夕暮れ・山へ向かう道
ーー街道を走るミシェルは焦っていた。
あの人に会わなくては――。
山々の向こうに日が沈もうかという時刻。
この地域に付けられた、“華王の庭園(かおうのにわ)”という異名にふさわしく街道の脇に咲き誇る花々も、眠りに就こうとしていた。
夜になってしまえば、単独行の旅人を捕まえるのは困難だ。
何とか日が沈む前に、あの人に追い付く必要があった。
あの人――“ピアッサー”・レイフォルスは、彼女とその恋人にとって恩人である。
生ける石像を生涯見守るという運命から開放してくれたのだ。
きちんと礼をしなければならないところだが、その恩人はいつの間にか村を出てしまったという。
感謝の言葉も告げられず、何のもてなしもせずに、二人で幸せに暮らすことなどできない。
たまたまその姿を見かけたという者から話を聞き、行く先に見当をつけて後を追ったミシェルなのだった。
全速力で、ミシェルは山脈に続く道を駆けてゆく。
何しろ余裕が無かったのでシスター服のままだったが、とうにベールは道の左右に広がる草の海のどこかに飛んで行ってしまい、短く切り揃えた金髪があらわになっていた。
走りにくいのでスカートの裾をいささかはしたなく持ち上げていたが、闇が迫る田舎道で誰が見ているはずもない。
そう思っていたのだが、俄に見物人が現れた。
正確には、男が三人道を塞ぐように立っており、そこにミシェルが行き着いた形であった。
「よう、シスター。急いでいるところ悪いが、ここは通行止めだぜ」
立ち止まるミシェルに、男達の一人が告げた。
彼らは一様に革の上に所々金属の板を貼り付けた防具を着込み、腰には剣を下げていた。
顔を覆わんばかりに伸びた髭、油染み、乱れた頭髪、そしてミシェルを見る下卑た目付き。
山賊どもに間違いなかった。
「あら、どうしましょう」
純真無垢な修道女を、ミシェルは演じることにした。
恐らく彼らは「仕事中」なのだろう。
この先で誰かが捕まっているのかも知れないが、それを助けるにせよ丸腰ではどうにもならない。
それで彼女は、今の自分が持つ唯一の武器を使うことにしたのだ。
「司祭さまのお使いでこの先の祠へ行かなければならないのですけれど……困りましたわ」
清楚な物腰に透ける科。
男達の鼻の下がこれ以上ない速度で伸びていった。
作戦成功の期待は、しかし次の瞬間に露と消えた。
麗しき聖女のご尊顔をもっと良く拝しようと近付いた男が、「あっ!」と声をあげたのだ。
「こいつ、“華の剣”だ!」
周囲の空気が一気に緊迫した。
ミシェルは素早かった。
彼女を捕えようと男が手を伸ばした時には、すでに間合いのはるか外まで飛びすさっていたのだ。
「やれやれ」
ミシェルは嘆息した。先程とは打って変わった態度と口調だ。
「有名になるというのも善し悪しですね。まさかうらぶれた山賊ごときにまで知られているとは」
「何だと」
激昂しかけて、男達は現在彼らが置かれた状況に思い至った。
「へへ」
山賊達のうちで頭立った男が、下品な顔をより一層下品に歪めた。
あの“華の剣”を、自分たちの自由にできるかも知れないのだ。
「あまり生意気な態度を取らないほうがいいぜ。――自分がどんな立場にいるかぐらい判るだろ?」
「そうですね――」
今やミシェルのアイスブルーの瞳は、強い光を湛えて山賊どもを見据えていた。
「わたくしに判るのは、武器一つ持たない婦女子にしか強気に出られない殿方がいる、ということですわ。――目の前に三人も」
侮蔑を込めて笑う。
「このアマ――」
今度こそ男達は激昂した。
次々と剣を抜き放つ。
勝負所だ。
ミシェルは腹を括った。
逃げることはたやすいが、それではレイフォルスに会えない。
それに、こんな剣呑な連中を野放しにしておくわけにもいかなかった。
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