第14話 紅い覚醒


真っ白な死を迎える、一歩手前で。

俺は一つの足音を耳にした。


仲間だろうか、敵だろうか。

いずれにしても冷え切って、手の施しようがないこの身が

救われる可能性はどの道ないはず。


数弾、撃ち込まれた身体から

溢れる血は止まる事無く

瞳も意識も霞む程に、失血しているのだと


そっと、首を傾け

足音が聞こえる方角に、役割も満足に果たせぬ

視力のまま来訪者を見た。


「……」


―やはり、分からない。

認識しようとする力も無ければ、死の一歩手前に瀕した

俺の目はもう使い物にならない位に衰えている。

そんな俺の醜態を、仲間なら同情するか

敵ならば、嘲笑うか。


いや、仲間だからと言って同情するとは限らない。

現に俺は撤退する仲間に見捨てられ、此処で息果てようとしていたのだから。

我が先にと逃亡する仲間は、ついさっきまで共に国の為に戦おうとした勇敢さと信頼で結ばれていたと信じてたのに

足を痛め、歩を遅くした俺を誰も振り返る事無く―


気づけば誰も、誰も―

仲間と呼べる人は誰も居らず

敵の銃弾を容赦なく浴びた末、このざまだ。


死ぬ事は覚悟していた。

赤紙を貰った時に、国の為に戦いましょうと

「あの時」はニチモトの狂想にとり憑かれ

気づけば貧相な武器を持たされ、幾度となく戦場で命を賭けた。


ニチモトの劣勢を知りつつも

完全に敗北するまで、勝つと言うほんの僅かの可能性に

どんな凄惨な状況下でも武器を手に戦う事を余儀なくされた。


それでも、仲間の存在があってこそ。


生きて帰るその時こそ、ニチモトの勝利だと

笑みを浮かべ、火を囲み

マグカップに注がれた僅かなアルコールを共に飲む。


そんな日々が―嘘のように

死を目前とした仲間は俺を見捨てた。


生きたいのだろう。

死ぬのが怖いのだろう。

そりゃそうさ、俺だって怖い。

だけど仲間が居る限り、どんなにニチモトの不利を知りつつも

勝利を疑う事をしなかった。


だけど、一人になって

死の淵に立たされて

初めて知る、人の愚かさを。


「勝てっこなかった」


本当は誰もが知ってたのかもしれない。

この戦に、ニチモトが勝てる保証なんてない事を。

それでも寄り添って励ましあって、きっと勝てるという

脈略のない妄想だけしか見てなかった。


そして、初めて死ぬかもしれないという現実を目の当たりにして

俺の場合「こんな馬鹿馬鹿しい最期なのか」と知った。


吐き捨てるように、軍歌を口にして

聞こえますか?と空に歌う。

そうでもしなければ、ますます惨めだ。


赤紙を手にして武器を取り、最後まで神室の御膝元で

戦って死ぬ勇敢さを演じたその裏では―


誰もが、死の寸前で

各々の感情に素直になる。


―聞こえますか、ニチモトよ。

俺の軍歌が聞こえますか?

どうか聞こえるならば、どうか。どうか―


「……死にたく、ない」


足音の先に、誰が居ようと

死の寸前を迎えた俺は、最後の力を振り絞って

その先に血で赤く染まった手を伸ばした。


掴んでくれるか、蹴られるか。

もしくは嘲笑が降り注ぐか、謝罪が聞こえるか。

いずれにしても真っ白な死が、すぐ其処に在る―




「……可哀そうに。寒いだろう」


伸ばした手が、何かに触れた。

重力に抗う程の握力も失い、地面に落ちようとした俺の手が

確かに誰かの手に支えられた。


―とても、冷たい。

人が持つ温度の欠片も感じない。


ただ、言葉は暖かい。

もしかしたら天の使いか。

人とは思えぬ幻想をその手に感じて、瞳を閉じる。


軍歌を口ずさみ、死への恐怖を鈍らせながら

ようやくこの苦しみが終わるのだと知って、俺は―


笑った、様な気がする。



「君はとても美しい。死なせは―しない」



―……淵の向こう側に、落ちる意識が

はっきりと聞こえなかった「誰か」の慈悲によって


―ガシュッ


『淵の闇へは、まだ遠い』と

魂が引き寄せられるようで―


……ブシュッ、グチャ……ジュル、ッ


気づけば肉を噛み潰すような、酷な音と共に

首筋に広がる一瞬の痛み。

しかしそれはほんの刹那―次第に歓喜に近い快楽が

脳の全てを麻痺させるように、俺の心が狂乱し―弾けた。


「あ……ぐ、あぁ……」


全身が、痛かった。苦しかった。

なのに今は苦しいどころか、とても―気持ちが良い。

誰かを抱くなら誰でもいい、別に犯されるのも構わない。

あらゆる快楽が思考を支配し

身体の底から湧きあがる欲望が目覚め、今一番欲する物を

錯覚した途端―


「アアアアアアアアァアアァッ!」


理性の全てが吹き飛び、俺は目の前に居た誰かの首筋に喰らいついていた。

そして欲しくて欲しくて堪らないとばかりに、渇きを潤す程の―


「血」を満足するまで飲み続けていた。



『君は、これから私の仲間になるんだよ……』


その時の俺の目は、もう

現世を映し出してはいない―


―それが、ファーストとの出会いだった。




「……ファースト」

「久しぶりだね……涼。会いたかった」


腹に受けた衝撃が思いのほかきつかったのか

すぐに立ち上がる事が出来ず

ただ眼前に悠々と立つファーストの姿を睨みつける事しか出来なかった。


そして隣に居た尖閣が、ファーストの傍に近づき

二人の視線が俺を惨めに晒す。


「尖閣の切り札……ってのは、それかよ……」

「このお方御一人とは断言してはいないがね」


そりゃそうだろう。

現にあの時殺したつもりだったファーストの不死っぷりが発覚した所で

彼一人がニチモトの勝利を決定づける切り札とは断言しにくい。

尖閣が言うように、一人の存在が国を決する訳じゃない―としたら?


あんまり、良い予感はしねぇ。


「ファースト、っ……この国に加担しても、ろくな事ないぜ?」

「そうだろうそうだろう。でも君を探して、この国に辿り着いた」

「探すのは、ご勝手だが……っは、ぐ……。それが現状とどう結びつく」


殺せなかったファーストが、未だ俺に執着する理由なんざ別に良いとして

探し求めて辿り着いたこの国の願望に肩入れする根拠が分からない。

俺を探してただけならば、今この場でその願望が果たせただろう。


しかしそれ以前にファーストは尖閣と手を結んでいる。

御戯れか、享楽か―どの道、どっちの可能性も否ではない。


「私には良く分からないけれど、君を殺そうとしたのはナカグニの兵なんだよね?」

「……」

「あの時救うだけの、君の美しさに魅了された私が―君にとっての敵国を酷く憎んだ」



俺にとっての敵国?

そりゃ「何時」の話だ。

はっきりとは断言できないが、50年位前の話だ。

かと言って正気のまま敵国と認識していた訳じゃない。

赤紙という国からの呪いに、兵の一人として洗脳されただけの事。


今更、ナカグニがどうとか思っちゃいない。

確かにあの時俺を瀕死にさせたのはナカグニの兵士だ。

その死を間近にして、戦争の愚かさを知ったと言うのに―


ファーストよ、お前の脳みそは

何処で止まっているんだ?


それとも―


「……馬鹿なのか?」

「君がそう思うなら、そうなんだろう。でも私はその事実だけでナカグニがとても嫌いになった」


一度はファーストを殺そうとした俺にまだ

執着し、あろう事か

たった数発発砲した奴の祖国まで憎む、本当の馬鹿か。


「じゃあ……俺がもうナカグニを憎んじゃいないと言えば、尖閣を裏切るか?」

「いいや。その憎しみで私が成すべき事はもうとっくに済んでいる」


という事は、今更俺が敵国に云々申し上げる事も

手遅れに近いという事か。

あんまり認識したかぁないが、再戦の引き金の一つは「俺の存在」だ。


もしあの時、ファーストと出会う事も無く

真っ白な死で閉ざされていたならば。

こんな愚かしい事も無かっただろうに。

死への恐怖に手を伸ばし、その先に得た人ならざる人生。ファーストと共に歩んだ肉欲と欲望の日々が

俺への執着を酷くさせていた。


あーあ……面倒くせぇ。

たった数回抱いた位だろうが。


「……という事だ。君はつくづく罪深いね」

「俺もそう思う……尖閣、テメェもな」

「私はただ「かつての友の命を奪おうとしたのは誰か」と教えただけさ」


友、なんざ。

心地が悪い。

一片たりとも思っちゃいないくせに、良くも無知な馬鹿を

そそのかせたものだ。


恐らくファーストは本当にナカグニと言う存在を知らなかった。

一度は彼から離れた俺を追いかけ、その先にどういう縁があったかは不明だが

尖閣と出会い、死ぬはずだった俺の敵を「国まるごと」で伝え

ファーストの心を動かした。


口だけは、達者だな―


「……さて、感動的な再会を果たしたとして。私の元に帰ってきてくれるかい?」

「ごめんだな……、抱いてほしいなら適度な期間を設けてくれ」


今更、手の施しようがない現状を知ったとしても

ファーストの元に戻るなんて考えたくも無い。

底知れぬ欲望に抱かれ、または犯しまくる日々に戻っても

俺の幸せに直結するとは思わないでくれ。


まだ続く痛みに蹲ったままの俺が、必ずしも絶対的な上下関係を知ったとしても

素直に従う意思が無い事を知り、ファーストは酷く悲しむ表情を浮かべた。


そんな様子を見た尖閣は、一つ咳払いをし

俺とファーストの会話の仲裁に入った。


「……一連の流れを知って、再戦の要因の一端に君の存在が絡んでいる事は知っただろう?」

「とても愛されてるーって事はな」

「それでもこの方の元にお戻りになられない……幸せにしてくれるだろうに、何故拒む?」



結局は、再戦に俺が絡むというより

勝利の一役を買ってくれた恩人に報いる為、俺を確保したとしか思えない。

確保したそのついでに、戦争をするぞーと自慢したいのか。


くそったれ……そもそも、俺を頼ろうとしたあのヒステリーのせいだ。

そしてそのヒステリーに俺の存在を教えた第三者のせいだ。


何もかも、くそったれだ。


「……では、一つの賭けに興じてみないか?」

「……あ?」

「ゲームだ。君と、御剣野宮信近様―そして反戦争組織を含め。ゲームをしよう」


―何をとち狂ったのか、尖閣は

被害者もいいとこの俺をまだ巻き込んで、どんなゲームをしようと言うのか。

しかも反戦争組織を含めるなんざ、まるで先程まで開戦開戦と意気込む狂想を

一旦引っ込めたような言い方だ。


「そもそも君がこの方に愛されている幸福の元に、戦争の火種が燻った」

「……」

「そして私と、ファースト様の御下には。君が想像もつかない程の「戦力」がある」


尖閣が言う、戦力―とは

ろくなもんでもない気がする。

そこにファーストが絡んでるんだ。常人としての戦力とは思わない。

何らかの手を施したとすれば―化け物じみてる。それが想像もつかない程の数で存在している。


「信近様の意思はさておき、戦争を再開する事は決して難儀ではない。しかしもし君に僅かばかりの罪の意識があるとしたら」

「ないね」

「まあ聞きたまえ。罪の意識がある事を前提として、信近様を君と反戦争組織で「3か月」護衛するというゲームを提案したい」



―また、振りだしに戻った。

だから信近の護衛なんてまっぴらと……


かと言って尖閣の言う言葉は、厭味ったらしく引っかかる。

確かに俺がどうこう言おうと、愛してラブなオーラのファーストが

ニチモトの再戦の火種に一役買っているのだから。


「護衛ってこたぁ……なんかあるのか?」

「勿論だ。再び私の元に信近様を取り返すべく、刺客を何人か差し向けよう」

「刺客ねぇ……それも常人じゃねぇよな?」

「それは出会ってからの楽しみという事にしておきたまえ」


あーもう、面倒くせぇ。

ファースト。抱いてほしいなら今すぐヤってやるし

抱きたいなら幾らでも犯して良いから

こんな面倒なやり取りを更地に戻してくんねぇかな。


でもさっき、ファーストは

やるべき事はもうやったと言ったし……どーしよーもねーのかな。


「もし、君が3か月間の間信近様を護衛出来たならば。この戦争を中断しよう」

「冗談……耳が腐る。さっきまで戦争したいって意気込んでたのに?」

「あまりにもファースト様が不憫でね。だからゲームと言っているじゃないか」


ひとまずこの場では彼の目的を遂行しなくとも、ゲームと称した攻防戦の末

信近を再び尖閣の元に連行し本人の意思を無視して、強制執行でも何でもして

ニチモトを再戦へと導く。

今すぐに出来る事をわざわざ天秤にかけ、3か月間の猶予を与え―戦争を阻止して見せよと

彼は提案していた。


でも、それだけじゃねーだろうな……


「もし、のぶちんを護りきれなかったらー……」

「ナカグニとの戦争を始める。そして君はファースト様の元に帰るのだ」



責任が、重たーい……


結局のところ、俺が全部背負うには結構重たすぎる。

しかしこの国が必ずしも勝つ保証があるにしろ、俺の存在が引き金で

戦争が今にも始まるなら

それなりの血が流れるであろう、ある程度予測できる結末に対して

責任を取る義務がある。


「じゃあ……さ。面倒だしファーストの所に戻るから、戦争とか止めねぇ?」

「いいや、何となく面白い取引だ。とても興味深い!」

「賛同頂けて恐縮です。ファースト様」


―尖閣のゲーム提案に、乗り気になってしまったファーストは

先程まで戻ってほしいラブから一転、戦争と国を賭けた享楽に

子供の様な笑みを浮かべていた。

大の大人がこんな物騒なゲームにはしゃいじゃって……もーうんざり。


「君がノブチカを護りきれず、戦争が始まれば……私の元に帰る。護りきれば、戦争も起こらず君は自由」

「本当の自由が得られるとは思ってねぇけどな」

「スリルがあって良いじゃないか。君が「化け物として」どれだけニチモトを本来の幸せに導けるか……」


恍惚とした表情のまま、俺を化け物と称するファースト。

その表現に否定はしないが、胸糞悪い。

例え化け物じみた欲望の日々を過ごしたとは言え、人間らしい生き方もしてきただけに

もう2度と常人には戻れぬ、人ならざる俺の宿命を諭したようで


正直嫌い。


「……では、ゲームを今から始めるという事で」

「ああ待ってくれ。ちょっと彼に個人的な事をしてもいいかな」

「?どうぞ、ご自由に」


―ファーストの望む、個人的な事?

俺に?こんな大それた場所でエロい事でもすると言うのか?

生憎とまだ痛みが取れず、動けねぇ。

別に俺はどーでもいいけど、のぶちんにとって刺激が強かぁないか?


と、覚悟して。

彼の歩が、倒れて動けない俺に近づく。


あの時と同じ、真っ白な出会いの様に

腐りきった俺の醜態を眼下に見下ろす。


―何、を―



―ブシュッ!


「……っ!?」

「ぐ……あああああああああっ!!」


―グチャ……チュ、グシュッ!


息を飲む信近の声が聞こえた。


あろう事か、ファーストは

俺の腹を素手で抉ったのだ。

突然の事に呼吸を失う程の苦痛が全身を走り、言葉にならない

苦言が血に染まる。


「ああああっ!あぐあぁああっ!!」

「少し血を……抜いてやろう。人間らしさが失われる位に……」


吐き出す呼吸が赤く染まる。

常人なら即死に等しい彼の残虐な行為に、まだ死ねない俺は

失われる血の喪失感に、暫く収まっていた「化け物」としての本能を

再び覚醒せんとしていた。


「化け物……に、ならないと。彼を本気で護れやしないよ」

「ひあぁあああっ!ああああっ!」

「おお怖い……あまりの化け物ぶりにノブチカ君も絶句してるね」




―目覚め、る―


血を求め、欲望に満ちた俺を

ファーストは何と言った?


思い出せ、思い出せ。

とても相応しく、滑稽な名だ。


「ぐ……ああああああああああっ!」


視界が、紅く染まる―

遠くに置き去りにした、吸血鬼の本能が―とても、近い。


狂うように血を貪り、犯しあう野蛮な欲望が

再び芽吹かせ―渇く、喉。


―ドンッ


……叫び、狂乱する俺の全てが

鈍い音で閉ざされる。


ゲームは始まった。

戦争を賭けた、全く滑稽な―「愚か者」の攻防戦。


そう―俺は。


「……THE FOOL」(愚者)と、呼ばれていた。

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