第4話 堀河城にて

 井筒(いづつ)城を静が落としたのは堀河城に移ってから半年も経った頃だった。

 水汀国(みなぎわのくに)は丘越より更に南に位置し、海に突き出す半島でありながら清廉な水が流れる山国である。

 領主である国行由親(くにゆきよしちか)を屈服させたのは、温暖な相馬の国にも初雪が降る頃だった。

 丘越と水汀をおさえて、南西の備えにとりあえず安堵できる。

 相馬国領主・椎野涼は、

「やりおるわ…」

戦勝の知らせを聞いて、我が子の事を小さくそう評した。

 堀河城主・静は、先ずは堀河城下を治めることで手一杯になるだろうと思っていた父親の予想を見事にはずれさせ、自身が総大将となった初の凱旋を果たしたのである。

「祝着に存じまする。」

 最初は新たな領主を認めなかった堀河の領民も、祝いの品を献じてきた。

 ありふれた地元の農産物であったが、それをみて静は取り次いだ侍臣を呼んだ。

「これはたれからの祝いの品じゃ?」

「はい。ご城下の石田村の村長が何人かの農民と共に献じてきた品であります。」

 静はわずかの間言葉を失い、立ちつくしていた。

 侍臣は品物が気に入らなくて激怒を堪えているのかと思った。この侍も元は丘越の出身である。

「まだ、おるのか?」

 低く震える声で主が言うと

「お、おりまするが、まさか、殿…これらの品とて農民にとっては血の出るような物でございますよ。よもや無礼討ちなどと…」

村長らをかばって侍が諌めようとする。

「バカなことを申すな!!」

大声で一喝されて、侍臣は初めて気が付いた。

 主君は涙ぐんでいた。それを隠すために声が低くなってしまったのだ。

「会いたい!通せ!どこでも構わぬ!早う!」

 静はそれだけ言って駆け出した。自分の部屋ではない。裏庭だった。驚いた侍臣は、あっけにとられて素早い後姿を見送るばかりである。

 裏庭では何人かの侍女と小者に混じって半年前に召し抱えた朝倉史郎が静の着物を洗っていた。

「史郎!」

「若殿、いかが遊ばされました。」

 裸足のまま濡れ縁を下りてやってくる主君のただならぬ様子に、史郎はいぶかしげに問いかける。

「今、地元の村長がわしに祝いの品を献じてくれたというのじゃ。このわしに…まだ半年しかたたぬにわか城主に…」

 静は何とも言えない嬉しそうな顔で告げた。

「ようございましたなあ。」

 史郎もまた、我が事のように嬉しげに笑った。

「…幼き頃から、父の元に訪れる城下の者たちがいつも後を絶たなかった。父は恐ろしい戦略家であったが領民を泣かせたことは一度とてなかったゆえ…いつかわしもあのように…と憧れた。その日がこんなに早く来るとは。」

 感涙を袖で拭う。そんな様子を見ながら、くすりとわらって史郎が、

「余程前の領主がろくでもないお方だったのでしょう。さあ、若殿、そのものとお会いになるのでしょう。百姓は忙しいものです。早う会っていらっしゃれ。」

濡れた手を手ぬぐいで拭きながら主君の背中を押した。

 対面の間に通そうと申しつけたが、それではあまりに畏れ多いと言うことで遠慮した村長達と、静は表門で会うことにした。

「わざわざ来てくれて嬉しく思う。面を上げよ。」

 静はおっとりと語りかけた。最早いつもの落ち着きを取り戻した領主であった。

 石田村の村長は顔を上げて驚いた。

 新しい領主の顔を見たのは初めてであったが、これほど若いとは。自分の娘とほとんど変わらぬようであった。

「この秋の収穫は豊作であったようじゃの。わしも嬉しい。村長、なんぞ困っておることはないか?遠慮なく申してみよ。」

 親子ほど年の違う領主が優しく問いかける。

 村長は再び驚いた。このように年若い主君が、自分らのことまで気にかけるというのか。

 石田村長は、正直に言えばこのたびの水汀国との戦で地元を一切焼かなかったことや戦のために農民を城へかり出したりしないことだけでも、深い感銘を受けていた。

 なるほど、隣国相馬の椎野涼は非常に評判がいい。城下の民も戦争に明け暮れる領主を頂いている割には豊かであった。その薫陶を受けて育った静が、丘越の民を大切に扱うのは当然なのかも知れぬ。

「はは、恐れながら申し上げます。」

「何でも言うてみるがよい。言うだけはただじゃ。」

「篠山の国境付近の麓に近頃山賊が増え、百姓どもだけでなく行商人や旅人も迷惑しておりまする。」

「ふむ。戦の落ち武者であろうかの。わかった、兵を差し向ける。他にあるか?」

「神川にかかる橋が毎年水害で壊れまする。」

「すると大がかりな橋梁工事を行わねばならぬと言う事じゃな。」

「はい。」

「よし、調べてみよう。その際には村人どもに協力を頼むかも知れぬ。」

「お聞き届け下さりましょうや?」

「できることはやってみよう。わしは戦ばかりしておるので、建築工事などはまるで素人じゃ。その筋の職人を集めねばならん。石田村であったな。名は?」

「石田長兵衛(いしだ ちょうべえ)にございます。」

「よし、覚えおくぞ。そなたが初めてわしの凱旋を祝うてくれた村人じゃ。嬉しく思うておる。大儀であった。」

 石田長兵衛と供をしてきた何人かの村人は、城内で領主に会った感激に打ち震えながら帰っていった。

「小柄で優しげな…本当にお若いご領主様じゃ。」

「あのように親しくお声をかけて下さるとは…」



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