第3話 細工師の奉公
「比良山の細工師のもとへ出かけて参るぞ!たれぞ供をせよ。」
颯爽と愛馬・楓(かえで)に跨り澄んだ声で凛々と言い放つ静に、二人の若者が答えた。
「三浦忠久(みうらただひさ)!参ります。」
「岩井介正(いわいすけまさ)!参ります。」
太陽の光が深緑を一層美しく見せる鮮やかな初夏の美里国。
大抵の旅人が美里国を美しいと褒め称えて去ってゆく。
雄大な山脈と海へ向かう大河を抱え、多くの絵師たちがこの国の作品を残している。
段々畑とまだらにうねる水田、それらを縁取るように木立が群生し、農業を主産業とする八十三の村は殆どが山地に散在していた。また、林業も盛んで、国境だった比良山に、木材を扱う商家や細工師達の集落があった。しかし数年前から殆どの商家や細工師達は豊かで人の流れの多い城下町へ移転したために、今はわずかな木こりと農家が残っているだけである。
美里城正門を駆け抜けた三騎が比良山の麓に付く頃、静はようやく馬を止めた。
「よしよし…」
楓の毛並みを優しく撫でながら目を細めて呟く。
林のそばに犀川という川があり、そこで愛馬を休ませる。静は馬の面倒も自分で見る。その方が馬の信頼が厚くなると信じているからだ。
「若殿、その細工師をお召し抱えになるので?」
十八歳になる三浦がそばに寄ってきて訪ねた。背が高く、なかなかの美丈夫で評判のよい少年である。静が父の家臣の倅達から拾ってきた者の一人であった。
「うむ。父上のお許しも頂いた。堀河はわしのものゆえ好きにせよ、とな。」
「しかし、武士でない者をお側にお召しになるなど…」
「侍女の代わりじゃ。わしもそろそろ自分の面倒を見きれなくなった。しかし女は嫌じゃ。それゆえな…」
「ならば城内の者を…」
「侍に洗濯炊事やら裁縫はさせられん。それに、わしはあの者がたいそう気に入ったのでな。」
三浦と岩井の二人が顔を見合わせて深刻な顔でため息を付く。そして、意を決したように三浦が静に向かって尋ねた。
「つかぬ事をお伺いしますが、若殿はまことに男色家でおられる?」
くるりと二人を振り返り、静はくすりと笑って、
「そうとも言えるかも知れぬな。心配いらぬ、そちたちに襲いかかったりせぬ。わしにも好みがあるでな。」
楽しそうに明るく答えた。
半分安堵し、半分不安を残したまま、岩井が更に言葉を続けた。
「若殿の好みは、あの、細工師のような…?」
「その通りじゃ。」
答えながら笑い出す。
比良山の細工師とは、椎野親子が凱旋を果たした戦において、その作戦の手伝いをしてくれた青年のことである。
涼と別れて静が比良山からゲリラ戦を展開するとき、山の中を
「目を瞑ってても歩けまする」
と言うような細工師にその地理について詳しく習ったのだ。
若い細工師は、静とあまり変わらぬ背丈の、骨と皮しかないようなほっそりした青年で、色が白く、遠くから見たら少女のようであった。
丸顔で、瞳と髪の色がやや栗色がかっている。
どう見ても年下にしか見えない童顔は、実は静の五歳上だった。
青年は朝倉史郎(あさくらしろう)と言う。
静と史郎は意気投合し、仲良くなった。何よりも静は史郎の知識の広さや世俗に染まらぬ素直な心根にひかれ、優しい物腰に好感を持った。
戦争という辛い出来事の中での出会いであったが、静は非常に気に入ったので、城内に召し抱えたいと言い出した。
無論、本人も辞退したし、周囲も驚いたが静の熱意に負けて、
「では、武士としてではなく、身の回りのお世話をする小者としてならば…。」
と言う条件で、ようやく首を縦に振らせた。
荒々しい武者にもまれて育った静にとっては、山育ちの割に温厚で優しげな史郎の様子が新鮮だったのかも知れぬ。
下々の中で育っているためか世間の事情には通じているし、そのくせ、すれた印象はない。
朝倉史郎の山小屋に近づくと、静は楓から下りて小さな玄関から声をかけた。
「史郎、静じゃ。迎えに来た故出てきてくれぬか?」
三間しかない小さな山小屋には門構えなどなく、青々とした葉を茂らせる桜が周囲に植えられた手入れの行き届く庭があるだけである。大根や青菜の苗が顔を出す畑と、井戸があるだけの小さな庭であった。
「これは静様。このようなところにおこしいただきまして。」
仕事中だったのか細かい木のかけらを両腕にまき散らした童顔の青年が慌てて玄関を開いた。
「むさ苦しいところですが、どうぞ。さ、お供の方々もお入り下さい。」
優しくて少しの気遣いも感じさせない笑顔を振りまき、三人を招き入れる。
「史郎、水を所望じゃ。馬には飲ませてきたがわしらは喉がカラカラでのう。」
縁側に腰をかけて若殿が嬉しそうに命じると、
「かしこまりました。」
この山小屋で一番上等なのであろう、つぎはぎのない座布団を縁側に敷き詰め、奥へ行って引き下がっていった。
「あの者はよう細々と働くのう。若殿がお気に召すわけじゃ。」
岩井が柔和な細い目を更に細めて呟く。岩井も三浦と同じ年で十八歳。こちらは年の割にずいぶんと老けて見えるのだが、笑顔を絶やさぬ柔らかな印象が強い。静の父涼などは、『岩井の倅は父と並んで歩くとどちらが親父かわからぬ。』
などと軽口を叩いている。
その丸い背の隣に腰を下ろす三浦も、
「うむ」
同意を示して視線を青年の方へ向ける。
狭い家の中である。玄関の向こうの小さな台所も、細工をする仕事場も、すぐに見て取れる。数年前の戦で両親を失って以来、たった一人で細工師を営み、質素に暮らしている。勝手口から慌てて井戸の水を汲みに行く少女のように華奢な後ろ姿を、嬉しそうに眺めている我が主人の姿に、思わず二人は眉根を寄せた。
粗末だがよく磨かれた茶碗に冷たい水を入れて持ってきた史郎に、静はにっこりと笑いかける。
「すまんの」
そういって実にうまそうに飲み干す。日射しの強い初夏の午後には何よりのご馳走であった。隣で同様に喉を潤す家臣二人を見てから、静は大人しくそこに控える史郎を見やった。
「今日は史郎を迎えに来たのじゃ。わしが身の回りのことをしてもらう小者として堀河の城に召し抱える。どうじゃ?いやか?」
史郎は大きな目を見張った。
「それではお館様のお許しを…」
「うん。父上はわしの好きにして良いと仰せられた。わしも今日から一国一城の主ゆえな。この頃は自分のことさえ手が回らなくなるほど忙しゅうなった。早う史郎の手が欲しい。」
「もったいなき仰せにございます。さすれば、静様…いえ、若殿が堀河へお移りになる日にわたくしめもご一緒させていただきまする。」
「何じゃ、今日は来れぬのか。」
子供のように静が口をとがらせる。
二人の家臣は目を丸くした。静のそのような振る舞いを見たのは初めてだったからだ。
「つまらぬ。」
「わたくしめにも後始末と言う物がございます。このように小さき家なれど…父母が眠っております。荒れるにまかせるには忍びなく…」
宥めるように史郎が言い募る。そう優しく言われると、静も頷かないわけには行かない。
「…そうであったな。たれぞ後を頼める者はおるのか?」
「はい。」
「明後日には堀河城へ立つゆえ、急いでくれよ。」
「あいわかりました。」
ゆっくりと体を曲げて平伏する史郎を見ながら、静は茶碗をおいた。
「頼むぞ、史郎。」
小さく呟いて、静は立ち上がった。
その声がとても心細く聞こえたのは、気のせいではあるまい。
三浦と岩井の両名が、変な顔をしている。このように弱気な主君を見たことがないからだ。
「さて、城下の様子でも眺めて帰ろうかの。ゆくぞ!」
元気良く駆け出して、楓に瞬時に跨る静の姿には、先程の寂しそうな様子を片鱗も残していなかった。慌てて両名が後を追う。
「では、史郎。明後日だぞ!良いな!」
念を押して桜の間を駆け抜けていく年若い領主を見つめて、史郎は思わず微笑んだ。
「良いお方だな…」
家臣の前では老成した武将のように振る舞い、いつも落ち着いている静が、自分の前だと時折子供のように素直になるのが不思議に可愛らしかった。
「年長の方ばかりが周りに侍っておられるからおさみしいのかも…」
自分に仕えてくれと、執拗なほどに説得を続けた静に根負けしたのも、そんなことを思ったからだった。身分も遙かに上の城主の息子に向かって、そのような思いを抱くことは良くないかも知れないが、実際は五歳も年下の少年なのだ。
「おれなぞが役に立てるのだろうか?」
そう思うのだが、何故か自分を望んでくれている。
親兄弟もない、気楽な身分であった。ならば、自分を望んでくれる人のゆうことをきいてみるのもいいかと思った。
流れに身を任せること。それが史郎の信条である。逆らったところでどうにもならぬ。短い人生の中でそれだけを悟って生きてきた。
運命に逆らう力も術も、その意志も持たぬ。それ故にこれでよい。
史郎は再び仕事場に戻った。今度は、仕事を続けるためではなく、終わりにするために。
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