第2話 女嫌いの縁談
十五年経過した。
夏も近い、厳しい日差しの中を椎野涼・静(せい)親子は丘越国から凱旋してきた。
宿敵・丘越国を破り堀河(ほりかわ)城主・高良頼一(たかよしよりかず)を切腹せしめた涼は、長年苦しめられた敵をついに討ち果たした喜びに浸っている暇はなかった。
丘越国本城・堀河城に嫡子・静を据えて他国への牽制に余念がない。
若干十五歳の長男は、若いながらも父親に引けを取らない戦国武将として育っている。
このたびの決戦でも若い息子の活躍は目覚ましい。
「ようやったな静。戦場でのそなたの働き見事なものであった。だが気を緩めるなよ。そなたに堀河を預けるぞ。今度は戦ではなく、国の治め方を知るがよい。」
愛妻・お陽の方をそばに侍らせた美里城主は、上機嫌で息子に杯を取らせる。
お陽の方は、嫡男・静の生母であり涼の正室である。静の他に、次男・祥(しょう)を生んでいる。若い頃から評判の美貌は、二人の子を産んだ今も少しも色あせておらず、涼の寵愛を逃さない。色好みの涼は他に何人かの愛妾を持つが、彼女らとてお陽の方の権勢に叶うものではない。
そしてその美貌を受け継ぎ、父親の性質を受け継いだ静は、ゆったりと父親からの杯を干した。
椎野静は、このたびの合戦が四度目である。初陣は十二歳の時だった。
大柄で筋骨たくましく、顔もどちらかと言えば厳つい父親にはあまり似ず、中肉中背の小柄な体に母親譲りの端正な顔立ちをしているが、丈夫だし、武芸も達者だった。そしてその性質は一見穏やかなものであった。
先妻の子・稔を失ってすぐの男子であったために、涼のかわいがり方は尋常でなかったが、静が七歳の誕生日を過ぎる頃には後継者としての教育を始めた。
「そなたはな、この国を守らねばならぬ。この父のようにな。それゆえわしは厳しいが、それとは別にわしはそなたが可愛ゆうてならぬ。」
厳しくしかられた時には必ずそう言われ、静は部屋を出ていくことを許される。
もちろん、静は涼が大好きであった。
強くて厳しくて、領民に愛される父親が誇らしく、時に領主の親子であることさえも忘れるほど自分を慈しんでくれる涼の姿は、静にとって何者にも代え難い。少しくらい女癖が悪いことには目をつぶる。尊敬に足る武将かつ領主でありすばらしい父親であった。
それは、自分が元服した後も変わらない。
「堀河の城代、勤めさせていただきます。」
杯を母に渡し、静ははきはきと答えた。
外見は母親似だが、その性質はそっくり父親譲りのものと、家臣の間でも評判である。特に、戦陣での活躍ぶりは目を見張るほどであった。武芸も父親と同じく、無外一刀流を学んだ城内随一の手練れと言われている。
「血は争えませぬなあ。」
しみじみと重臣・吉野がつぶやく。
そして、戦の仕方も巧妙であった。攻守のかけひきや、判断力、指示の的確さは幼い頃から父親について戦場を駆け回ったために身に付いたのであろう。
「静よ、戦よりよほど難しいぞ。国を治めると言うことはすぐに結果が出ぬ。長い目で見なければな。」
「お言葉、確かに承りましてございます。」
障子越しに届く日射しとさわやかに吹き抜ける風が夏を感じさせる。対面の間にいるのは、涼夫妻と静、そして吉野だけである。
「ところでなぁ、そちももう十五を過ぎる。嫁をもらってはどうじゃ。」
唐突な申し出であった。吉野も目を丸くする。お陽の方も驚いてわが夫を見た。
「大殿、しかしまだお早いのでは…」
吉野がわずかに進み出て進言しようとすると、
「わしは十四の時堀河御前に稔をはらませたぞ。別に早くはあるまい。」
嬉しそうに笑って公言する父親に、
…それは単に並外れて父上が女好きなだけでは…
と、思ってはいても口には出せず、静は沈黙する。
堀河御前は、涼の前妻で長男・稔を生んでまもなく死んでしまった、最初の妻である。これも政略結婚であったが、たおやかで美しかった堀河御前は涼より二歳年上だった。丘越の国からの輿入れで、相馬国との戦争が始まる前に亡くなっていたのがせめてもの慰めだろう。今ならば夫に父を滅ぼされると言う立場に立たされていたはずだから。
息子の沈黙をどう解釈したのか、涼は続けた。
「…と言うのはのう、山背の国から輿入れさせたいと使者が参った。上三川(かみのかわ)城主・佐々木昌幸の末の妹で、
お才(さい)というそうな。御年十三でなかなかの美少女らしいぞ。」
涼は自分が嫁にもらいたそうに言う。するとお陽が軽く夫を睨んだ。
吉野と静が顔を見合わせて苦笑する。
「こたびの勝利で佐々木も肝を冷やしたと見える。外交政策には全くぬかりない男じゃ。わしらを敵としては損だと思うたのであろう。」
つねる妻の白い手を優しくさすりながら涼は推測を述べたが、おおかた当たっていると吉野も静も同調の印に頷く。
「どうじゃ、静」
このことについては一言も発していない当事者が、静かに頭を下げた。
「恐れながら申し上げまする。」
「嫌じゃと申すか?」
「佐々木殿の妹御が嫌だと申しておるのではございませぬ。こたびの縁談まことによろしきお話ゆえ断るには惜しゅうございます。いかがでしょう、弟の祥には。」
「何?」
「それがしは女嫌いにございます。生涯女人に手を触れる気はありませぬ。そのような静に嫁ぐよりも弟ならば年も同じ十三。先方とて娘でなく妹なのですから、問題はありますまい。」
「そなた、まだそのような戯れ言をいうておったのか…」
半ば呆れ返って、涼は脇息の上に頬杖を付いた。
淡々と自分の意志を言い募る息子を見てお陽はかすかに眉根を寄せた。
吉野は下を向いて苦笑をおさえている。
静の女嫌いは美里城下でも知らぬものがないほど有名である。女性に対して乱暴を働くとか文句を付けるとか、そういったことはないのだが、とにかく寄せ付けぬのである。身の回りの世話をする侍女さえ追い出してしまった。
「そちがそのようなことをいうておるから、わしの息子は実は男色家だとか、わしがあまりに女好きゆえそれに嫌気がさしておるとか、城下でうわさが広まっておる。適わぬわい。」
目の中に入れても痛くないほど慈しみ、自分の城代を任せてもいいと思うほど頼りになる愛息の、たった一つの欠点だった。
他には何一つ非の打ち所がない息子なのだが…
「まんざらその噂、的を得ていないわけでもありませぬが…」
頭を抱えている父親に、更に追い打ちをかけるようなことを言う。
涼は舌打ちをして、いやそうに尋ねた。
「女子を寄せ付けぬで…世継ぎはいかがするのじゃ。」
「養子を頂きまする。それまでに父上もそれがしもこの世からいなくなれば、祥がおります。」
「馬鹿者。あれとてわしには目に入れても痛くないほど可愛い次男じゃが…はっきり言うてわしの跡を継げる器ではないわ。」
母親であるお陽の方の前だが、きっぱりと二人の兄弟の違いを宣言する。嫡子である静をあくまで立てる姿勢を崩すことがない。二人の息子への愛情はどちらも変わらないほど深いからこそ後継者争いなどで二人の仲を裂きたくなかった。
祥も静も可愛い。だが嫡子は静であり、祥はその弟に過ぎない。静に対しては手厳しい一国一城の主となってしまうが、その分、祥には手放しに甘くなってしまっていた。それがわからぬ静ではなかったが、甘やかされ、わがままに育つ弟に対し、表面はどうあれ、いい感情を抱くことはできなかった。
冷ややかに兄の静は言い放つ。
「そういう器にお育て下さいませ。遅くはありませぬ。」
断固として譲らぬ嫡男の強情さに、母・お陽を思ってしまう。お陽は日頃大人しいのだが、いいだしたら聞かないのだ。
「そなたそれほどわしの跡を継ぐのが嫌なのか?」
「とんでもございませぬ。父上の跡目を継げるならばこの上なき幸運にございます。しかし、それとこれとは…」
「別じゃと申すか。」
「はい。」
お陽の息子であり、自身の大切な嫡男だが一度言い出したら引かぬ。それでも厳しく叱りつければしばらくの間考え直してくる常の静なのだが、こと女人に関しては決して後に引いたことがない。
涼は息子の顔を見た。
涼やかな眼差し、高くはないが形の良い鼻筋が通り、優しそうな笑みを常にたたえる唇は赤く、元服後の男子としてはやや若いが、見事な美少年ではないか。体格は父親に似ていないが、消して弱いわけではない。武芸も達者で、本人もそれを好み、学問にも精力的に励む。厳つい自分の容貌よりよほど女どもに騒がれそうな顔立ちと、性質を持っているというのに、肝心の本人がこれである。
「わかった。では、お才殿の件は祥に話してみよう。」
ついに涼は折れてしまった。
「かたじけのうございます。」
深々と静は頭を下げる。
「しかし、そなた侍女も追い出す、小姓もおかぬでは…今はそれでよいがこれからどうする気じゃ?己のための生え抜きの家臣が欲しかろう?父のお古ばかりでは時代にのって行けぬ。今のままならば何一つ問題はないが、わしもいつかは死ぬる。心残りなく隠居させてくれぬか?」
「父上を隠居させては、また婦女子が城内に増えるばかりにございます。しばし現役にて堪えて下されい。」
「聞いたか、吉野。こやつも言うようになったわ。」
苦笑いしながら重臣に語りかける。
「大殿、静様はご自身の家臣を自分で探し遊ばしておられます。」
吉野も笑い返しながら答えた。この主従はまさに兄弟のように仲がいい。吉野高元は涼が前髪を落とす前からの側近として仕えていたものである。
「ほう。まことか?静」
「はい。時折城下をまわり歩くとなかなかおもしろいものです。また、戦場でも人の本性がよう見えてくることがありまする。何名か既に思い至る者がありますのでそれがしの一存にて召し抱えることお許しいただけましょうや?」
「よかろう。堀河は最早そなたの城じゃ。不始末の責任ものう。」
「かたじけのうございます。」
深々と頭を下げると、
「それでは堀河への準備もございますゆえにこれにてお暇を。」
「うむ。」
速やかに対面の間を下がっていった。
その後ろ姿を見送りながら、吉野は小さくため息をもらす。
静が生まれたときから守り役として仕えていた。静の元服を済ませて再び自分は涼の家臣として仕えるようになったが、静にとってはもう一人の父親と言っていい存在であった。涼と五歳違いの割にはやや老け顔の柔和な顔に再び苦笑が浮かぶ。
「大殿。静様お一人で堀河にゆかせるつもりではありますまい。」
「そちは手放さんぞ。10年以上も静にくれてやっていたんじゃ。残りは全部わしに尽くしてもらうのじゃ。」
突き出た頬骨をひくひくさせて笑い、妻に酌をさせながら美里城主は答える。
「重臣達を従わせる力もあれには必要じゃ。最早その力はあるかも知れぬ。…あやつ、あまりにも優等生過ぎる。不憫なほどじゃが、それゆえ期待も高まる。どこかで挫折せねば潰れてしまう。」
柔らかな白い手がそっと涼の膝の上にのった。息子を思いやってくれる夫の気持ちが嬉しくてお陽が思わず呟く。
「殿…静殿を心配して下さって…」
国を守る領主の跡継ぎとして相応しい資質を備えた静に期待をかけるのは当然であるが、それに答え続ける息子の苦労を思うと哀れであった。
ただの親子に戻れば、普通の無邪気な少年だ。暴れん坊でお陽をよく心配させた。可愛くて仕方ない。弟の祥と何一つ変わらず甘やかしたい。だがそれはできなかった。
弟・祥と大きく異なる面は、本気で国を守ろうと思う気持ちの強さとその為に常に自分の頭を冷静に保ち領主としての立場を忘れないことであった。
どうすることが相馬の国を守るために一番なのか。
祥が元服したときに、涼は兄弟をよんで一つの問いかけをした。
「我が国の軍事力では万に一つの勝ち目もない戦を隣の丘越から仕掛けられた時、切腹して降服するか?それとも全滅覚悟で玉砕するか?おぬしらはいかがする?」
まだ幼さの残る二人を見て笑いかける。
「祥、そなたから答えるがよい。正直に申して良いぞ。」
次男の祥は父親によく似た風貌であり、大柄で既に兄の背丈を追い越していた。力も強く、槍を構えた自分に領内で適う者はないと自負している。
これだけは母譲りに大きな瞳をぎらぎらさせて、きっぱりと言った。
「最後の一人まで戦って果てまする。」
「ふむ。」
その答えはおおかた予想通りだったので、涼は小さく呻いたのみだった。そのうちに兄の方へ水を向ける。
「静、そなたはどうじゃ。」
弟の前ではあまり口を開かない兄は表情が読めないよう顔をわずかにうつむかせていた。
「降服も全滅もせずに済む方法を必至に考えまするが…他に方法がなければ、それがし一人の命で城兵も領民も助けると言う条件のもとで降服いたします。」
名前の通り、静かにそれだけを言って静は顔を上げた。その顔は幼いけれども、もはや領主としての責任と重圧を意識していた。涼は静の答えよりもその顔に驚き、
「ほう、臆病なことじゃな。のう、祥。」
とわざと言った。子供らしくない答えがいささか気に入らなかったせいもあるが、いたずら心で軽く挑発してみたくなったのである。発言の機会を得た祥が、
「そうじゃ。兄上は臆病でございまする。丘越は曾祖父の代からの宿敵ではございませぬか。祥はどんなことがあっても奴らに頭など下げぬ。」
興奮してそれだけを大声で言い放つ顔は紅潮している。少年らしい顔だった。猫かわいがりに両親や侍女達にちやほやされて育った祥はどんなときにも自分の感情に正直である。
「遠い昔に死んだ人間の恨みよりも今生きている民の生活が重要でございます。静は負ける覚悟の戦は致しませぬ。」
血気盛んな弟に諭すように、
「勝つにせよ負けるにせよ、戦は犠牲が付き物。最小限にとどめとうございます。増して負けるとわかっておるならば…無駄でござる。」
兄が優しく語りかけると、祥は鼻で笑った。
「この戦国の世にそのようなことをおっしゃるなど…兄上はやはり臆病じゃ。」
兄弟のやりとりを、父親は面白そうに見つめている。
戦争論になると常に弱腰な言葉しか言わぬ静であったが、実際に戦場に出るとそれが嘘のように見事な采配ぶりを見せる。そのことについて問えば、
「できる限り早く勝利して、戦を終わらせとうござる。」
と、血と汗にまみれた顔を生き生きとさせて答える。
そうしたやりとりがあってから、涼は静を一層大人として扱うようになり、祥の甘えを許すようになってしまった。
顔や素振りには出さなくてもそれが兄にとって面白いわけがない。表面上はどうあれ、静の、弟への気持ちは冷たいものとなっていた。
自分がいなければ、この弟が国を継がねばならぬと言うのに、母も父もわがままを許し続けている。特に母の甘やかし方が最も我慢ならなかった。
既に一度椎野家は跡継ぎを亡くしたことがあるというのに、何故自分にもしもの事があったときのことを考えてはくれぬのだろう?静にはそれがもどかしい。
そんな長男の心情を知っているのか知らぬのか、涼は二人をどこまでも差別して育てる。その差別はどちらかに愛情が偏るというのではない。それは誰にもわかることだった。
事実、涼が頼りにしているのは明らかに静なのだ。
「静は本当に可愛ゆうてならぬ。そしてあれほどに頼もしき跡継ぎができたことを感謝せねばならぬ。だが…ただ一つ…」
涼には、静自身が領主としてではなく個人で望むことがなんなのかわからなかった。
確かに国を守ることは一つの生き甲斐となる。自分もそうであり、今日まで戦ってきた。
だがその向こうには、たくさんの妻と子とそしてそれに仕えてくれる民人との平穏な暮らしを望んでいたのだ。
何より自分は女好きだし、何人もの妾を抱えられる今の立場も守りたい。
他国を攻め取りたい、領地を増やしたいと言う野望は、遠い昔にはあったが今はもう萎えてしまっている。守るだけで精一杯だった。
そう、ちょうど祥のように英雄に憧れた…。
小さな主君のつぶやきを読みとったように、吉野が答えた。
「若殿は、ただ一刻も早くこの戦争の絶えぬ世の中が治まることを望んでおられるのだと思いますよ。」
お陽の方がおっとりと頷いた。
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