の心も、家臣の心も離れ、どうして良いかわからずに…」

「それゆえ若殿は由親さまをお助けになったのですね。」

「あれは何も知らぬただの子供じゃ。重臣達がどうにかこうにか領主の座に引っ張り上げただけの話よ。会うてみたが、話にもならぬ。まったくもって何もわからぬ子供であった。」

 みそ汁をかき込みながら若い領主は悲しげに言った。

「祥でさえ八つの時にはもう少し道理をわきまえておったがな…。」

 今度はゆっくりと飯を口に運び始める。

 それを見て、給仕をする史郎がクスリと笑った。

「何じゃ史郎、おかしいか?」

「いえ…」

「申してみよ」

「では、若殿は戦中では誰よりも早く膳を平らげてしまわれるのに、こうしてもどってくると実にゆっくり召し上がるなあと思いまして。」

「…ほう気づいておったか。何故かわかるか。」

「戦陣でのんびり飯を食ろうてはいられませぬ。仕方ありません。」

静は箸を進めながらにっと笑って答えた。

「この野菜は何と申すものじゃ?史郎。」

くるりと曲がった緑の植物をつまみ上げ、眺めながら尋ねる。

「はい。ゼンマイでございます。若殿は召し上がったことがありませぬか。」

「あるが、名を知らなかったのじゃ。うまいのう。わしはこれが好きじゃ。」

「左様ですか。嬉しゅうございます。それは私が採ってきたものです。」

「そうか。史郎は物知りじゃなあ。」

「恐れ入ります」

 何気なく空になった碗を静が差し出すと、史郎がびくっと後ずさった。

「…………」

 緊張しきった面持ちで半畳分は後ろへ下がった史郎の顔を睨み付ける。

 史郎はそれに屈しない。それ以上一歩でも近寄ったら部屋を出る、とでも言いたそうに、腰を浮かしかけている。緊迫した雰囲気の中で主従は固まってしまった。

 主君の方が先に折れたように、ため息を付いて碗をおろした。それを見て、史郎が腰を下ろす。

「いい加減やめてくれぬか。わしは飯のお代わりをよそってもらおうとしただけじゃ。そのような態度をとられては食欲も失せる。何だというのじゃ?」

 怒りと困惑の入り交じった声を隠そうともせず、静が言い放つ。

「先日のようなお振る舞いに及ばれては適いませぬ。」

 こちらも容赦のない冷たい声で史郎が答える。

 こう言われては思い当たるだけに静もこれ以上は言い返せなかった。

 三日程前のことである。

 その夜は収穫祭で、堀河城内でもささやかながら祝い酒が振る舞われた。

 宴会でしたたか酔った静が就寝するために史郎を呼びつけて床を用意させていた時のことである。

「大分過ごされたようですなあ若殿。」

床の支度をしながら史郎が酒臭い主君を見やって言う。

「これが飲まずにいられるか。せっかくの収穫祭だというのに誰も彼もわしに側女を押しつけようとしてこぞってやってきおってな。わしの女嫌いを知らぬ者はおらんはずなのに。酒の席でなかったらとっくに怒って退室させたわ。」

 ふんぞり返ってぶつぶつと文句をたれる主君。

 あまり良い酒ではなかったようである。史郎はため息を付いて、主の醜態を見ないようにした。

 外面のよすぎる主君は自分にだけその中身を惜しげなく見せてくれるが、その度に、畏敬の念や、尊敬の気持ちをずいぶんと失わせてもくれる。

 …初めて見たときは若いのにずいぶんご立派な…とおもったが…

 今や全ての化けの皮が剥がれ、知ってしまえばその辺の童が殿様ぶっているのと大差なかった。

 …だからこそ、素直なところが年相応でよろしいと思えるのだが…

「聞いておるのか?史郎。」

「はい、聞いておりますよ。」

 なにやら意味不明な言葉をずっと言い募っていたようである。聞いているはずはないが、そうとでも言わねば面倒だった。

「うそじゃ~聞いておらなんだ。わしが酔うておると思って油断しておるな。わしは酒は飲んでも飲まれたことはない。…そなたもやはり同じなのか。父や母と同じく立派な跡継ぎであるわしにしか価値はないと思うておるのだろう?」

 よくない酒だなあと思いつつ、史郎は愛想笑いを浮かべた。

「立派な跡継ぎなどなかなかなれませぬ。城内城下のものみな若殿のことをお慕いしておりますよ。お若いのにこれほどの人望を集めるなど、そう出来はしませぬ。私がよく存じておりまする。」

「史郎~本当に何もかも分かっておると申すか。」

「はいはい。わかっておりまする。」

「左様か…史郎はよい奴じゃな。」

 何でもいいのである。とにかく酔っぱらいは宥めるに限るのだ。機嫌をよくした主君を振り返って声をかけた。

「さ、殿お床のご用意が…わあああああ!なにをなされます!」

 敷いたばかりの夜具の上に、酒臭い息を吹きかけながら静が史郎を押し倒してきたのだ。

 そうでなくても男色の噂の高い静なのに、こんなことをされれば本当かと思ってしまうではないか。小柄で痩身の史郎は鍛え上げられた静の身体に簡単に押え込まれてしまう。そこから逃げるように動いたが、吸い付くように静の身体が離れない。

 そして、どういうわけかそんな主君の首筋や思ったより小さな手に、どことなく艶めかしさを覚えて、史郎は一層混乱した。

…若殿は男だというのに…!私まで男色の訳がない!

思わず史郎は力いっぱい突き飛ばしていた。

 襲われた相手を引き剥がす意味と、どうかしている自分の感覚を取り戻すために。

「痛っ…何を乱暴な…」

仰向けにひっくり返った酔っ払いが間のぬけた声でつぶやく。

「乱暴なのはどちらです!」

 真っ赤になって怒鳴った後、三畳分は引き下がる。

そんな史郎を追うでもなく、蒲団の上でごそごそとぶつけたところを押さえていたが、そのうちに寝入ってしまった。

静の様子をうかがいつつ近寄ると、熟睡状態の寝息が聞こえてくる。

 酔っ払っていたので少々見境をなくしていたのだろう。冷静に考えればここまで痛い目にあわせなくてもよかったような気がして、史郎は少し罪悪感を覚えた。

いや、思わず逆上して力ずくで突き飛ばしてしまったのは静のせいではない。

同性で主君である静に対して確かに艶めいた何かを感じてしまった自分自身のせいだった。

翌日、何事もなかったように振る舞おうとする史郎に、

「ゆうべは惜しかったのう。もう少しで史郎を手込めにできたのに。」

などと快活に笑いかけてからかう。

「若殿!若殿は本当に男色なのですか!」

我を忘れて問い詰めてしまった。よもや面と向かって男色などとは言えまいと思ったからだ。それをどれほど後悔するとも知らずに。

 一方の静はけろりとして、

「女よりも男の方がよいと思うことがそれに該当するならば、わしは男色じゃろうよ。」

ぬけぬけと言って憚らない。

 それからである。二人きりになると、自分から近づくときはともかく主の方から近寄ると過剰な反応を示す史郎となった。

 たかだかお代わりの催促をしただけで史郎がこのように警戒するのも無理ない事かも知れない。

「冷たいのう…」

 悲しげにそう呟くと夕食の膳を全て平らげて静かに合掌した。引き下がっていた史郎が済んだと見てそれを片づけに膝たちでよってくる。青年が少しも警戒を解いていないのは一目瞭然であった。

 少年と呼んでもいいほど年若い領主は呆れたようにため息を付いて、次の指図をする。

「史郎、お茶のお代わりと、酒を持って来てくれぬか。杯は四つも用意してくれ。」

「は…。四つでございますか?」

「岩井と三浦とわしとそなたの分じゃ。祝杯をあげよう、ささやかじゃが…」

「それはかしこまってござるが…昨夜行われた宴では召し上がらなかったので?」

「あんなじじいどもと気持ちよく飲めるか。すぐに女を呼びたがる。」

 侍女を侍らせて酒を飲む重臣達を冷たい目でいつも眺める静は、そこで飲む酒がうまかったことがない。

「若殿の父上・大殿は近在で知らぬ者のない色好みだというのに、何故若殿はそのようにおっしゃるのか皆不思議に思っておりますよ。」

 膳をかたしながらようやく表情を和らげた史郎を、静はしばし、意味ありげに見つめた。

 それから突然、わざとらしく背中を押さえてみせる。

「うっ痛い。誰かに突きとばされて柱にあたったところが痛い。冷えるとしくしく痛むのう。誰かに突きとばされたところが。」

勿論、当てつけて言っているのだ。

「それはいけませんなあ。今医師を呼びましょうか。」

 気のない返事が障子の向こうから返ってきた。

「ちっ。史郎。この頃そちはかわいげがないぞ。」

 ひとりごちて、静は胡座をかいた足を組み替えた。そしてもう一度ため息を付く。

四人で、と言ったのは二人だと史郎が警戒するからだ。

 今更ながら三日前の醜態が嘆かれる。

 実はあの時の打ち身痕が背中にあおあおと残っていた。酔っぱらっていなかったら、痛みで簡単に眠れなかっただろう。思い切り柱の角に背中をぶつけたのだから。史郎の手加減のなさに、後で考えても鼻白んでしまう。

 気にしていないフリをしながら、史郎に振られてしまったことに、静は実はとても傷ついていた。心身共に。押さえた背中にはわずかな湿布を貼っている。本当はもっと貼りたいが、自分に対して神経質になっている史郎に気づかれてしまうので少なめにしている。

「おしげはおらぬか。」

 次の間に控える侍臣に声をかけると、待つほどもなく中年の女中が居間に現れる。

「お呼びでしょうか」

 おしげは女嫌いの静が唯一直接口を聞く女中である。小柄で痩せており、色は浅黒くお世辞にも美人とは言えない女だが、余計な口を聞かず黙々と仕事をするので静が比較的好ましく思っている。

「先日頼んだ湿布を少々都合してくれ。」

「この間と同じ量で同じ種類でよろしゅうございますか?」

「うむ。すまんな」

 必要最低限の言葉だけを交わし、すぐに引き下がっていった。何に使うかも、誰が使うかも尋ねない。そういう無駄のないところが静の気に入りなのだ。

 恐らく、興味もないのだろう。

 今までに個人的に必要な物などは全て彼女に頼んでいる。サラシやら下帯やら、髪を結う道具まで。着物も縫わせる。静が自分で測った寸法をおしげに渡し、気に入りの生地を求めて手渡せば、期日通りに縫い上げる。

 亭主に死なれてからずっと奉公をしていると言うが、おしげが母の屋敷にやってきたのは五年ほど前だ。お陽の方の老女・常磐の遠縁に当たり、子供もおらず静について堀河城まで付いてきてくれた。

「つつ…」

 おしげは仕事も行動も速い。すぐに言いつけた物を持ってくるだろう、それまでに、今身につけている湿布を剥がしておこうと、袖から腕を抜いて背へまわす。

「失礼いたします。」

 はずしたサラシと湿布を風呂敷の中にしまってから、ほどなくおしげと史郎の声が同時に聞こえた。そばの廊下で出くわしたらしい。

「ちゃー…」

 静は頭を抱えたくなった。

 今日に限って史郎までも行動が早かったらしい。居間に充満するこの湿布の匂いはごまかしようがなかった。

 お茶のお代わりと杯を持って先に史郎が入室し、その後におしげが座る。

 静がおしげに目配せすると、小さくうなずいて茶托を主の前に用意する史郎の反対側へ、紫のふろしき包みを差しだし、そこで静が包んだ緑の風呂敷包みを受け取る。史郎にも小さく一礼して速やかに去った。

 下がっていくおしげを見送ってから主の前に茶を差し出してゆっくりと注ぐ。煎茶の香りが立ち上りなんとも心地よかった。

「どこかお怪我でもなされましたか?」

罪もなく史郎が尋ねると、

「いや、何。…大したことはないわ。…軽く…軽くぶつけての。」

知られたくない静は常にない、歯切れの悪い返事をする。

 他意なく尋ねただけだったが、主の反応の異常さで、史郎の頭の中に自分が三日程前にしてのけたことが浮かんだ。

「どこですか、お手当て致しましょう。史郎は薬の心得も多少ございます。」

「さっきは医者を呼ぼうかと言うていたくせに。よい、すておけ。」

 年若い領主が苦笑いして答える。従者の勘の良さに心の中で舌打ちをしながら。

 史郎はすぐに腰を浮かせた。素早く静の後ろにまわりここぞと思うところを軽く打つ。

「いてっ何するんじゃ無礼な…」

「あの時怪我をさせてしまったのですな。…申し訳ございませぬ。若殿のお体に傷を付けるなんて…本当に申し訳ありませぬ。」

 童顔の従者は判明した途端に頭を畳にこすりつけるように平伏した。故意にではないが、主を傷つけてしまった。気性の激しい主ならば無礼討ちされることさえあり得る。

 そして勿論静は、気性の激しい主ではなかった。

「ばれてしもうたなあ。気にするな、わしは祥とは違う。元々は酔っていたわしが悪いゆえな。そなたが自分を責めると思うたので隠しておったのだが…案ずることはないぞ。誰も知らぬ。誰もとがめぬゆえ、忘れたがよい。」

 祥ならば斬られるとでも言うのだろうか、弟の気性を揶揄して史郎を安堵させようと努める。いとまごいでもされては面倒だ。

「しかし、主である若殿へのご無礼…」

「しつこいのう。構うなと言うに。」

「…されば、せめてお手当をさせて下され。さすれば忘れまする。」

大きな栗色の瞳を更に見開いて顔を上げると、その顔に申し訳ないと書いてあるのが読めそうだった。

 静は苦笑して、言い出したら聞かない強情な従者をからかおうとした。

「手当をしているうちにまたわしに襲われたら何とする?また投げ飛ばすのか?もうごめんじゃ。よいから忘れよ。」

 史郎は変な顔をした。

 自分がやりすぎたことは確かだし、それに対して寛大に許す静の態度にも有り難くて涙が出るけれども、せめて手当したいという好意を簡単に流されてしまった。いつも史郎が申し出る大抵のことは、「では、してもらおうか。」といって嬉しそうに答えた静なのに。

 

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