第17話ろくでなし
桃田酒店の息子は水商売の女に次々と手を出しては家に連れ込むろくでなしと噂が立って随分になる
モモさんは女の子に優しい。笑うと目尻にシワが出来ると人懐っこい顔にになるし、背も高くて家の手伝いでついた筋肉にメロっとなる女の子もたくさんいた。バレンタインでもらうチョコは結構な数で毎年おすそ分けにもらうのを楽しみにしてた
いつだってモモさんは飄々としていてはいたけど、ろくでなしにはどうしても見えなかった
桃田さんちのおばあちゃんが入院している間、私は楓さんに頼まれて店番をしていたことがある。桃田酒店の奥は母屋が続いていて、扉が開いていれば見える中庭の裏手。そこには小さい離れがある。小さい頃は中庭で随分前に亡くなったおじいちゃんが、夏は何処からか竹を切ってきては流し素麺をしてくれたり、花火なんかをよくした。おじいちゃんが趣味の部屋にしていた離れはやがてモモさんと梅兄達の遊び場になった。店番に来た最初の日におばさんに
「さくちゃん、離れは今人がいるけど気にしないでね」
「モモさんの友達?」
「ちょっとまあ、訳ありさんなのよ」
店番をして三日後に訳ありさんは私の前に現れた
「おばさーん、おばさんいないのー?」
母屋から聞きなれない声がして思わず振り返ると、中庭に大きなだぼっとしたTシャツを着た女性がこちらを覗くように立っていた。無造作に長い髪は後ろで束ねているだけなのに、化粧っ気もないのにきれいな顔立ちでなんだか色っぽい人だった。火が点いたたばこを手にしている
彼女と目が合ってしまった。彼女は少し首をかしげてからパタパタと音を立てながら母屋に上がってそのまま店に入って来た
「おばさん知らない?」
手にしたタバコは庭で消したらしく吸い殻を店のゴミ箱に捨てた
「まだ病院だと思いますけど」
「そっか」
そう言いながら冷蔵ケースから缶ビールを出すと、喉からゴクリゴクリと気持ちの良い音を立てながら一気に飲んでしまった
「あーっ、うまっ」
慌てたのは私だ
「あのお店の商品…」
「知ってるよ、ここが店だって見ればわかるっしょ」
そう言うと
「ああ、お金のことを言ってる?ちゃんと払うよ」
彼女は少しの間離れを借りてると言った
「モモチンがさ、とにかく来いって言ってくれたんだ」
彼女はユカリさんと言った。もう一缶ビールを飲みながらいろいろ話しをしてくれた。ユカリさんはモモさんが配達している店のホステスさんで、いろいろあってこの離れに居させてもらっているんだそうだ
「モモチンに世話になったのって他にも結構いるんだよ。ここの酒代だけ飲んだら払えばいいって言ってくれてね、ほんと助かった
モモチンってさ昔キャバクラだかの女とちょっと噂があったらしくってさ、それからあたしみたいなのを見たら声かけてさ、かくまってくれんの。一回お礼の気持ちで寝る?なんて誘ったらえらく怒られちゃったけど」
モモチンなら全然よかったんだよ
お酒が入って頬がほんのり赤くなったユカリさんがニコリと笑うと艶っぽくてドキドキしてしまった
暇なときは相手してあげてもいいよと言ったユカリさんは、これはおごりだからと缶ビールとくれたけど、まだ未成年の私ではなく楓さんのお腹にそれは美味しそうに収まった
夜になって帰ってきたおばさんに訳ありさんに会ったと話すと
「あの子が決めてやってるからね、やらせてるけどあの娘達が裏手で出入りするのを見ちゃった近所の人があれこれ言っちゃうんだわ」
モモさんはDVにあってる人や、お客とトラブルにあっていたりする女の子に声をかけて離れを逃げ場として提供して相談に乗っているらしかった
ユカリさんも言っていたし、おばさんもモモさんに何かあってこんなことを始めたのはわかっていたけど、何があったのかは知らなかったし聞くつもりも無いみたいだった
モモさんは
「俺が女の子にだらしない噂があったほうが都合がいいしね」
おばあちゃんが無事退院した後も時々頼まれれば店番をしたし、竹田君と会う時に作っていたお弁当も多めに作ってユカリさんに差し入れしたりもした
「さくらちゃんのご飯美味しいからいい奥さんに絶対なれるよ。よかったらあたしと結婚しちゃってくれてもいいよ」
そんなユカリさんはここを出ては時折戻ってを繰り返していたけれど、だんだん足が遠のいていってすっかり来なくなった。ここに来ないことはユカリさんにとってはいいことなはずだけど、少し寂しかった
離れにはお客にストーカーされてしまった女の子や、逆にお客にほれ込んでしまって店に迷惑をかけた女の子なんかも来たけれど、ユカリさんほど長居することはなく去っていった
「ここは女の子たちのオアシスだからね、さくちゃんだって女の子だからいつだって使っていいんだよ。妹扱いということで店のドリンクは無料でいいよ」
ちょっとふざけたように言われたことがあったけど、女の子の微妙な感情を読み取る能力があるモモさんには、私のことも、もしかしたら薄々気づいていたのかもしれない
そんなわけで私は今、このオアシスでビールを飲んでいる。もちろんちゃんとお金は払って
「さくちゃん、ずいぶん買うけど、今日は何かあったの?」
桃田のおばさんに聞かれて
「園田家に家族が増えるんです。だからお祝いのお酒を私からプレゼントしたいけど、メッセージを添えたいから少しだけ離れを借りていいですか」
「あら、梅太郎君結婚なのね、おめでたいわね」
ゆっくり離れ使ってねととてもうれしそうなおばさんに笑顔でお礼を言ってたくさんのビール(発泡酒でなくてビール)を抱えて離れに入った。ご祝儀だからとタダにしてくれた
離れは誰もいなくて窓が閉まった部屋は熱気でむっとしていて、すぐに汗が流れてくる。窓を開けたくなかったから、エアコンをつけて電気もつける。テレビを付けたらどうでもいいようなクイズ番組が流れていた。どうでもいいのでいい、静かなのは耐えられない
離れは畳敷きの一間で小さいけれど台所はあるし冷蔵庫も置いてある。トイレもある。生暖かい畳に座ってビールを飲みながら、家から持ってきた花のイラストが描かれたメッセージカードに大きく「祝・おめでとう!妹からのお祝いだよ」と書いた
夕食後、梅兄とスミレさんは改まったように二人で並んで座って、
「スミレのお腹に赤ちゃんが出来た。ちょっと順番は逆になったけど、明日にだって籍を入れて夫婦になりたい。スミレのご両親には先に挨拶してきた。父さん、母さん、楓さん、桜、祝福してくれたら俺もスミレも嬉しいんだけど」
スミレさんは深々と頭を下げていた
高校生からずっと付き合ってきて、父も母も楓さんもスミレさんとは仲が良くて今更反対もなにもなかった。もろ手を挙げて喜ぶってこんな状態をいうんだろうなあと思うほどのお祝いムードになった園田家だった
「さくちゃんがほんとの妹になるのが嬉しい」
「お姉さんが出来るのは嬉しいけど叔母さんになっちゃうのはいやだなあ」
二人でくすくす笑った
それから私はスミレさんはアウトだけどお祝いのお酒を買ってくるって家を出た。家中幸せの粒子に覆われているこの家に居ることが、笑ってい続けることがちょっと辛かったから、家を出た
無理矢理に二缶一気に開けたら、酔いが回ってきてどうでもいいクイズ番組に声をあげて答えていて、冷蔵庫に入っていたチーズをおつまみに食べた
「美味しいチーズだなあ、モモさんのくせに贅沢」
テレビの音だけの部屋
テレビと私の声は粒子になって舞っているんだろうか
発泡酒でないビールは美味しいはずなのに、炭酸のきつさにげっぷが出るし、酎ハイと違って苦くって、ユカリさんはなんであんなにおいしそうに飲めたんだろう
だけど、それでも私はまた新しい缶ビールを開けて飲む
苦くてちっとも美味しくないけど、酔いだけは回る
冬になると炬燵になる机に突っ伏しながら、ぐるぐる回る頭でクイズの答えを考える。なんでテレビに出る人はどうでもいいことであんなに笑い転げられるんだろう
それが仕事だからに決まってるよね
全然問題がわからない
あの解答者は頭がいいんだなあ
トイレにいってはまたビールを開けて飲み続けた
何缶目だっただろうか、開けようとしたら取り上げられた
「とんでもなく酒臭いよ、さくちゃん」
「ああモモさんかあ・・一緒に飲もう」
だって今日はすごくめでたいんだよ
モモさんの親友がおめでたいんだよう
梅兄結婚するの
だから嬉しくってここでお祝いのカード書いてんの
モモさんも飲んでお祝いしてよう
「とりあえず水飲んで」
口もとに付けられるコップを押しのけて机の上のビールをモモさんに押し付けた
「モモさんも飲んで」
「俺は酒屋だよ、いくらでもいけちゃうよ」
モモさんは美味しそうに飲むと机の上の食べかけのチーズに気付いて眉をしかめた
「俺のとっておきのチーズ食べちゃったのかあ、いけるでしょ」
ちょっと待っててと行ってモモさんは出て、しばらくすると料理を持って戻って来た
「俺晩飯まだなんだよ、さくちゃんも食べる?」
山盛りのキャベツが入った焼きそば。ソースのいい匂い。モモさんは青のりをたっぷりと振りかけて箸でがばっとつかんで口いっぱいに頬張るように食べて、流し込むようにビールをぐいっと飲んだ
「ああ、美味い」
モモさんが飲むビールはなんておいしそうなんだろう、そう思ったらモモさんのビールを奪って飲んでいた
「おいおい」
「やっぱり苦い」
ちっとも美味しくないのに、それは私の感覚を鈍らせるから隣りに座っているモモさんは膜が張った向こう側にいるみたいだ
「さくちゃんの味覚はまだ子どもなんだよ」
はははと笑うモモさんの笑い声も少し遠くだ
シャキシャキと音を立てて食べられるキャベツにひかれて食べてみる
口の中でシャキシャキと音が鳴り響く。甘いソースと青のりの風味と火がとおったキャベツの甘さが気持ち良かった
モモさんのようにビールを流し込むように飲んだらモモさんが
「すごい空の缶がここにあるんだけど、一人で飲んでたの?」
「うん、まだまだ飲むから」
そして私はモモさんに負けないくらいの声で笑う、クイズ番組のクイズが難しすぎって文句を言って美味しいチーズを食べるモモさんは贅沢だと言ってビールを飲もうとしたらモモさんに取り上げられてしまった
「もう飲むのは駄目」
「なんでモモさんが決めるの」
「酒屋の言うことは聞いたほうがいいんだよ」
知らないそんなこと
モモさんは残ったビールを袋に入れて冷蔵庫に入れた
「さくちゃんが飲みきったらお祝い持って帰れないだろ」
「いいのまた買うから、今は飲みたいの」
はって冷蔵庫に行こうとしたら、モモさんに立たされた
「真っ直ぐ歩けたら飲んでいいよ」
そのまま手を離されたら一歩も歩けなくてへたり込む
「ね、べろんべろんでしょ?飲み過ぎ」
明日死ぬ程ツライよと楽しそうに言われた
ああぐるぐるする
「おめでたい日なんだよ、モモさん」
「梅から聞いたよ、結婚って」
そう、正解です
「だから飲んでるの
だからもっと飲みたいんだけど」
「さくちゃんさ、違う理由で飲んでるでしょ」
モモさんは焼きそばを食べながら言うから、なんだかビールももうよくなってごろっと横になった。天井がぐにゃっと見える
「お水飲む?」
「いらない。違う理由なんか無いよ」
「まあ、そういうことにしてもいいけど」
「モモさんさ好きな人いるの?」
答えてくれたら水飲むと言ったらナンダそれって笑われた
「今はいない。結構いないかも」
「付き合ってた?」
「そりゃいたよ」
「告白出来ない人を好きになったことある?」
さらっと聞くつもりが少しだけ声が震えた
「さくちゃんそんな人が今いるの?」
「モモさんに聞いてるの」
モモさんはそれはないなあと言って
「もし好きだって伝えることも出来ない恋なんかしたらそれはしんどいね。それにしてもほっぺた真っ赤だよ、そんなに強くないのによく飲んだね」
少し冷たい手で頬を触られる。冷たくて気持ちいい
手が冷たい人が優しいってほんとなんだなあと思う。私の手はほかほかだ。両手を見ると真っ赤になっている、変なの
「しんどい恋をする人間はバカなんだよ、モモさん。世界にはたくさん男の人っているのにね、わざわざそんな人を好きになることがそもそもおろかなの」
だから私はばかなのと言うと、はははとモモさんは笑う。モモさんは何を言っても笑う
「ついでに全部話してみる気はある?俺は口は堅いよ、でなくちゃここをオアシスになんてできないしね。いつだって女の子味方のモモさんに話すのも悪くないと思うよ」
軽く話しちゃえば笑い話になるだろうか。夜の仕事の女の子たちもこうやってモモさんに打ち明ける気になったんだろうか
モモさんに気持ち悪いと思われないだろうか
人でないようなものを見る目で見られたら
いや、モモさんにそんな気持ちにさせたくない
だけど、それでも誰かに伝えたかった
今が生きていて最後のチャンスなのかもしれない
「モモさん」
酔っぱらいの戯言だと思ってくれたらいい
「私ね、もうずっと好きな人がいる」
今度はモモさんは笑わない。黙って聞いてくれている
「すごい好きなのにね、絶対言えないんだよ。言ったらおしまい
きっと怪物でも見るような目で見られるの。それで終わり
ねえ、モモさん。普通の人を好きになってたらもっと早く気持ちを伝えてさ、希望があったかもしれなくて、今頃すごい恋人同士で周りがひくほどラブラブだったかもしれない、だめでもどこかであきらめて、次の恋にいけてたかもしれない。だけど言えないから」
伝えられないら
モモさんは黙ってる。聞いてくれてるんだよね
「もう嫌なの、こんな気持ちいらない。私が受け入れられないんだもの。だけど無理なの好きなの」
私は両手で顔をおおった。どうかモモさんが馬鹿って笑ってくれますように
「梅兄が好きなの」
ああ
私の気持ちが私の中から流れ出す
「もうずっとずっと前から好きなの。梅兄に言おうと思ったことなんかないし結婚だってちゃんとお祝い出来るから
けどなんでなんだろうね、血が繋がってるだけでなんでこんなにだめなんだろう。梅兄を好きって気づいてそのまま絶対だめだって思った
なんで絶対だめなんだろうね。ああこれってくだらない独り言だと思ってね」
モモさんはちっともびっくりしない。だから私は言葉を続けられる
「とうとう九年も経っちゃった、笑えるでしょ。
他に好きな人が出来れば、こんな得体のしれない気持ちなんて無くなるんじゃないかって思った時もあったけど、だめだった。自分のことしか考えてなかったからひどく傷つけた
もう全部誤魔化して生きてきたんだよ
誰にも私がおかしな人間だって気づかれずに生きてこれたの、すごいでしょ」
どうしたらいいんだろうか
「どうしたら消せるかなあ、みんなどうやってるんだろうね。モモさん教えてよ」
あきらめかたもわからない
「すごく好きな気持ちを捨てちゃいけないでしょさくちゃん。それ大事にしてあげなくちゃいけないんだよ」
モモさんはそう言うと
「我慢しすぎ」
と私を起こして水を飲ませてくれて
「梅だったのか」
私はこくりとうなずく
「それは確かにしんどいなあ」
そう言ってやっぱりモモさんは笑う
「けどさ、よく言われてる言葉だけど好きになるのに理由ってないでしょ。さくちゃんは梅だった、兄ちゃんだったってだけでしょ」
「それって変でしよ?」
オカシイでしょ?
「ちっとも変じゃない」
何でモモさんは断定出来るんだろうか
「梅兄に知られたら嫌われるって思ってたの?」
思わない人なんかいないでしょ
「梅だったらさくちゃんの気持ちを知ったらきっとそうだなあ、ちょっとびっくりはするだろうけど、きっとちゃんと受け止めて、それでちゃんと振ってくれただろうね。あいつはスミレちゃんにべた惚れだから」
当たり前なことみたい言って、ああと何だか納得したようにうなずかれる
「梅が急にさくが突っかかるようになったって、反抗期だから構うなって怒るって言ってたことがあったけど」
どうしていいかわからなかったから、絶対ばれるわけにいかなかったから
「ずっとそうやってきたんだ」
そうするしかなかったから
「やけ酒したのは梅が結婚するから?」
首を振る
「幸せそうな梅兄とスミレさんを目の前にして、嬉しかった。祝福してる自分がいた。でも」
「でも?」
別のことを思った
「ここに来たのはそれが理由?」
そう
「スミレさんはいつか別れたら一生他人だから
私は死ぬまで繋がってる。梅兄と私の血は同じだから
梅兄と私はずっと一緒でいられる
一瞬そう思った
思ったらもうあの場所にいられなかった」
最低だ
「やっぱりダメだよモモさん、誰も喜ばない恋はそれだけで呪われてるんだよ、思うだけでもそれは罪だと思う。罪を背負ってるなら罰を受けなくちゃいけないでしょ?」
「全然違うよ」
柔らか声が私の中を通り抜ける
「どんな形だろうが苦しかろうが好きだと想う気持ちが呪われてるわけない。それは絶対罪でもないし罰が下るもんでもないんだよ
そんな悲しい決めつけしちゃダメなんだよさくちゃん」
少なくても俺にとってさくちゃんはただの恋してる女の子でしかないよ
モモさんは私をトイレに連れて行った
真っ青な顔をしていたから
私は何度もトイレで吐いた
モモさんが背中をずっとさすってくれて少しだけ落ち着く
氷が入った水はビールなんかより全然美味しい
ぐったりしてしまった私にモモさんは
「いっそモモ兄さんと一緒になってみる?」
ふうわりとした声で言った
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