「俺がパチプロを辞めた理由《真意》」

                   Ⅰ


 朝八時半、英国タンノイ社小型スピーカーからマキシマム音量でクラブサウンドが鳴り響く。その重低音を耳にして、少しづつ脳全体が動きはじめた。


 頭部を一振りし、半ば以上無理やりな動作で上半身を起こす。

 ベッド脇に置いた、紙パッケージを探そうと手を動かすが脳内半分未覚醒なのか、動きがにぶく目当ての紙巻煙草かみまきたばこを見つけられずにいた。


 数十秒後、目当てのセブンスターとZIPPOライターを探し当て、立て続け二本吸い終えるとようやく生きた心地ここちがしはじめる。


 再び、頭部を軽く左右に揺すりながら見上げた時計は、8時50分を指していた。


「そろそろ、本気で支度したくせな間にあわんな」

 独りちて、のろのろした動作で起き上がると身支度を整えはじめる。


 ともあれ、起床時間を考えれば判るはずだが俺は五年程前から普通のサラリーマン生活をやってない。部屋を目にすれば、誰もが一目瞭然いちもくりょうぜんに理解するやろうけど。


 本来、貸し事務所レンタルオフィス用として建設された繁華街高層マンションで18畳と無闇に広いワンルーム。ダブルベッドやオーディオ機器、簡易応接セットが置かれた玄関に近い八畳の一角を除くすべてが埋まる部屋は息苦しくも感じる。足の踏み場もないと自ら伝える状況も変やけど、ある種の機械筐体きかいきょうたい製品を隙間すきまなく重ねてあるからや。


 機械は勿論、どこの家庭でも目にする一般的な商品やない。一部特定の場所でしか目にするはずがなく知らない人間の方が多いぐらい特殊な機械マシンやった。


 見る人が見れば判る機械の大半は、パチスロもしくはスロットマシーンと呼ばれる回胴式遊戯機かいどうしきゆうぎきの筐体。それ以外に、ハネモノやデジパチと呼ばれるパチンコ台盤面と内部基盤も無造作に置いてある。


 そや。

 俺の職業しごとは、他人ひとにあまり大きな声で話せないが社会貢献性皆無。パチンコ店内で当日開放台アケだいを終日稼働させて日銭日当を稼いでしのぐ、「パチプロ」や。


 裏業界、どっぷりかって五年経過した。アンダーグラウンド社会で、それなりに顔と名前が売れたんかな。入店時、プロお断わりと追い払われる状況も少なくない。


 世間一般に、仕事とは呼ばれない馬鹿な毎日を過ごしてる。別に深い訳もないけど俺なりの原因と理由は存在してるからね。どこからはじめれば、理解しやすいかな。


 そや。

 まず最初、かなり昔になるけど小学生時代やね。


 産まれた頃から住んでいた古民家を、リフォーム建築として建て換えた工事中や。授業が終わると連日、工事進行を確認するために施工場所である自宅に通い詰めた。


 当初、ただの好奇心が建方を成すに連れて興味本位から真剣な想いに変化した。

 首を周回したタオルでしたたる汗を拭き取り楽し気に働く職人プロいしき魂を垣間見かいまみた結果か。

 建設現場の仕事にきたいと願う真剣な気持ちが芽生めばえたんや。


 職人プロが作業する姿を、興味深く凝視する小学生に向けてカンナの掛け方教えたろと声をかけてくる面白い大工のオヤジがいた。半ば以上本気で、ただの子供に向かって大人向けの台詞せりふで勧誘した年若い現場監督おやかたもいてた。


「将来、働きたくても仕事がないなんてことがあれば俺の会社に入ればいいよ」

 笑顔で手渡され、意味も理解せずに受け取った肩書と所持資格が数多並ぶ名刺。


 現在いまは、現場代理人と呼ばれる職種おやかたと出会えたおかげや。

 当時、深く意識せず喜び勇んで仮家に帰宅して早々、両親の前で受け取った名刺を自慢げに見せびらかした。


「あんた、何アホなこというてるの」

 激怒した母に、そのまま名刺を取りあげられる。


 子供で、そんな一件も忘却の彼方に月日は流れて高校二年の進路希望調査時かな。望む仕事、進む未来が見つからずに悩んだ当時、偶然過去の一件を思いだした。




                   Ⅱ


 結果として、深く考えず「大工だいく」とだけ用紙に記した。しかし、提出した進路調査用紙を見た教師に馬鹿な夢をくなと怒られ騒ぎになる。


「なんでや?」

 納得いかず、怒り心頭に叫ぶ。


 若い教師は確か当時、現在いまでも理解しがたい説明してたはず。

「あんな仕事はねえ、キミ。貧乏で頭の悪い、身体だけ丈夫な人間が職業しごとだよ。君のように優秀な生徒は、有名大学に入る夢だけえがけば良いんだ。理解したか?」


 へぇ、そうなんか。

 確かに、実家うち他家よそより少し金持ちや。

 それに、校内トップクラス位置の成績が勿体もったいないから頭脳職でない現場仕事で、働くなといいたいんやな。


「人間を生まれや職業で差別してはいけない」

 そんな寝言を真剣な顔で語る、お前ら教師は自分のこと何様やと思うてんねん。


 完璧に、肉体労働者ドカチンを差別してるやないか。当時は、何もかも馬鹿らしく思えた。

 高校生で、世間体と建前の意味も理解してたし妥協点を思いつき周囲に表向きだけ納得した振りをする。


 そや。

 当時の、親方みたいな立派な大人を目指せば良いと考え直して進路調査用紙を国立理系に書き換えた。当然、工学部で建築か土木専攻やが表面しか理解しない大人に、考え直した状況と受け取られたらしい。


 そして高校三年春、最終進路調査時。

 いざ大学選びで、頑張れば国立医学部現役合格可能と話す担任教師、笑顔で見守る両親にはったりをかまし高名な建築家名を掲げ己の意思を告げる。


「僕は、どこの大学でも構いませんが尊敬しているスペインのアントニオ・ガウディ同様の世界的に偉大な建築家を目指したいので、工学部建築学科を志望してます」

 その瞬間とき、周囲が浮かべた引き突った笑いは見物みものやった。


 最初、俺の考えを変えさせるため、よってたかって猛反対した。それでも、持論を曲げない意思の強さを見て「阪大工学部なら」と認めざるを得なかったらしい。


 翌春、無事に大阪大工学部建築学科に現役入学を果たす。


 在学中、四年間は特別な何かが起こることもなく遊びと勉強を両立できた。

 設計事務所を、可能な限り早期開業すると豪語した面白いゼミ先輩の存在もあり、楽しく有意義なモラトリアム期間を過ごせたと思う。


 結局、人生を180度転換する結末を迎えたのが就職時。

 両親は、上級国家公務員国家公務員一種を目指せと強く勧めた。


 そんな気持ち更々なかった俺は、所属ゼミ教授に紹介されて関西で業界五指に入る大手ゼネコン竹下工務店入社を決めて約三ヶ月、つまらなく長い研修が終了した。

 夢が叶い現場代理人の道が開けたはずが、配属先は建築資材研究開発部門やった。


 確かに、ゼネコンでは最優秀エリートが集う花形部門らしいが興味の欠片もない。

「困ったことがあれば、いつでも相談に来なさい」と研修で説明していた人事部長に直談判じかだんぱんすることを即座に決める。


 くだんの役員室に到着し、室内で大声で話す人事部長の声がれ聞こえ、外部からは当然見えない相手に向けて必死に説明してた。


「彼にも、困ったものだ。確かに本気で現場に出たいのだろう。組織として現場施工管理部門に優秀な人材も欲しい。でも阪大の先生と継がりが深いし、何せ彼の父親が建設省国土交通省高官を通じた脅迫紛きょうはくまがいの……」

 その言葉は、俺の名前で開始されたから馬鹿な俺でも簡単に理解できた。


 周囲すべてが、共謀していた真実リアルに。

 確かに、現在いまは高名な代議士である親父なら裏から手配可能やろう。


 盗み聴いて怒りに震えた次の瞬間、会社を飛びだした。




                    Ⅲ


 そのあと数時間は、現在いまもはっきりと思いだされへん。

 とにかく走り回り、疲れて立ち止まった場所が大きなパチンコ店の入口やった。


 その瞬間ときまで、パチンコ店を覗いたこともなく後輩が意気込んで語った内容だけを記憶してた。攻略法を使用すれば、誰でも小銭カネが稼げると豪語ごうごした部分だけや。


 その部分だけ、なぜか克明こくめいに記憶してた。

 当然、内部的な仕組みなど知らずに細かい状況も意識せず、とりあえず入店する。派手な装飾空間に、目を血走らせたおっさんおばはんが機械を前に並んで座ってた。釘が打たれた台の、右下ハンドルを握り締めてガラス内で跳ねる玉を追いかける。


 離れた場所で眺めて、徐々に仕組みが理解できた。打ち出した玉をチューリップ型穴に入れて出玉を増やす遊びかな。玉がなくなると左側設置の投入口に銀貨を入れて再び玉を借りるらしい。


 内容が、あまり面白くなさそうやと感じて店内を一回りした。

 そして、壁際奥に少し構造が違う機械が設置される状況に気づいた。


 それが、パチスロ機であることは頭上に吊られたパネル板に書かれて理解できた。ゲームセンター設置のスロットマシーンと同じ機械で理解しやすいと興味も覚えた。

 再び、離れた場所からパチスロ遊戯ゲーム方法を眺めることにする。


 その瞬間タイミングが、すべてのスタートなんかもしれん。

 まず景品カウンター横、専用メダル両替機に千円札を投入。貸しメダルと書いてるコインを持って機械に戻る。コインを直接、台右側部分から機械に3枚投入して左側配置のスタートレバーを叩く。


 すると盤面スロットルが勢い良く回転を始める。ゲームセンターと異なる部分は、3列スロットル全停止を待たずに3つ並ぶボタン左を押すと左スロットルが停止する仕組みや。


 スロットルを停止させ、横か斜め同一絵柄が揃えばメダルが払いだされる仕組みはゲームセンターと同じ。面白そうやと単純に興味を覚え、とりあえず触れるつもりで財布を確認すると1万2千円と小銭だけやった。


 その時点で、今後どうするかに思いをせた。

 勤務中会社を飛びだした。戻れるはずもなく戻りたい気持ちも毛頭もうとうない。


 背後から手を回す、親父がいる自宅に帰るつもりもなかった。

 運転免許証は所持してるし、未成年でもないから当面大丈夫や。

 何が必要か考えて、先立つ物である現金があれば何とかなると気づく。


 財布の大手銀行キャッシュカードを確認して、急いで銀行に走る。

 大手ゼネコン内定が出て、今後は必要になるやろうと三百万近い大金を個人口座に親父が振り込んでくれた事情を思いだしたからや。




                    Ⅳ


 これだけあれば、当面は大丈夫とほくそ笑み残金すべて引きだした。パチンコ店に戻り両隣が遊戯する狭間に着席して、左右を参考に見よう見まねで打ちはじめる。


 当初は、単純に絵柄が並べばメダルが払いだされる事実しか理解しておらず、後に揃う絵柄で払いだし枚数が違う事実に気づいた。盤面右側に、印字された説明書きに目を通して考えながら打つことで理解できた。


 最初、勢い良く回転するスロットルの動きに戸惑って適当にボタンを押していた。しかし、徐々に回転中も色や形で何となく絵柄判別できる程度になった。


 四千円使った頃か、あまり揃わない子役絵柄が頻繁に揃いだした。7絵柄が、左中リールに並ぶ回数も増えて右も7絵柄を狙う。ピタっと、中段一直線に停止した。


 次の瞬間、派手な音楽が機械から流れだし上部パトライトが回転する。

 それを見ながら理由も判らず、無闇に嬉しかった記憶がある。


 7絵柄が並び、次どうするか理解できず機械を眺めて呆けてたんやと思う。そこで左隣に座る四十絡みのおっさんが話しかけた。俺が座ってから小箱に一杯、あわせて四杯近いメダルを積んでて、にかっとヤニで黄ばんだ前歯を見せたんや。


「兄ちゃん、ツイてんなぁ。その低設定を適当打ちで簡単にビッグ入賞させたんか」

 独りち、普通に打てば約五千円分コインを払いだすビッグボーナスの消化方法を懇切丁寧こんせつていねいに教えてくれた。


 おっさんは、ビッグボーナスゲーム中は毎ゲーム押し順を変えて特定フルーツ柄を狙う打法で、通常の二倍近い700枚弱のメダルを獲得してたはずや。


 約二時間後、おっさんがそろそろ帰ると俺に話しかけ一緒に止めることにする。

 確か、おっさんのおかげで一万円ほど勝てた感謝の気持ちで声をかけた。

「腹が減ったので、俺が払いますから一緒に飲みに行きませんか?」


「酒か、ええな。俺が、美味い店に連れてったるわ。若いヤツからおごられる程には落ちぶれてへんから支払いはワシやで」

 しかし、おっさんは気の良い人で笑いながら行きつけらしい飲み屋に入店する。


 酒をみ交わして、おっさんが周辺のパチンコ屋では知らない常連がいない程度に有名で、パチンコで稼ぐ「プロ」である事実を理解した。


 プロ仲間に「ゲンさん」と呼ばれるおっさんは面倒見が良かった。家出中と伝えた素性を訊きもせず、部屋を借りたい事情を知ると不動産屋を紹介してくれて保証人になってもらえた。その日から源さんの内弟子になり、最近はようやくプロとして周囲に認められる程度に上達したと考えてる。


 現在いまも、源さんとの出会いには運命的な存在モノを感じ言葉に表せない感謝をしてた。


 さて、そろそろ出発するか。

 回想してる間に午前9時を回り、いよいよ出発することにした。



 訪れる店は、新装導入された表面的に特徴もない新台がありモーニングと呼ばれるあらかじめビッグボーナスが揃うセット台が十台以上並ぶ列に二台はある。モーニングを確保すれば激しい「連チャン」大爆発が期待できる機種で、平均で三~五回程ビッグボーナスが続く仕様。効率良く、昼過ぎには二万ほど稼げて対抗プロも多くセット台獲得競争は激しい。


 三枚掛けで左と中リール上段に大きな赤7絵柄が並ぶだけで、ボーナス確定となる単純明快な仕様も人気がある秘訣やった。



                   Ⅴ


 開店前から並んだ昼過ぎ、モーニングセットを奪取し俺と源さんと美夜子みやこの三人は平均して二万弱稼ぎ、昼食のためパチンコ店を後にした。


 店に戻る理由もなく酒を飲め、そこそこ美味しい寿司屋に行くことを決める。

 寿司屋に入り、適当なランチセットを頼み中生ビールを一気に空け一息付いた頃、源さんは俺と美夜子を見つめて話しはじめた。


「お前ら、いつ結婚するんや?」


いや、そこまでは」

 俺は、半ば狼狽うろたえながら即答した。


「でも、似合うてると思うけどな。それに、お前らも俺みたいな年寄りになる前に、こんな世界から足洗うた方がええぞ。年末に基盤再封印されて裏モノは完全撤去や。簡単に稼がれへん冬の時代になる。現在いまが、引退するタイミングと思うけどな」

 神妙な口調で源さんが語る言葉を聞き、隣の美夜子との出会いに想いを馳せる。



 源さんやプロ仲間に隠すつもりもなく、割と大っぴらに美夜子と付きあってる。

 思い返せば半年前の夕方、最近は珍しくもないが綺麗な女性客で、俺よりも年少に見える女が先刻さっきのパチンコ店で左隣に着席したんや。


 当時から抜群の引きを誇る彼女が選んだ台は、直前までは入る気配もない波悪台。移動すれば良いと声をかけるため、隣席を覗き見る。驚いたが打ちはじめ数ゲームでリーチ目、簡単に言えばボーナスが成立した合図リーチ目が盤面に出ていた。


 気づいてないので、右から左手だけで「入った見たいやから、ちょっと見とき」と中段に7絵柄を揃えてやる。


 感謝された俺は、色々説明しながら打ち続ける羽目になった。

 結局、閉店前まで長時間打ち続け、俺は美夜子から幸運をお裾分けされ十万勝ち、良い波を巧く掴めた美夜子も三万以上の勝利で勝負を終えた。


 勝利で、気も大きく美夜子を飲みに誘うと気が抜ける程あっさり了承した。


「仕事、辞めたばかりなの」

 酒席で、深刻な悩みを打ちあけたい様子で話しはじめる。


 よほど深刻なのか、そんなに飲んで大丈夫か心配してしまう大量の酒を飲んでる。酔いに紛れ、遊んでる風にも見えない美夜子をホテルに誘うと酔っていたかあっさり後ろに続いた。


 俺たちは、その日以来の付きあいや。

 その後、用事があると金だけを置き源さんが帰るタイミングを見計らい美夜子は、俺の内面を見定めようとして真剣な双眸そうぼうで問いかける。


「ねぇ、いつまで不安定な生活を続けるつもりなの?」


「俺にも、わからん」

 俺には本当にどうしたら良いかも判らず、それだけ答えるのが精一杯やった。


 俺の返答に、美夜子は「そう」と小さく呟くだけで会話を終えた。




                   Ⅵ


 数日後、いつも通り早めに店を後にして珍しく単独で盛り場を歩いてた。


 街に溢れる人間は、職種は様々で仕事の帰りに訪れたらしいビジネススーツを粋に着こなす年齢としも変わらん若者が大半や。多くが、可愛い女の子とデート中でもある。


 夕方の街角で当り前の景色が現在いまの俺に、やたらと目につく。


 しかし現在いままで、俺は何をしてたんや。

 数日前から部屋に戻らず、パチンコ屋に現れない美夜子の居場所に想いを馳せる。


 やっぱり、られたかな。

 奇妙な感慨かんがいとらわれ、通りの先におかしな占い師のじいさんが座る姿に気づく。


 確か、少し前に通りがかった際は座ってなかったと疑問に感じたはずや。

 じいさんも、どうやら彼の姿を見て首を傾げる仕草に気づいたか手招きしてる。


 どうやら、まれにいる酔っ払い相手の辻占いらしいが不思議な感覚を覚えた。

 じいさんは、その場に座ってない様子にも見える。それでも奇妙な存在感を同時に漂わせてた。どこか、異質な空気を感じたことが理由かもしれん。


 それに、不思議な理由がもうひとつ存在した。

 これだけ人通りが多い繁華街で、じいさんを見てるのが俺だけなんや。


 普通、これだけ変なじいさんを目にすれば洒落しゃれで占いを頼むか、近寄って冷やかす人間がいてるはずや。


 それが誰も、じいさんを見ようともしてない。

 じいさんが座る状況を、誰ひとり認識していない様子に感じられて不思議やった。


 少し、茫然ぼうぜんと眺め続けた俺は意を決して、せっかく手招きで呼んでるじいさんを無視するのもおかしいと近寄る決意をする。


 実際、近づくに連れてじいさんから、どこか人間離れした気配を感じた。


 しかし、見れば見るほど不思議なじいさんや。

 机上に「占い」と書いてるけど、それらしい道具が載ってないテーブルに肘をつき椅子に腰かけてる。蒼白な長髪と顎髭あごひげで薄汚れた白服と帽子をまとう、異国の仙人か神を連想させるたぐい風貌ふうぼうに思えた。


 しかも、その姿とは好対照に思える金色に光る両眼をした黒い猫を膝に抱いてる。全体像が、不思議な調和をかもして高名な画家が描く一片の絵画にも感じた。


「さて、お前さん。何を占って欲しいのかね。最近は、お客さん多いのぉ。お前や」

 目前に立つ俺に、ニャーと鳴く膝上猫をあやしながら占い師のじいさんは呟く。


いや、何もないけど。でも、これからの運勢占ってもらうか。それと付きあってる女に振られそうで、どうすれば良いか迷ってて」

 じいさんに、どこか親しみが湧き無駄を承知で半分ふざけた気持ちで応える。


「そうか、お前さんの運勢のぅ。なら、もっと良く顔を見せなされ」

 すると、じいさんは見てる側も楽しくなる類の人好きする笑みで話しだした。



かお、ですか?」




                    Ⅶ


 辻占いは、手相が定番と考えてたんで顔面占いなんてあったかと首をひねる。


「そうじゃ。顔さえ見れば、人間の内面は大方判断できるさ。ところで、お前さん。わしの言葉を良く聞きなされ」

 驚く俺を見て、しばらく考えた後じいさんは厳しい顔つきで話しだした。


「どうやら、現在いままで逃げてきたようじゃが。お前さんには現在いま、良い方向に変わる絶好のチャンスが訪れとる」

 人生で起こった状況と、起こる事件すべて知ってるかの口調で話される。すべてを知られた気がして、なぜか狼狽えながら応じた。


「何で、俺のことが? ほんまに判るんですか?」


「そりゃ、当然だわぃ。わしらは占い師ですから長年の勘というのかね。お前さんの過去も未来も手に取る様子で判るさ。お前さんも本来は、この世界でも大きな役割を果たすため選ばれた人間じゃ」

 そこで一区切りすると、俺の瞳を見つめて続ける。


「そうさのぅ。ひとついえる言葉があるなら何もかも逆らうんじゃなく、少し相手の気持ちを考えれば良い結果を産むという予測じゃな。自身が、どう生まれ育ったかを思いだせば良いという助言ものぅ、お前や」

 先刻さっきの、真剣な表情が嘘と思えるとぼけた口調で猫に語りかける。


 聞いた俺は、少し腹も立つが自身を見つめる良い助言アドバイスであり苦笑するだけや。

 独りに戻り、じいさんの言葉を最初から考え直すつもりでわずかやけど心ばかりの金銭カネを机上に置く。そのまま、静かに立ち去ろうとした。



「待ちなされ!」

 その瞬間とき、じいさんは先刻さっきまでとは違う厳しい口調を放った。

 俺は、想像もしない怒鳴り声に驚いて、慌ててじいさんを見つめる。


 先刻さっきから、じいさんの膝上で丸まり気持ち良さげに転寝うたたねしてた黒猫も声に驚いて眼を覚まし、金色の瞳で周囲を心配そうに伺ってる。


「いやいや、大声を出して済まんかったのぅ。大して占いもしとらん。もらう訳にはいかんのぅ」

 照れ隠しか、にこやかな笑みで金銭カネを押しかえすと真面目な表情で続けた。



「最後に、参考まで助言をするかのぅ。お前さんは半年前に、今後の人生をやり直す一つ目の出会いがあったはずじゃ。この後すぐ今後の人生に可能性を与える二つ目の出会いをする。それに近い時期、今後を決定づける再会をする。いえるのは、今度は素直になれと助言アドバイスだけじゃ」


「そうですか? また、そのうち占ってもらいますわ」

 俺には、じいさんの最後の言葉があまりに深すぎて、すぐには理解できずにいた。ただ、役に立つ助言だと感じたので感謝を込めて伝える。じいさんは微笑みながら、どこか寂しそうな遠い目をして応えた。



「お前さんが本気で、またわしに会いたいと思う時期タイミングがあればきっとどこかで会えるじゃろぅな」

 俺は、微笑んで会釈した。その後、本格的に動きはじめるまばゆいネオンが輝く街に歩みを進めた。




                   Ⅷ


 じいさんと別れた後、懐からセブンスターを取り長年愛用で使い古したZIPPOライターで火をともした瞬間ときやった。

 すれ違いざまに肩が接触した見知らぬ男から、いきなり肩を押さえられて後ろからつかまれたと思うと、いきなり下の名前を呼ばれたんや。


 驚きに振り返った俺は、男の顔を改めて眺めて驚愕きょうがくした。

 六年も会っていないが、殆ど変わってなかったためすぐに思いだせた。


 男は大学三年当時、同じゼミに在籍して仲も良かった先輩やった。


 先輩は、成績優秀で請われて大手ゼネコン大正建設に入社したはず。しかし現在、着ている服は聞いたことがない横文字がプリントされた作業着の上下。何があったか話しかける言葉を選んでると、先輩はここがどこであるかも忘れた様子でせきを切る勢いで話しはじめる。


「おまえ、生きとった。いや、元気やったか。去年、独立準備で学校に顔だして話を聞いてびっくりしたぞ。竹下工務店に入社して配属先に不満で勤務中に飛びだして家出中いえでちゅうやて? まあ、生きてたから良かったが皆が本気で心配してたぞ。それに、なんか相談したいことがあれば、いつでもいって連絡先も教えたったやろ。なんで、電話してけえへんのや。なあ?」


 俺は、しばらく何も返答できずにいた。いや、応える言葉もなかった。

 俺が、のほほんとパチプロで遊んでた五年間に、先輩は独立開業しゃちょうやて?


 先輩は、黙り込んだままうつむいて立ち尽くす俺を一瞥いちべつすると、それでも優しく声をかけてきた。


「ちょっと、俺も忙しいてな。あんまり長話できんのや。まぁ、現在いままで何してたかえて聞かんけど。もし、建築やりたいと思う気持ちがあるなら何もいわんでええし電話してこいな。こっちも人材難やから悪い結果にせぇへんし。絶対やぞ!」

 その言葉を最後に名刺を押しつけると、先輩は怒涛どとうごとく走り去る。


 俺は何もいえず、その場にしばらく立ち尽くしたが、先刻さっきの占い師のじいさんの言葉を突如とつじょとして思いだした。


 確か、こんな言葉を話してたはずや。最初に、これから伝える話を良く聞けと。

 次に、逃げてた俺に現在いま、良い方向に変わる絶好のチャンスが訪れてると。


 最後の言葉、半年前に今後の人生をやり直す一つ目の出会いがあったはずやと。

 これからすぐ、今後の人生に可能性を与える二つ目の出会いをすると。


 これが、一番大事な話で近い時期に今後の人生を決定づける再会をすると。


 今度は、自分に素直になることや、と。

 じいさんが、深い意味を込めて伝えたと言葉の真意を理解した。


 じいさんの言葉は、現在いままですべて当たってる。




                    Ⅸ


 確かに、裏モノが消滅してパチスロで勝ちにくい近未来予想が、この世界から足を洗うタイミングやと最後に源さんも話してたし俺自身も同様に感じる。


 それに、今後の人生をやり直すため半年前の出会いは美夜子に間違いなく、人生に可能性を与える二つ目の出会いをこれからすぐにすると伝えた言葉は先輩や。


 ここまで、すべて当たってる。

 なら、続く言葉が一番大事な話にも感じられる。


 近い時期、今後の人生を決定づける再会をする。

 自分に素直になれと話してた意味は? 誰と再会するんや?


 俺は、慌てて美夜子の部屋を訪問するが相も変わらず誰もおらず、源さんを捜して心当たりの場所を回るが、大事な状況時タイミングに限って捕まえられへん。


 途方にくれた俺は、疲れた足を引きずり自分の部屋に戻った。


 すると、部屋の前に疲れきった顔をして俺が探し回ったことなど露知らず、帰りを一日中待っていたとでもいいたげな安心した表情を浮かべる美夜子の姿があった。


 美夜子は、俺の顔を見つめて一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべると、何も訊かずに着いてきて欲しいと告げた。



 その後、疑問に思う俺が話しかけても何か答えることもなくタクシーを捕まえて、ある場所まで移動した。その場所は、関西でも屈指くっしの巨大総合病院で、しかも特別な入院患者専用フロアの立派な個室やった。


 入院してた人間は、驚いたことに俺の親父で付添いの母もかたわらにいる。

 しかも、病状は簡単に推測できた。親父の姿が、五年前から想像もできないほどにおとろえてたからや。


 親父の姿を見た俺は何もいえず、ただ立ち尽くした。

 母は、疲労のためかテーブルに突っ伏して眠っており俺が訪れたことにも気づいてないし、この部屋に俺を連れてきた美夜子は俯いたまま立ち尽くして泣いてる。


 親父は、何も話さず俺の顔をしばらく見つめたが何度かうなずいて、語りはじめた。


「久しぶりやな。あの頃のお前は、子供のままやったが結構苦労した様子も伺える。現在いまは、想像より立派な顔しとる。結婚しても、美夜子さんを泣かさず頑張れよ」

 親父の言葉を聴いた瞬間とき現在いままで忘れていたのが不思議なぐらい大切な真実リアルを、突如とつじょとして思いだした。


 そうや。

 美夜子は、十年以上前の話になるが親父に未来の結婚相手と笑いながら紹介された東北辺りの縁戚えんせきむすめやった。なら、と俺は思いつく。


 美夜子は、親父に頼まれ偶然を装い俺に接触したんやろう。

 ただ、俺を連れ帰るだけならば何もかも正直に話すはずや。


 その時点で、はじめて親父が語る言葉の真意に気づいた。

 好きな仕事をしても良いから、という言葉を伝えたいんや。帰ってこいの言葉も。


 占い師のじいさんから助言アドバイスを受けた現在いまの俺は、簡単に理解した。美夜子の肩を軽く抱き寄せると、親父に向け頭を下げながら素直に伝える。


「長い間、御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。できるだけ早く、可能なら今週中にも自宅に戻る予定です。それと、独立して設計事務所を経営している大学の先輩を手伝う状況になりまして今後、美夜子を泣かすつもりありません。近いうちに美夜子の両親に挨拶あいさつして、正式に結婚を許してもらうつもりです」

 少しだけ考えて、言葉を聞いた親父は弱弱しいながらも微笑ほほえんだ。


 それに、美夜子も俺を見て微笑ほほえむと、手を腰に回して力を込めた。

 その瞬間とき、あの言葉を伝えたじいさんの謎めいた表情と、膝上にうずくまる妖しく光る金色の瞳を持った黒猫を忘れることはないやろうと強く意識した。


 現在いままで軽く聞き流してきたが、じいさんが伝えた言葉を再び思いかえす。


 お前さんは、この世界で大きな役割を果たすために選ばれた人間なんじゃ。

 じいさんが放った言葉を深く考え、ひょっとしたらあのじいさんは本物の神様かと推測する自分がいた。


 そこまで考え、心の中では現在いままで考えつきもしなかった気持ちが大きくなる。


 俺は、自分で可能な限り他人の役に立つ仕事を死ぬまで行い続ける。少しでも神に対する恩返しに繋がるならばそれで良い。そんな、自分に都合良い勝手な解釈をして改めて美夜子の温もりを意識した。


 現在いままで、馬鹿な生活を続けた負債を早期に取り戻そう。ただそれだけを考えて、頑張り続けることを誓う。その真剣な祈りを、存在するはずがない神に捧げた。

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