第16話 彼は愚者


「……」


―数回、咳き込んで。

また静かになる。


そして、苦しそうに

異物を吐く様な仕草を見せたかと思えば

また静かになる。


その繰り返しが、暫し続いた―少し距離を置く一人の男の苦しみに

耳を傾ける事しか出来ず、そのままどれだけの時間が経過したのか。


尖閣からの提案が遂行され、ゲームと称した享楽の始まりを機に

苦しみ悶える彼―冴木と共に、会談の同伴を求めた信近は解放され

半ば強制的に車へと乗せられ、特にスタート地点を決めてはいないのだろう

適当な所で降ろされた。


終始、人ならざる領域の会談を黙視していた彼とて

動じなかった訳がない。

確かに尖閣の手が伸びて、捕えた暁には

開戦の決議を強制的に促すであろうと言う予測はしていた。


その先に、用無しと

殺されるかもしれないと言う所まで―考えて。

信近も流石に自分だけが生き延びたという事実を幸運とは受け止めきれず

神室とは、見せかけの価値観だけで生きているのだなと痛感していた。


だが、話の展開からして

開戦の引き金になった「尖閣が保有する絶対的な勝利の切り札」が

既に存在し

また彼の傍らにはその戦力を助長した、これまた人知を超えた「化け物」が

戦争と言う重き歴史の激動にすら無知で


冴木という存在に傾けられた愛情かどうか―個人的な感情論で

あの「ファースト」と言う存在は、ニチモトの決定的な勝利を裏付け―……


―裏付けた、手助けをしたまで。


そこまでニチモトが勝てると豪語するなら、例50年前の妄想と大して変わらずとも

戦争をすれば良い。

信近とてそこまで神室の血に、忠実ではなかった。


むしろ、何故自分のような存在が

神室に産まれて来たのか―問いたいと、彼は思った。

そんな薄っぺらい血筋の縁からわざわざ遠のき、暫し家を離れていた事で

一家惨殺という惨事から「幸運」にも逃れられた。


しかし彼は思う。

ここまで面倒な事になる位なら、少々の痛みも覚悟して

その場で死すべきであったか―

神室という利用される血筋こそ、ニチモトを未だに洗脳させていると言うのに。


しかし、戦争をすれば良いという

僅かながらに思った個人的な感情と、現状が徐々に逸脱し

戦争を始めるかどうかの「ゲーム」をあろう事か、その先駆者である尖閣自らが提示した。


―冴木と、信近を護衛していた組織。

彼はその組織全てと面会した訳ではないが、ある事は知っている。

ともかくその組織と冴木が協力し、信近を「刺客」から護衛する。


期間は―三か月。

特に三か月と決めたのも、理由は無いのだろう。

恐らく尖閣はそれ位でゲームに興ざめし、本気を出すに違いない。


尖閣は―確実に、ゲームに勝てる自信がある。

しかし負ける可能性も抱いてないとは限らない。

ゲームなど、プレイする側の力量もあれど―運も左右するのだから。


それに、ある意味―尖閣自身もそのゲームに参加するという事は

規模は小さくとも「戦争」に興じる歓喜に似たようなもので満ち溢れているはず。

尖閣が放った駒から―冴木も、反戦争組織も信近を護れるのか。


―しかし、信近は

少し離れた先に横たわる、冴木の姿に同情した。


どんな事情があって、あのファーストと言う存在と出会い

人ならざる命を授かったか。

それでもむしろ人としての生き方に準じ、凛の発言に激昂して

あくまでも終始「人」を演じ続けてきただろうに


ファーストの、あまりにも残酷な行為で

信近は彼の「覚醒」を目の当たりにした。


―『化け物』―


腹を抉られ、人ならば即死に近い傷口から

ファーストは彼を覚醒へと追い込むように、血を啜っていた。

痛みも叫びも口にしながら、彼が目覚めていくのを

信近は固唾を飲んで見る事しか出来なかった。


『渇く……』


信近が聞いた、冴木の言葉。

失血し、惨たらしい傷に瀕して、それでもまだ息がある彼が望むのは―「血」


そんな彼の覚醒を認めたファーストは、満足そうに

赤く染まった表情を微笑ませていた。


―『彼……酷く、渇いているよ。さて……君はどうする?』



―それから、化け物へと再び促された冴木と共に

信近はひとまずこの場で身を潜めていた。


尖閣の刺客がどうこうというより、今ここに

血を欲する化け物に目覚めた彼が、信近をどうするか―

彼はそれも考えていた。


理性はあるか。

人の欠片は残っているか。

それとも全て喪失した狂気が、此処に居る我が身を血の餌食とするか。


「げ……ほっ!」


横たわる冴木の咳き込む声。

人としての己と、化け物としての己をせめぎ合わせているのか。

確かに化け物として目覚めていようが、まだ信近を彼は襲わない。


―酷く、哀れな。彼―


「……」


信近は意を決し、横たわる彼に近寄った。

そこに不思議と恐怖感は無く、ただ―傍らに寄り添う。

その視線の降下を感じた冴木は、人という意識で押し殺そうとする

血液への欲望と戦っている―そんな目をしていた。


「殺され……たい、のか」

「……」

「渇いているんだ……俺は」


それでも信近は怯む事なく、呼吸が触れ合う程に

冴木の眼前まで顔を近づけた。


「っァ……ぐ……」

「僕は、君に護られる立場なのだろう?」


信近の首筋に喰らいつこうものなら

それはもはや容易な距離感。

それでも冴木は己の欲望を押し殺し、目の前にある肉塊と血への

渇望に支配されまいとしていた。


「―だったら、それなりの対価を僕には払う義務がある」


―その、彼に。

信近は


―唇を重ねた。


「……ンっ……」

「はっ……っんッ……」


プチリ、と

何かを噛みちぎる、僅かな音が聞こえる。


「……アァ、あ……ふ……」


信近が―口内の一部を、噛んだのだ。

繋がりあう口の中で、信近の血液が冴木に流し込まれる。

身体が求めていた赤い血の味に、冴木は身を反り

先程まで恐怖さえ感じた例えようのない表情が、恍惚に染まる。


信近も、それは同じ。

自分の血を間接的に流し込む―そんな奇異に

不思議と冴木の美しさへと引き込まれていた。


―ジュ、ル……クチュ……


口を噛んだだけでは、さほど流血などしない。

流し込んだ血も、ほんの僅か。

舌を噛み千切れば、満足しようが―信近に出来る事と言えば

それ位だった。

それでも冴木は信近の口内に舌を忍ばせ、唾液に混じる

欲望を全て飲み干そうとしていた。


「んっ……ふ……っん……」


逆に、そのしなやかで美しい姿に

ファーストが冴木に執着する気持ちを、信近は理解した。


そして―ふと、芽生える感情に

今は一先ず蓋をして。

彼は少しだけでも満たされたのか、自ら唇を離し

ゆっくりと半身を起こした。


「……度胸だけは、据わってるんだな」

「さあ……そこまでは、自覚が無かった」

「死ぬ事のない―血を欲する「吸血鬼」と俺を知り、それでもこの距離か?」


満たされたとはいえ、まだ充足はしていないのだろう。

それでも理性を保つだけの余裕が表情に浮かんでいた。

気づけば信近は彼に上乗りになって、冴木を組み敷く体勢を取って

お互いの承諾があれば―な、状況だった。


「降りろ……俺の理性なんて、今の時点で信頼するな」

「そうさせてもらうよ」


そう言って信近は彼から離れ、適切な距離に戻った。

冴木もぎこちない体勢から、胡坐をかく様に座り

今この場における二人の現状を、やや疲弊しながら語った。


「お前を三か月間、尖閣の刺客から護る―事は、一先ず置いておこう」

「あれ?承諾してくれたと思ったのに」

「尖閣からの提言にやすやすと乗れるか。それでなくともファーストに……ファック」


冴木は反吐を吐き捨てる様な仕草で、ゲームを強いた二人を呪った。

信近にとって彼の発言は、自分の保身を立証してくれる事にまだ少し距離がある。

そもそも自分の本意ではない流れに身を任せたその先に、冴木の存在が

尖閣の耳に入り、あのような惨事が起きて―結果的に戦争を賭けたゲームに

興じてもらおうと押し付けられる。


冴木とて「そうですね。そうしましょう」とまでは言っていない。

それでも彼の苦悶が少しばかり癒えた事が、信近にとって

今は抑え込むべき感情を彷彿とさせていた。


「……刺客がいつ来るかなんて聞いちゃいないし、一先ず飯にしないか?」

「ああそれなら賛成だ。僕も暫く何も食べてない」

「金はあるか?俺に期待するなよ」

「幾らかの手持ちはある。かと言って豪食でも困るけどね」


―そうして、信近は先に立ち上がり

冴木の手を取った。


その手は、彼が思うより遥かに―


「……」




―遥かに、冷たく。愛おしく―

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