雨傘

葱間

雨傘

『雨傘』


傘をさそうと思ったのは、勿論天気が雨模様だったからだ。

さぁて、雨だ。傘をさそう。傘をさそう。

意気揚々と、自転車の横っちょに刺された傘を引きずり出す。見事に骨が変な方向へと折れ曲がった傘が私の手に残った。

何だってこの傘は肝心な時に折れているんだ。愚痴をこぼすも、心当たりがあったため、すぐに飲み込んだ。

きっと今朝の、自転車で大クラッシュを起こしたときに違いない。あの、ギアが外れてすっころんだ時の衝撃で、傘の骨もめためたに折れちまったんだ。そうに違いない。それなら仕方がない。私の過失、自業自得の沙汰だからな。

無理矢理納得して傘を戻す。よし、と意気込んだところで、雨をしのぐ術がないことに気づいた。しかし、だからといってどうすることも出来ないのだから、諦めて雨に濡れるしかなかった。

まぁ、多少濡れようが構わないだろう。傘は折れちまってるんだし。そういや、この傘は新品だったか。一回も使わずに折るだなんてこれは母さんが黙ってないな。やばい、帰りたくなくなってきた。

暗澹たる気分で自転車の鍵を外し、濡れたサドルにまたがって、気持ち悪さに顔をしかめながら駐輪場を飛びだした。

ご丁寧に雨足は強まり、今では豪雨である。先ほどまでは、しとしと、という言葉が似合うくらいの強さだったのに。まったく、親切な空である。

五分も経たずに、かけた眼鏡が水滴で濡れ前が見えなくなっていく。指でくしくしとワイパーのように拭ったが、視界は少しマシになったくらいであった。

ああ煩わしい、いっそ眼鏡など外してしまおう。そう思い信号で止まる。鞄の中身を極力濡らさぬように気を付けながら、眼鏡入れをとりだし、その中に眼鏡をいれた。鞄へ戻し、これでよしと顔をあげれば、大して変わらぬ歪んだ景色。このときばかりは自分の視力の弱さが嫌になった。

まぁ、気にするな、所詮通りなれた道だ。自分に言い聞かせ、自転車を漕ぎはじめた。

田んぼの中を突き抜けるような道を進む。これで国道なのだから驚きだ。やたらに開けた道は、遮るものなど何もなく、雨を前に防御なしで突き進むハメになる。おかげで、服は下着まで濡れてしまった。これでは防水加工の鞄も危ないかもしれん。

早いところ帰ろう。そう決めて、漕ぐ足の力を強くした。

びゅーん。びゅーん。

かなりの速度で車道と歩道の間を駆け抜ける。が、クラクションは鳴らされるわ、水溜まりに突っ込むわでいいことがない。おとなしく歩道に逃げ込んだ。

そのときである。

田んぼのあぜの中ほど辺りに、誰かが立っているのが見えた。見えるところまで近づいてみると、高校生くらいの少女らしい。雨に濡れて、浅葱色の下着が……げふん。

少女は傘もさしていないかった。奇特な奴である。自分のことは棚上げだった。

ただ、雨に降られる少女の姿はどこかハマっていて、気づけば、ぽぅっと見とれてしまっていた。

そのまま見つめていると、少女がこちらに気づく。しまった、これでは、無関係のまま終わらせられないではないか。自分の下心を呪うばかりである。

さてどうしようか。このまま立ち去ろうとも、別に少女とは一期一会、これから会う機会もないだろうし、誰に責められる罪咎もなかろう。ただ、それでは、少女を見捨てていったという自責が私の中に残る。それは少しいただけなかった。

では、傘でも貸すか? 骨は折れた傘を?いやいや、こいつは骨が折れても立派に傘である。こんな傘も使い道はあるはずであろう。私はささないが、彼女はさすやもしれん。使われるのなら、この傘のためにもなろう。

では、貸そう。決めて、自転車を降り、傘を手に少女に声をかけた。

「おうい、そんなところで何をしている。傘がないのなら、私の傘を使うか? 」

少女は不思議そうな顔をして、私を見た。まるで変人でも見るかのようだ。失礼な奴だと私は思った。

「傘は、あなたがさせばいいのでは? なぜ自分でささないのですか? 」

少女の声は凛とした張りがあって、こんな豪雨の中でもよく響いた。

私は当然のことを問われ、答えに困窮したが、まぁ、正直にありのままを話すのが一番だろうと、その通りにした。

「この傘は骨が折れている。だから私はさすつもりがなかったのだ。折れた傘をさしては恰好がつかん。男は少し濡れようが構わんからな。しかし、御前は女性だ。体を冷やすのはよくない。だから、こんなオンボロでも良いのなら、この傘を使ってやって欲しいと思った次第だ」

そういいながら近づくと、少女は面白いものを見つけた妖女のような表情をしていた。何処か含みを持った笑顔である。ニマニマとして、どこか人を小馬鹿にしたような表情だが、どこか彼女にハマっていて、不思議と嫌にならなかった。

「面白いことをいう人ですね。見ず知らずの人を心配してくれているんですか?」

「心外だ。別段御前を心配してのことではない。ただ、そこに御前が居て、ここに折れた傘があっただけだ。持ち帰れば、母にどやされる故、どうせなら誰かにくれてやったという建前を作りたかっただけのこと。変に勘ぐるな」

早口にまくし立てると、少女は、分かっているとでもいう風に頷いた。そして、私の手から傘を受け取ると、パッと開いて見せる。藤色の傘が開き、バラバラバタバタと音を立てて雨を弾く。少女はくるりと傘を回した。

「仕方がないですね。この傘はワタシがもらってあげましょう。その方がこの子のためでしょうし。ありがたく思ってくださいね?」

この小生意気な娘の減らず口は、どうにかならないのか。そう思いながらも、どこか憎めず、私はフッと笑うのみ。あとは言葉もいらないだろうと、少女に背を向け、歩道の端っこの柵に立て掛けられた自転車のところまで歩いた。

すっかり濡れてしまったサドルに顔をしかめながらまたがると、少女を一瞥。こちらをじぃっと見つめる少女に手を振って、私はまた、自転車を漕ぎ出した。

ちくしょう。あの少女の名ぐらいは聞いておけばよかった。

あとになって、私の下心が顔を覗かせるのだった。



……白樺 葵。それが少女の名だったらしい。

それは新聞の隅っこに小さく載っていた。

『少女、傘で撲殺』

そんな言葉で括られたそれは、確かにあの少女の悲劇を綴っていた。


ザザザ、という音は、一晩超えて降り続く雨の音か、頭の中のノイズか、はたまた霊障か。

到底検討はつかなかった。

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雨傘 葱間 @n4o

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