第6話 男色でも女色でも
今日は傷を見られるのを嫌っているように見える。
そういえば史郎は小者として静に仕えているが、通常の小姓や侍女のように着替えの手伝いや、湯浴みの用意などをさせられたことがない。
静は、酔っぱらっていようが、弓矢の稽古だろうが、衣服はいつも隙無く着付けている。
そして、たかだか背中の怪我を見るだけでこれほどに嫌がる。
…若殿はなにかお体に異常でもあるのだろうか…?
それならば女嫌いも納得がいかぬでもない。男好きかどうかはともかく。
「恐れながら殿はなんぞお体に不都合でも…」
無礼と知りながら思わず聞いてしまっていた。もしそうならば、別に男色ではなく、ただの劣等感だろう。克服すればいいだけの話である。病気ならば、他人に見せたことがないだけで、実はすぐに治るものなのかも知れぬ。
史郎は心の中でこの考えに膝を打った。主に対する不信に説明が付いたからである。
「不都合だらけじゃ。だが、どんな医師でも薬でもどうすることもできぬよ。」
その失礼な物言いにさえ、静は明るく答えた。カラカラと笑いながらお茶を実にうまそうに飲む。
「どうあってもお手当はさせていただけませぬか?」
「くどいのう。史郎らしくないぞ。」
「お節介かも知れませぬが、お家の大事に関わることと存知まするゆえ、失礼を…」
そろそろと寄ってきて、白い指を主人の着物の襟にかけた。
狼狽した静が慌ててそれを振り払おうと史郎の腕をつかむ。
「何をするのじゃ…!」
「お手当をするだけで…」
しばらくもみ合っていたが突然、史郎が飛び離れた。
「若殿…、それは、一体…」
『それ』に触れてしまった右手を左手で押さえながら、真っ赤な顔をして呻いた。主人の座る上座から下座へ腰を引きずるように下りる。
着物の襟も袴も乱されてしまった主人は決まり悪そうに上目遣いで従者を見た。
「そのような顔をしてみるな。別にそなたの手は腐ったりせぬ。」
「それは、わかっておりますが…」
静は座り直し、着物の襟を正した。かすかに紅潮した頬が見える。
思い直したようにぱっと立ち上がり、
「その包みを持ってわしの寝室に来い。そうまで言うなら、湿布を貼ってもらう。」
史郎に命じて、自分は先に隣の寝室へ入っていった。
衝撃から立ち直れない史郎も慌てて包みを持って後を追う。
寝室でそっと襖を閉めて灯りを点すと、小さな炎の光に浮かび上がったのは袴を脱ぎ、着物を脱ぎ捨てている主君の姿だった。
史郎に背を向け、下帯とサラシを胸に巻いただけの体は、幼い頃からの修練で鍛えられ引き締まっている。おそらくは静の方が史郎よりずっとたくましいだろう。
だが、その剥き出しの首筋や肩の線、くっきりとくびれた腰の辺りのふくよかさは男の物とは思えない柔らかい印象を持っていた。背に巻いたサラシの下から、青青と生々しい痣が見える。
「わ、若…まさか、若殿は…」
目を見開いて初めて主人の裸体を見る童顔の青年は、包みを開いて必至で湿布を用意しながら声を出した。
「ついでに着替えも用意してもらおうか。」
質問さえ許さぬ、固い声である。
「は、はい…」
備え付けの桐箪笥へ小走りに寄っていき、下着から上着まで一式揃えて主人のそばへおく。
「手伝ってくれぬか。」
「は……」
静が自分で胸に巻いたサラシをほぐすと、先程史郎の手に触れた柔らかな乳房が現れた。どう見ても、女だった。いや、十六歳という年齢から考えてもまだ少女の域を出てはいない。見てはいけないと思いながら、視線をはずせない。史郎は自己嫌悪に陥りそうだった。痣の上に湿布をのせてゆるめにサラシを巻いてゆく。この青さである。さぞ痛かっただろう。そう心の中で思っていても、言葉にならない。
「下も、見たいか?」
低い、くぐもった声で静が言う。
史郎が男だから見たいだろう、と言うのか、それとも本当に女なのか確かめたいのではないか、どちらにも取れる言い方である。
史郎は首を横に振った。
それに安堵したのか、静がようやく静らしい声を放った。
「…ばれてしもうたのう。わしが女を寄せ付けぬのも合点がいったじゃろう。」
「若殿は…静様は女子でいらっしゃったのですね。」
洗い立ての着物をそっと背にかぶせながら、史郎は乾いた声で言った。
…艶めかしく思うわけだ!本当に女だったのだ。
今度こそ史郎は本当に全てに納得できた気がした。自分が静に誘われて自分まで男色ではないかと悩みかけたことがばかばかしく思えた。
「でも、何故このような…事になったのですか?確か、子供を育てるとき異性として育てると丈夫になるとか言われてますがそういうことですか?」
「それとは全く関係ないのう。わけはたやすい。わしの生まれた日が兄と父の命日になりそうだったからじゃ。それと、母の野心のためかのう。…わしは兄上が戦死した日に生まれた。その日はあの父上も瀕死であったそうな。母はこのわしが嫡子であれば正妻となれるし、何より男子がいるとなれば後継者問題で国が荒れずに済む。父も男子が生まれたと聞いて、活力を取り戻しあのようにお元気になったと聞く。もし女子と知ったら落胆してしまうのではないかと思って、吉野と母上の間にてはかったこと。本来ならばわしが長女で、祥が長男であった。」
一気にそれだけを言うと静は袴の紐をキッチリと締め、再び隙のない身支度となり居間へと足を運んだ。
「では、大殿はお気づきでは…」
着物を片づけ、襖をきちんと閉めた史郎が後に続く。
「気づいておれば、わしに縁談などもってこぬわ。」
鼻で笑う主人は前回の重要な政略結婚を弟に譲った。
静はいかなる縁談も断り続けてきた。これでは無理もない。
本人がなんと言おうと、静は女性にも人気があった。男らしいという風貌ではないが、母によく似た美しい顔は優しげで、善政を行い、しかも戦にも強いとくれば当然だった。侍女の中には、殿のお手がついて側室に、と望む者も少なくない。そんなことを望まれては困るので、侍女を追い出すのも当然であろう。
「では、お側におくものに私を選んだのも…」
「うむ、城内の者はまずいゆえ…あとは」
静は、もといた席に胡座をかいてため息を付いた。かたわらの青年を照れた顔で見つめながら、切ない告白を実行する。
「わしの初恋じゃ…そなたに会ったとき、わしは自分が男ではないことをつくづくと思い知らされた。笑うても良いぞ。」
主人が手にした杯に酌をする手がとまり、青年は真っ赤になった。
「わしが事は嫌いか?」
「い、いいえ恐れ多い…!」
「もしもわしに仕えることがいやならば、暇をとっても良い。」
「わ、わか…」
「わしは寂しかった。母も吉野もわしのことをわかっていてくれるが、誰も側にいてくれぬ。わしの、このしなくてよい苦労を知っていてくれる者が側におらぬ。」
「若殿…」
「生まれたときからこうしているゆえ、今更女に戻りたいとも思わぬ。祥のごときもののわからぬわがままな弟に跡取りは譲れぬしのう。わしは父のようになりたいと思うて生きてきた。民を大切にし、国を守る領主に…」
静はうっとりと夢を見るような潤んだ瞳を、再び持ち上げた杯に向ける。かすかに頬が上気してきた。
史郎には眩しいほどに"女"に見える。
「美しい相馬の国。民も国土も豊かでありたい…父上がそう望み精魂を傾けて国造りに励んできた。そういう父を心から尊敬しておるし、憧れている。その父の期待に応えるためならば、我が身が女であることなど切り捨てる。」
衝撃から落ち着きを取り戻したのか、史郎が再び酌をする。それを実にうまそうに口に含んで静は続けた。
「そう思うておったのにのう…そなたにあったとき、初めてこれだけは譲りたくないと思うたのよ。」
「若殿…」
主君から情熱的な告白をされ、思わず史郎がまじまじと静を見つめる。
「しかし半年の間これだけ側にいて気づかぬと言うことは、そなたが鈍いのか、それともわしが完璧に男になりきっておるのか。」
この皮肉には答えに困った。何と応じてよいものやら考え抜いたあげく、
「申し訳もござりませぬ。若殿は武勇誉れの高く、例のない若き名君としてすっかり思いこんでおりましたゆえに…」
正直に答えるしかなかった。
本当に、思いも寄らなかったことだったから。
「よいよい、父さえ気づかぬのじゃ。当然よ。気づかれては困る。」
「静様はずっとこのままお続けになるのですか?その…男のフリを」
「できるところまではな。ソロソロまずいと思ったら病にでも倒れるわい。寝床で若隠居するんじゃ。」
「それが静様の夢でございますか?」
「そうさなあ。気楽に隠居できるほど世の中がおさまる事が夢じゃ。あと五年、十年はかかるかのう。あるいはもっと…。そなたの家がある比良山に隠居館を設けて、そなたに細工の仕方でも習い、日々野山を歩いて暮らしたい。」
それは夢の夢、また夢であった。静自身よくわきまえていた。
「さすれば私がゼンマイの採れる場所をお教えいたしましょう。」
優しく史郎が言った。
「料理もしてくれるか。」
笑いながら静が言う。
やがて脇息にもたれていた姿勢を正し、静は静かに命じた。
「優しいのう、史郎は。…さて、驚かしてすまなんだ。いやなれば比良山に帰ってもよい。そうと知ってもわしに仕えてくれるかどうかは明日の晩までに決めてくれ。この半年本当に楽しかった。わしにとっては夢のような時間であった。この上はそなたが意志によって決めるがよい。」
言い終わると、いつもの堀河城主・椎野静に戻っている。
「静様…」
その変わり様を恨めしく見つめながら史郎は呟く。
「岩井と三浦を呼んでくれ。しばし密談もあるゆえ、人払いをしてな。」
「…はい…」
おしげの足音がぱたぱたと聞こえてきて、声がかかった。
「岩井様と三浦様ご到着です。」
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