閉まるドアにご注意下さい
ねこまこと
閉まるドアにご注意下さい
昼間は人でごった返す都内の駅も終電を過ぎると人気が無くなり、照明が少なくなったホームなどは薄気味の悪ささえ感じでしまうほどだ。静まりかえったホームには時として酒を過ごし酔い潰れたサラリーマンの姿も見られるが、朝晩少し肌寒くなってきたせいかこの夜はその姿さえ見受けられない。
そんな静まりかえったホームに、カツンカツンと気怠げな調子でヒールの音が響いている。音の主は着崩れたカジュアルデザインのスーツ姿の女性だった。週末だからと酒が過ぎたのか、残った酒気と仕事の疲れに体を引きずるようにして歩いている。
ホームの中央辺りまで来て女性は足を止め手近なベンチに腰を降ろした。
緩慢な動作でカジュアルなバッグの中から煙草をとりだし、事務仕事に支障をきたさない程度のネイルを施した指先で挟んで火を点けた。
終日禁煙の文字が見えるがどうせ自分以外に人がいないのだから別にいいだろうと、疲れた頭で自分勝手な事を考えながら、ゆっくりと吸った紫煙を吐き出す。
それで漸く一息ついた。一息ついたと思ったら、階段の方から今一番会いたくない存在が歩いてくる。こんな夜遅くに駅の構内を歩く人間は、彼女のような終電に乗り遅れ且つ何処にも行く当てのない者か、見回りをする駅員くらいである。
その内で喫煙中の彼女が会いたくない相手となれば、当然後者ということになる。
三十路前後の男性駅員は女性の前で足を止め、
「申し訳ありません、駅構内は全館禁煙とさせて頂いております。ご協力宜しくお願い致します」
慇懃な態度で女性を窘めた。
女性としては非が自分にあることは分かっているが、それでもやはり面白くない。だいたいいつもなら禁煙場所で喫煙なんてしないのだが、それを押して喫煙したのだ、それだけ気分が荒んでいる証拠であった。
表情は笑っていても目は全違う表情を浮かべている駅員の男性を一別すると、床で煙草の火を揉み消し、そのまま立ち上がると線路側へ歩きだした。そして先ほどまで吸っていた煙草の吸い殻を指で弾き線路の中に投げ入れてしまった。
これには駅員も顔をしかめたが、女性はそんなことにいかまってはいられない。何せ今はすこぶる気分がやさぐれている。
それもこれも全部今日の合コンのせい、しいては合コンをセッティングした後輩OLのせいだ。別に行きたいと言った覚えのない合コンに無理矢理誘われて行ってみると、自分以外は全員二十代。何もしなくても肌には張りがあり、年相応を気にせず服装を選べる。
年相応は気にしなくても時と場合くらい気にしろと言いたくなる時もあるし、実際注意することもある。時分の頃はと言いたくなるがそれを言えば老けた事を認めた気がするので絶対に言いたくはない。
そんな彼女たちがセッティングした合コンだ、自分に合う男が呼ばれるわけもなく、また来ていたとしても若くて可愛い子の所へ蟻のように群がるだけで自分の所には愛想程度にしか寄ってこないのは解りきっている。
案の定男は幹事の女の子の所に寄っていき、アラサーの自分だけでなく彼女が呼んだ他の女の子さえ置き去りにされている感が否めない。
更に幹事の彼女が用意した場所というのがこれもまた全席禁煙の居酒屋で、煙草を吸いたければ外に出るしかなかった。唯一良心的な物を感じたのは、店の外に灰皿が置いてあることと、この区域が禁煙区域ではないことだろうか。
一服終えてついでにトイレに立ち寄ると、幹事以外の女の子が集まって幹事の子の悪口が始まっていた。その途中何故か自分の名前が出てくるものだから、扉を開けるタイミングを逃してしまう。
「……利香子さまもさ、来年で三十五歳だからってギラツキすぎよね」
「それ私も思った、あんなに必死だと男も逆に引くって」
「そうそう。あ、でも今日はハズレじゃない?」
「だよね、由佳に騙されるようじゃたいした男じゃないよね」
自分の事を彼女たちが影で『様』付で呼んでいることはしっている、勿論それが良い意味ではないことも。だが自分たちより一つ頭が飛び抜けた存在を疎ましく感じるのも分かるので黙認している。
だが、ぎらついているという発言は納得できない、自分の何処がと思う。メイクだって年の割にナチュラルだし、バッグは見ただけでブランド品だと分かるような物は避けている。ネイルだって嫌みの無い程度にして貰っている。月一の美容院とエステは自分へのご褒美としては安い方だし、マッサージは日々の仕事の効率を考えると週一はあっても多いとは言えない。
だいたいそんなに油断してると、年取ってから痛い目を見るのはあなたたちなのよ。
そんなことを思いながらトイレの前から立ち去った。いくら利香子が立場的に強いといっても、あのトークの中に何も聞かなかったことにして入っていくのは難しい。
そんな合コンであっても日々の努力が実を結んだのか、割とイケメンの部類の男と二人で続けて呑みに行くことになった。
だがこの男がまたいけない、見かけ倒しもいいところだった。
「ホテル代割り勘とか、なめてんのか」
先ほどの駅員がまだ近くにいたら振り返ったに違いない、だがどちらにとっても運良く駅員は顔を思い切りしかめたまま降りてきたのとは反対側の階段を登っていった後だった。
こんな事を口にしたのだって、気分がむしゃくしゃしていたからで、その原因はやはり合コンであり、合コンで出会ったあの男のせいだ。そして最後には終電に乗り遅れた。
「また連絡とかどうでもいいわ」
アドレスの交換はしたがこっちから連絡することはないだろう、いっそこの場で消してもいいとさえ思える。あれで顔が悪ければいいとこ無しだ。
いつまでも電車の来ないホームにいても仕方が無い、酔っ払いよろしくホームでごろ寝なんて絶対に御免被りたい状況だ。
素泊まりのビジネスホテルでも探そうと決めて、駅員がいなくなったあと再び座ったベンチを立ち上がり、階段に向かった。
「あれれ、一番乗りかと思ったら先を越されたねぇ」
階段の上の方からやたらと明るい女性の声が響いた。
おりてくる姿を見ると、二十歳前後の少女だ。夜なのに疲れた様子もなく軽い足取りで階段を下だる。
「お姉さんもこれから帰るんでしょ」
気さくに話しかけられて利香子は戸惑った。いくら相手が気軽に話しかけて来たからといって、話返せるほど利香子は気安い性格ではなかった。
本来なら無視をして通り過ぎるのだが、これから帰る、という言葉が気になりつい言葉を返してしまった。
「電車、まだあるの?」
女の子は小首をかしげる、
「あるから来てんじゃん、お姉さん面白いね」
もしこれが後輩のOLなら、あんたどんな口の効き方してるの?と腹を立てるところだが、さも当然のように答えられて毒気を抜かれてしまった。
逆に「終電終わりましたよ」と親切そうに教えてくれた駅員に腹が立つ。
(この駅ましな駅員いないじゃない)
自分の行動は棚に上げているが、この際のそんなことはどうでもよく思えてくる。
「あ、そうか、警戒してるんだね。大丈夫だよ私も同じ穴の何とかってやつだから」
「狢でしょ」
あまりにも気安いからつい言葉を交わしてしまう。
「知ってるよー、でもさ、わたし狢って嫌いなんだよね、ほらわたし達って天敵じゃない?」
「狢と天敵って、一体どんな生活してるのよ」
「そっか、お姉さん都会のヒトなんだね、わたしの実家チョー田舎だから羨ましいよ」
「そう」
噛み合っているようで噛み合わない会話に利香子は適当に相槌を打つ。さっきはつい返事をしてしまったけれど、本来なれなれしい子は好きではない。
「けどま、人混みの中よりましなんだよね」
女の子はぐったりした様子で肩を落として見せる。
「それは、分かる気がするわ」
「お姉さんも、やっぱそうだよね。人間って数増えると臭いしさ、なんだってあんなに汚くて平気なのかってちょー疑問なんだ」
「暑い時期に汗かくのはわかるけど、もう少し清潔にして欲しいっていうのは分かるわ」
「だよねー」
若い頃は同じようなことを考えていたので、つい乗ってしまった。それに話をしているとそんなに悪い子ではない気がしてくるので不思議だ。
(近所の猫に懐かれた気分だわ)
思わず微笑ましくなってしまう。
「お、先客か?猫は相変わらず早いな」
「猫じゃないよ、山猫だっていつも言ってんじゃん」
「あー……悪い悪い」
(全然悪いと思ってないわね)
「全然悪いと思ってないでしょ」
利香子が思ったのと同時に拗ねた声が発せられ、つい笑ってしまう。
「お姉さん、笑い事じゃないんだよ。猫と山猫じゃあ全然違うんだから」
「だが化け猫には違いないって?」
「おっちゃん、引っ掻くよ?」
「おいおい、爪出すなって。危ねえだろう」
「ふーんだ、犬神のおっちゃんが余計なこというのがいけないんだ」
「いやいや、悪かったって」
同郷なのだろうか、年は親子ほど離れているが会話がとても気安い雰囲気で聞いてる側も楽しくなってくる。とはいえ内容は全く分からない。むしろ内容なんて関係ない、そういうのりなのかもしれない。
そんな遣り取りをしている内にもう何人か駅のホームに下りてくる。
元ラガーマンだと言われたら信じてしまいそうなほど体の大きなサラリーマン風の中年男と、英国紳士も驚くのではと言うほどの紳士オーラがむしろ怪しい初老の男。
「あら、山猫ちゃんじゃない?元気そうね」
そう言って女の子に声をかけた女性は、女を磨いてきたことに関しては自身のある利香子でさえ感嘆するほどの色気を帯びた女性だった。若く見えるがアラフォーぐらいだろうか、年を取るならこう取りたいと一瞬にして憧れるほどの女性だった。
「シキミちゃんじゃん、元気だよ」
「あんたね、目上相手に調子こいてんじゃないわよ」
(あ、さっきそれ思ったわ)
やはり誰が聞いても同じ事を感じるらしい、自分が言えば嫌な人間だと感じられてしまいそうな言葉でも、彼女が言うと嫌味に聞こえないのが不思議だった。
それにしても、と利香子はホームを見渡した。
(やっぱり終電なんで嘘じゃない)
今やホームには十人近い人数が集まっていた。
「しかしこの便ももう少し増やしてくれたらいいんですがねぇ」
そう言ったのは後から来た、やはりサラリーマン風の男だった。こちらはどことなくねずみ男を彷彿させる。
それに答えたのは山猫の後に来た犬神で、
「これでも増えた方ですよ、以前は臨時で月一あるかないかでしたから」
「そうですな、週一でしかも定期的に来てくれるのですから、贅沢を言ってはいけませんな」
犬神の言葉にねずみ男がしきりに頷いている。
それを聞いて、
(あの駅員新人だったのね)
だから週一しか無い便を忘れていたのだ、利香子はそう納得した。
昔からの知り合いが多いのか歓談する者も多いが、利香子のように一人でいる者もいて利香子はどことなくホッとした。
皆同郷の皆知り合いの中に一人というのはさすがに気まずい。
週一の電車というから利香子の降りる駅に停車するか一瞬不安になったが、狐のような風貌という言葉がこれほど似合う人もいないだろう、そう思えるほど狐顔の男が利香子の降りる駅の隣の駅で降りるようなので安心して電車を待つことが出来た。
そうしている間に電車がホームに入って来る。
何の放送も曲も無いなんて珍しいと思いながら、一昔前のデザインの電車がホームに止まるのを他の乗客同様並んで待った。
電車に乗ると前の駅からの客が既に数人、向い合わせの席に座っていた。
一人は一時流行ったガン黒メークの女子高生と、黒ずくめの男性が一人。あまり凝視するのも失礼なのでしっかりは見ていなかったが、顔までまっ黒顔で少し不気味な感じがする。まるで影が座っているようだった。
どこか落ち着かず、疲れているのに座る気になれなかった。いつの間にか酔いが覚めたせいか、背中に寒気を感じる。
「あー、やっと解放されたよー」
先程の少女の声に利香子は思わず振り向いた。異様に落ち着かず心細い気がして、あの気さくな子を求めたのかもしれない。
そうして振り返った先で見たモノに、利香子は青ざめ息を呑んだ。
「耳と尻尾隠しとくの窮屈なんだよね、ねおっちゃん」
そう述べる少女の頭にはピンと三角の耳が生え、尾てい骨の部分からは細く長くしなやかな尻尾が二本生えている。
おっちゃんと呼ばれた犬神を見ると、それはすでに人間の容貌をしていない。昔の映画にあった狼男そのものの風貌だった。
ラガーマンのようだと思っていた男の体は更に筋骨が盛り上がり肌は酒気を浴びたかのように赤味を帯びていた。そして四角い顔の額からは三本の太い角が生え、ロからは牙が突き出ていた。
(逃、ないと……)
幸い停車時間が長くドアはまだ開いている。
「あれ、お姉さんどうしたの?顔青いよ」
猫耳の少女が心配そうに近奇って来るのから逃げるように利香子は踵を返して出囗に向かった。
その時「発車します、閉まるドアにご注意下さい」普通の電車でよく聞くアナウンスが流れた。
出てしまえば追いかけてまでは来ないはず。
「お姉さん危ないっ、ドアに挟まれちゃうよ」
慌てて止めようとする少女を振り切って、利香子は閉まろうとするドアに体を滑り込ませた。
「だから危ないって言ったのに、どうするのコレ?私人間の肉食べた事無いんだよね、食べちゃってもいい?」
猫耳の少女がドアの前に立ち足下を見る。
「止めとけ止めとけ、最近の人間の肉は不味いって言うからな」
「鬼のおっちゃんも食べない?」
犬神に言われて山猫は三本角の赤鬼を見上げた。
「あ?食わねぇな。もう二十年以上食ってねぇし、今の人間は食いたいとも思わんよ」
何せ人間自体がいい物を食べていない。
防腐剤に添加剤、合成甘味料やら着色料。自然派と自称する人間でさえ、これらと無緑ではいられない時代だ。
「伯爵は?血とか吸うんでしょ」
今度は老紳士に話しを向けると、
「吸血鬼は好みが激しいからな」
どうよ、おっさんと、伯爵と呼ばれた紳士が答える前にそう言ったのは、一見人間と変わらない装をしているが気を抜くと首がポッキリといってしまう幽霊族の男、有り体に言えばただの幽霊だ。
「私の年になるとそこまで気にはしないよ、処女にこだわる輩もおるが、私はそんなこだわりもとうに無い」
と言う割に伯爵はソレに近付こうとはしなかった。
「だがコレは駄目だ、多量の酒もそうだが煙草臭くてかなわない、それにいくら貞操にこだわらぬといえど、ここまで真新しく男の臭いをさせていては眷族の者とて見向きもせんさ」
今にも鼻が曲がりそうだと言わんばかりに顔をしかめて伯爵は少し離れた席に座った。
「どうするの、コレ」
山猫が何度目かになる問いを囗にして、足元の血溜まりの中に横たわる利香子を指した。
慌てて電車から降りようとした利香子は、閉まるドアに首と右腕を挟まれそこから先を切り落とされてしまっていた。車内に残ったのは首から下の胴体と右肘より上の右腕とその他の四肢だった。無論頭部を失ったのだから生きてはいない。
「ほっとけば係員が片付けるんじゃないか」
とは幽霊の青年で、さすがに死体と同乗は御免被るという意見が多かったため、次の駅で降ろしてしまおうという結論に至った。
ようするに死体遺棄なのだが、ここに乗っているのは人間社会に混じって生活しているとは言え俗に『妖怪』と呼ばれる者達であり、その辺りの感覚が微妙にずれている。
死体の処置に一通り片が付いてから、山猫がそう言えばと犬神を見る。
「いくら妖怪電車って言ってもさ、切れちゃうものなの?」
人間社会の極普通の電車なら閉まりかけても開いてくれる、そのため駆け込み乗車が無くならないのだが、だからと言って切ってしまうのも如何なものかと山猫は思ってしまう。
「別に刃物が付いてて切れる訳じゃないぞ」
つまり意図的に切れる仕様になっている訳ではないと言う。
「この電車は走っている時は物の怪道を通っているんだ」
物の怪道というのは妖怪達の道であり、人間側の空間とは違う空間に存在している。
「それで、ドアが開いている時だけ空間が繋がっている訳だ。そのドアが閉まれば空間が途切れる、途辺れた空間の間にある物は、あっちとこっちで強制的に分かれてしまうんだ」
どんな物でも切れてしまうから気を付けろよと、犬神は山猫に念を押した。
山猫は少しひきつらせた顔で、
「うん、駆け込み乗車とか、もう絶対にしないよ」
真剣に頷いた。
さて、人間側では翌朝一つの駅で女性の切断された頭部と右腕、県をまたいで違う路線の駅でやはり頭部と右腕の無い女性の遺体が発見されて世見を騒がせるのだが、再び人間社界に混った、かの車輌に乗り合わせた妖怪達は、ある者はその出来事自体を忘れ、ある者は「まずかったかなぁ」と少しだけ反省しながら、誰も彼も素知らぬ顔でいつも通りの生活を続けていたのだった。
《了》
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