第15話 死は人を本能的にさせる

―ドウゥルルルル……


「……」


彼女は焦っていた。

冷静沈着を装いつつも、内心酷く焦っている。


蒸気車を多少乱暴に運転し、蒸気にまみれたこの街の視界で車をかわす事なんざ

日常茶飯事だと達観する市民ですら

彼女の運転にはいささか、巻き込まれそうになる危機を感じた。


当たろうものなら、轢き殺す。

最低限のクラクションは鳴らそうとも

避けきれなかった人が悪い。とばかりに

暴走じみた運転を続ける彼女の隣、助手席には

幾分か彼女よりも冷静な面持ちの来栖が座っていた。


「凛、一般市民を跳ね殺すなよ。面倒だから」

「煩いわ……それどころじゃないでしょう」


―彼女が酷く焦る理由。それは数刻前の出来事が関係している。


一度は尖閣の手に捕えられた彼女は、自力で

その場所から一先ず脱走した。

彼女とてこうも簡単に逃げ延びる事が出来るとは、100%思っていなかったが

完璧な事柄など誰が立証するのか。何処かに綻びはあるはずなのだと

信じた彼女に軍配が上がり、信近を同伴させられなかった事は不本意であれど

自由を一先ず手にする事が出来た。


そして来栖と合流し、他のメンバーと共に情報収集にあたり

再び信近を奪還する手筈を思案していた所だった。


―彼女が脱出出来る位だ、尖閣側の組織が

完璧に整われているとは思わない。

彼女が単身で逃げられる位だ、見せかけの巨壁のどこかに

亀裂でも入っていたのだろう。

それでも尖閣の存在は、彼女にとって軽んじられるべき存在ではない。


老いた彼一人でも、国が如何様にも動かせよう。

彼はそういう男だ。


―それを、彼女は。

重々承知している。


「……ゲームですって。どこまで彼は奇知なのかしら」


信近の奪還に、どう乗り込むべきか。

はたまた彼が何処に居るのか。

相手方も知っているであろう彼女側のスパイから得た情報を元に

あらゆる試行錯誤の末、多少の決死を覚悟して

作戦を決行しようとしていた―


その時だった。




―……


「……」


ホルダーに数丁、拳銃を忍ばせて。

幾つかの小道具の調整を進めていた、凛は

何が何でも信近が「過ち」を決断する前に自分の元へ

取り戻す大義名分を揺るがさず


多少の血が流れようと、もしくは自分が死そうとも

または仲間である来栖が死ぬかもしれないと覚悟してでも

敵地へ乗り込む決意を決め込んでいた。


「……それだけ?来栖」

「数が多けりゃ良いってもんじゃない。限られた切り札でどう生き延びて任務を果たせるか―と言ったところさ」


確かに凛が所持している武器の数より、来栖が持っている武器の数は少ない。

拳銃一つと二つのバレット。

凛からすればたったそれだけで、相手の陣に乗り込もうとする来栖に

死する事の覚悟よりも、相手の脅威に自分の限られた幸運が消化されるまで

生き延びられるか―試している。


彼女は、そう思った。



「……っ、ぁ……」

「……」


呆れてものが言えぬと、彼から背いた凛の背後から

手を回し、胸を探る来栖の愛撫が唐突に始まった。

彼女のシャツのボタンを一つ外し、衣の隙間から手を伸ばして

若さに引き締まる乳房を揉む。


その不規則で、適度な愛撫に

彼女は身体をしならせる。

色香は尽きぬとばかりに、恍惚とする彼女の表情に

来栖との関係は立証されたも同然。


「来栖っ……んっ、あ」

「最近抱いてないな」

「はぁっ……ん、あ……っ、ん」


幾ら凛々しきプライドと、信近を護衛するだけの

力量を兼ね添えた―

まるでジャンヌダルクの様な彼女も、また「一人の女」として

彼とのセックスの間は、可憐に咲く薔薇の様。


首筋に何度もキスを重ね、痕を付けては

彼女の承諾をせがむ。

今がそういう状況でもないと分かっていても、彼女も彼も

人間が持つ本来の欲望に―後もう少しで火が付きそうだった。


―死ぬかもしれない、境地こそ。

偽ってきた人間の本性が見える。


「抱きたい……凛」

「来栖……っ」


そうして来栖は彼女の蕾に触れようとした―



―バタン!



「!?」


突然、彼女達のアジトの扉が開いた。

それも半ば強引に。

予想外の来訪者に、来栖も凛も身を引き

タイミングを同じくして、中に倒れこんできた一人の男に拳銃を向けた。


「……何事?」


情事が始まろうとしていたこのアジトの地点など

幾ら情報の交差が激しいこの国とは言え

そう簡単に露呈するものではない。


しかし何一つ、来訪の承諾を得ないまま

転がり込んできた男を

凛も来栖も一先ず信頼はしない。

もし仲間であれば―ここに来るまでの過程をそれなりに踏むはず。


だが、倒れこんだ男の身体から

血だまりが徐々に広がり

咳き込み掠れる僅かな声から、彼女は彼がこのアジトの同胞であり

尖閣の元に忍ばせていたスパイの一人だと察した。


「何が……あったの」

「退け、凛」


女としての開花が、目の前の惨事に怯み

開くはずだった花弁がまた蕾に還る。

そして「凛」として気丈を心得た彼女を退け

来栖は恐らく瀕死の状態であろう、うつ伏せになった男の上半身を片手だけで引き寄せた。


「バレたか?こちらの動きが」

「ぜ……全ぶ、ばれ……ていた」


男は尖閣側に乗り込み、情報を収集していたスパイの一人。

しかし彼の発言によって、彼以外のスパイの存在は既に尖閣にとって

周知であった事を知る。

だとしたら信近を奪還すべく、随時収集していた情報すら

今になってガラクタ同前という事も、二人は理解した。


もし、来栖があの時。

凛に対して欲情する間が無ければ―


「ガハッ!せ……せぇん、かくは……仲間、全員を……」

「殺しただろうな。お前の様子を見る限り」


だとしたら、来栖に持ち上げられたこの男は

僅かばかりの幸運を得たのか。

確実に「助けられない位の傷」を負っていたとしても、アジトに帰ってくる事が出来た。



―アジトに、帰ってくる事が出来た?


彼女はそう思った。

男が言うように尖閣の手によってスパイ仲間が全て殺されたのなら

彼が傷を負って逃げる余韻など与えるだろうか。


そうして、暫く考え―

一つの結論に導いていく。


―わざと彼に僅かばかりの命の時間を与え、アジトに戻る様を

尖閣の手の者が追従していたとしたら?


「こいつを撒き餌にしてたんなら……アジトがバレたか?」

「可能性は否でもないわ」


凛は開いたままの扉を閉め、背ごしに

拳銃を構え、気配を探った。


しかし彼女が幾ら神経を研ぎ澄ませ、耳をそばだてても

何者かがアジトの付近に居る、という確信は得られない。

かと言ってアジトの保障は、この場で脆く崩れ去った。


男がアジトに帰りたい。と思う気持ちに否定を口にする訳ではない。

息が続く限り仲間に助けられたいという感情があっても、可笑しい事ではない。

かと言って死の淵に彷徨う彼は、アジトの価値を喪失させただろう。

もし尖閣の手が彼を撒き餌にして、アジトの存在を探ろうとする意図が無かったとしても

此処が国から隠れた、一つの組織の拠点としての意味はもう無い。


「……悪いが、その傷じゃあ救えねぇ」

「……は、がっ……」

「お前達を周知していた尖閣から、ラブコールでもあれば……聞くが?」


来栖は彼一人が、アジトに戻る自由を許された「理由」が

あるのだろうと察した。

彼も思っている。スパイの存在を尖閣が全て知りつつ、今までその動きを黙認し

今この時をもって皆殺しにしたとしたら

男の瀕死な闊歩を許す理由が、あるはずだと―


「げ……ー、む……」

「は?」

「尖閣……は、信ち、か様……と、もう、ひとりを……解放し、た」



―その言葉に、凛と来栖の神経に電流が走った気がした。


最初の言葉の意味こそ、理解するにまだ過程を聞かなければいけないが

二言目に聞いた「信近ともう一人」の解放を知り

尖閣が何かを企んでいる事を察した。


「解放……どこに!?信近様と……冴木ね!?」

「落ち着け、凛。おい、その二人は何処に居る」


只ならぬ状況に焦りの色を浮かべた凛を制止し、冷静に状況を把握しようとする来栖は

男が知っている情報を全て吐き出すまで死なせまいと、先程の乱暴な手つきを

少しばかり緩めた。


「ふた……り、を。探せぇ……と、で、なくば」

「……」

「今の……ふた、りじゃ……すぐ、殺され……」


―探せ、と。命じたのは

恐らく尖閣の意図と、凛は察した。

探せと強要するという事は、わざわざ瀕死の状態で自由を許し

彼だけをアジトに帰還させ

彼の口から「冴木と信近の行方」を探してみろと伝える目的があったから。


それが分かったとしても、このアジトの

安全性が再確保されたとは言い難いが。


かと言って、凛は知っている。

一度は射殺されても、まだ牢獄の中で生きていた

あの冴木の存在が信近の隣にあったとしたら。

冴木個人の実力はまだ未知数とは言え、切迫した状況と言えるかどうか。

もし冴木がまだ拒否権を執行し、信近を見捨てて自分だけ

何処かに消えたのならば、それは確実な危機的状況と言える。


しかし、今この場で聞いた情報を噛み砕けば

「冴木と信近」はひとまず釈放され、何処かで生きている。


そして―このままでは、二人共―


『殺される』



「……もう少し頑張って貰おうか。さっき言ってたゲームって何だ?」

「……せ、んか……」

「……」

「……」


来栖は、落胆した。

彼の目の前で男は絶命したからだ。

しかしこれだけの傷を負い、ここまで辿り着いて

まだ真意が見えない尖閣の策略を知っただけでも、凛や来栖にとって

実りはあったという事。


それに、一先ずあの二人を解放したという事は。

信近の意思が善良に傾いていたのか、それとも尖閣の享楽的な余裕か

ナカグニとの開戦までに暫し猶予を得た事になる。


「何処に二人が居るか……までは、しらねーみたいだったな」

「教えられてないのでは?」

「それとゲーム……まあ尖閣の趣向なんて興味ないが、あの爺が恐らく俺達に提示したゲームの実態を知るには……」


―何処かに居る、信近と冴木を

何のヒントも得られないまま、探し出す事がまず先決。


そして、早く見つけ出さなければ

そこが「ゲームとしての真骨頂」なのだろう。


『早くしなければ、殺される』




そうして、凛と来栖は

つぎはぎだらけのキーワードだけを手に

車を走らせ、信近と冴木の行方を捜していた。


「……」


凛は、ふと考えていた。

幾ら御剣野宮家の全員を惨殺した黒幕が「恐らく」

尖閣とは言え

彼女と来栖の前で絶命したあの男の惨たらしさや、まだ実態の分からない

ゲームに興じる程の「不安定さ」も、老いた尖閣一人が決断した事なのだろうか。


確かに彼女は、尖閣の事を

そう良心的な存在とはみなしてない。

むしろ侮蔑の領域。殺す事もいとわない。

かと言って今まで聞いた現状を幾ら噛み砕いても、その先に在る影が

尖閣一人の沙汰のみとは思えない。


思えない、理由が

凛にはあった。

が、それは何があっても―口にはしない。


今、彼女が成すべき事は。

冴木と信近を探し出す事。

しかもどれだけのタイムリミットがあるのかも分からないまま

殺される前に探し出す。


最後まで聞けなかった「ゲーム」とは

一体何なのか。

恐らく何処かで息を潜めている、二人が知っているはず。


「……俺は、これこそが。奴と決する「もう一つの戦争」だと思っている」

「……」

「……ゲームと称した、尖閣からの挑戦状……か」


―車は、走る。

二人の行方を捜しながら。


見つけた時は、死か生か。

いずれにしてもニチモトは狂想の元で、狂い出しているのだろう―


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