静かな龍の都

ちわみろく

第1話 鷹の敗北

真っ青な空の下で勝敗が決した。

 相馬国美里城主椎野涼(そうまのくにみさとじょうしゅ しいのりょう)は、自分の体から流れるおびただしい出血が愛馬、疾風(はやて)の毛並みに滴るのを見つめていた。

隣国である丘越国(おかごえのくに)との戦争で大敗をしてしまったが、まだ滅ぼされたわけではない。本城・美里城は無傷である。

そして、総大将である自分はただ一騎となってしまったが、跡継ぎである一人息子が無事であれば、自分はどうなっても構わなかった。

  愛息・稔(れん)さえ、生きていてくれれば我が国は早々滅ぼされたりしないだろう。

 山に三方を、海に一方を面し温暖で豊かな相馬国は、この戦国時代に入ってからと言うもの、常に隣国の侵略に耐え続けてきた。

傑出した戦略家と呼ばれた城主・椎野涼も、事ここに至っては巻き返すのは難しい。

 それでも必至で守り続けてきた故郷であった。

 そして、跡継ぎとしてふさわしい才能を備えた一人息子に全てを預け遺すつもりで今回の戦に望んだのだが、見事に大敗してしまい、己が命さえ危ういほど傷ついてしまった。

  …稔さえ、生きていれば…

 後を全て稔に任せるつもりで、本陣に彼を残し自分は前線へと出ていったのだが、激しい闘いのために、本陣も多少攻撃を受けているだろう。

 稔の安否だけは確かめて死にたいと、霞む目をこすりながら疾風を駆る。

 戦場となることがわかっていた付近の農民には避難をさせてあった。無人の農家が立ち並び、歪んではいても隙間無く並べられた畑と水田が林の間に見え隠れする。その林の向こうに美里の山が霞んで見えた。

 美しい国だった。できることなら戦争などしたくはなかった。

 だが今は負けるわけには行かないのだ。

 これほどに世の中が荒れてしまっては、武力で迎え撃つほか方法がないのだった。

 涼は必至で本城・美里城へ馬を走らせた。



 老女の常磐(ときわ)は気が気ではなかった。

 この大変なときに、領主夫人・お陽(よう)の方は出産の真っ最中で、しかも彼女は初産である。そして、たった今まで本丸奥御殿で休んでいた早馬が知らせたのは、丘越国との戦争の敗退であり、本陣を攻められた嫡男・稔が戦死したことで

あった。

「大殿の行方はまだ知れぬのか。」

衛兵に命じているが、行方が知れぬ。

 あれほど頼みにしていた稔が亡くなり、相馬国のカリスマと言ってもいい涼が行方不明。本城が落ちたわけではないが、これで不安にならないはずはない。

 騒然とした城内を足軽兵や小者達が働きまわる。侍女達も出産のため、戦闘のために忙しく立ち働いている。常磐は打掛の裾をはたいて、主・お陽の方の部屋へ向かった。


 重臣・吉野高元(よしの たかもと)は、主君・椎野涼を美里城下で発見した。

 栗毛の疾風にしがみつくようにして疾駆する涼は、本城とは見当違いな方向へ向かおうとしている。

「殿!大殿―っ!」

 戦でこちらも疲労困憊している愛馬・春日(かすが)の腹を蹴って主君に追いつく。

「殿、吉野高元にござる。ご無事でしたか!」

 馬を寄せて即座に下りると、涼はようやく振り返った。その顔を見て、愕然とした。

「おお、その声は確かに高元じゃな。」

「殿、もしやお目が…」

 涼の顔面は血だらけであった。頭の傷の出血がひどいのだろうかいつしか視力を弱めてしまっているらしい。

「傷つけてはおらん。出血のせいで一時的に見えなくなったようじゃ。」

「いけません、今すぐにお手当を…」

取りすがって主君を下馬させようとする忠臣に、

「稔は何処じゃ?そち知らぬか?あやつさえ無事であればもはやわしの命などいらぬ。」

息子の安否を問う。

 吉野は蒼白になった。涼は愛息・稔の戦死の知らせをまだ知らないのだ。

 ここで伝えたら殿は気力をうしのうてしまうかもしれぬ。これだけの出血では、治療しても間に合うかどうか危うい…。

 幸い、今の涼は目が見えず吉野の顔色が変わったことに気づかない。

「それがしもお探し申し上げているところでござる。ともかくもお城へ参り、お手当を致しましょう。」

「そうじゃな…稔の声を聞くまでは死ねぬ。」

今、涼を死なせるわけには行かない。

 心の中で、うそを付く非礼を詫びながら、吉野は主君の手当を始めた。

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