第15話 猫はじめました 02

「あああぁああぁぁあぁぁぁ……」

 健乃が頭を抱えている。

 頭を抱えながら歩いている。

「おいおい、いい加減に諦めろ」

 タニシは何度目かになる溜め息を吐きながら、呆れたように言い放つ。

「でもっ、でもぉ!」

「あんな見送りをされて旅立ったのに一晩もしないで帰ったら笑われるじゃ済まんぞ」

「わかってるけどぉ」

「おにぎり貰ってあんなにホクホクしてたじゃないか」

「そんなの当たり前だよっ!」

 おにぎりに弱い女、健乃。

「まぁ、やっちゃんが究極の出不精で、引きこもりのダメ座敷童子なのは知っている」

「何もわかってないっ」

「しかしな、やっちゃん。旅とは人を成長させるものなのだ。いつまでも自分の殻に閉じこもっていては何も手に入らないぞ」

「いつでも殻に閉じこもれるタニシに言われたくない」

「それに、そう長旅にもならんよ。都までなんて、船にさえ乗ってしまえばすぐだ」

「そうなの?」

「そうだともっ。狸の話を聞いてなかったな」

「うん、おにぎりが嬉しくて」

 おにぎりで釣れる座敷童子、健乃。

 誘拐待ったなしである。

 ちなみに都までの道のりは峠を一つ越えて町へ出て、そこで路銀を稼いで船に乗ってしまえば、都近くの港まで着いてしまう。タニシ長者の屋敷は都の郊外にあるので、あとは半日も歩けば到着だ。路銀を稼ぐ手間を除けば、往復でも10日はかかるまい。

「まぁ気分転換だと思って気楽に行けばいいさ」

「……はぁ、しょうがないなぁ」

 健乃は盛大な溜息を吐きながら自分を納得させる。いずれにしても、間もなく峠を越えようかというところまで歩いてきてしまった以上、戻るのもバカバカしいというのが実情だ。

 そもそもここでタニシを置いて帰った場合、タニシが野生化するのはともかくとして、彼女自身もうっかり獣道に踏み込んだりしたら無事に帰れるとは思えない。野良の座敷童子としてモンスター化必至である。

 攻撃を受けると所持金が減る嫌がらせモンスターの誕生だ。

 どちらに転んでも不幸な新しい人生なら、道連れがいる方がいくらかマシだろうと、健乃は結論付けた。貧乏に慣れ親しんだ彼女は打算的なのだ。

「ホレ、峠の茶屋が見えてきたぞ。あそこでお昼にしよう」

「はいはい」

 色とりどりのノボリを見ながら、健乃は仕方なさそうに頷いた。



「ねこはじめました?」

 ノボリの文字を正直に読んだ健乃は、意味がわからずに首を傾げる。

「一両って書いてあるな」

「え、猫って一両もするの?」

 タニシは三文だったのに。

「いや、野良猫に一両を出す奴はいないだろ」

「ひょっとして凄い猫?」

「あー、やっちゃんは知らないか。都だと結構有名な話なんだけどな」

「ん?」

 反対側に首を傾げる。上に乗っているタニシは右へ左へ結構大変だ。

「猫の皿って話があってな」

 昔話としてより落語として有名な話である。


 ある古物商が旅の最中、茶屋に立ち寄った。そこに一匹の猫がいたのだが、そのエサ皿に高価な皿を使っていることに気付く。価値がわからずやっているのだろうと考えた古物商は何とかしてせしめようと目論むが、いきなり皿を売ってくれと切り出せば怪しまれて足元を見られると思い、まずは気に入ったので猫を売ってくれと主人に持ちかける。二両という額にアッサリと主人は応じ、使い慣れたエサ皿の方が良かろうと理由をつけて皿をいただこうとしたが、主人に断られた。

 どうしてだと怒る古物商に主人は、この皿でエサをやっていると時々猫が二両で売れるんですよ、と返されたという話である。


「半額になってるね」

「お得だな」

 一人と一匹にとっては、お値段の方が気になるようである。

「いらっしゃいませ」

 そんな彼らの元へ、揉み手をしながら中年のハゲデブが近づいてくる。

「お嬢さん、猫をお求めですか?」

「いや、いらないけど」

「ではお茶と団子ですね。今なら団子三本で五文のところ五本で十文になっとります」

 駄目な商売人だ、これ。

「あー、ウチらお金ないんで、椅子の端っこ貸してくれるだけでいいんだけど?」

 初対面の相手との交渉は、すっかりタニシの役目になっている。

「けっ、貧乏人かよ。まぁ粗末なもん着てるからそうだとは思ったけど。邪魔になるなよ。あと客が来たらどけよな」

「あ、はい」

 態度が急変しすぎてタニシすらドン引きである。

 とはいえ、所々ほつれた粗末な小袖に色褪せた赤いちゃんちゃんこを着込み、擦り切れそうな草鞋を履いて頭にタニシを乗せた幼女が一人で峠の茶屋に来れば、真っ当な客だとは誰も思うまい。この上垢だらけで鼻水でも垂らしていたら出禁待ったなしである。

 貧乏で出不精で面倒くさがりはあるが、一応は女の子である。それなりに身綺麗にはしている。水浴びがいつでもできるのは大きな強みだ。

「ちょっと待ってくださいな、ご主人」

「なん――これはこれはお客様、何の御用でしょうか?」

 背後からの声に雑な対応をしかけたハゲデブが、急に態度を改める。

 汚れのない三度笠に美しい顔立ち、着物は地味ながら見事な仕立てが見てわかるほどの上物、しかも和装でありながらはち切れんばかりのお胸様とくれば、商売人としても男性としてもこうなるのは致し方ない。

「その子達、私の連れですの。団子一皿とお茶を出してあげてください。私も一皿いただきますわ」

「はい、ただいま」

 いきなりのことに呆然とする一人と一匹に、謎の美女はニッコリと、余裕のある優雅な笑みを浮かべるのだった。

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