第14話 猫はじめました 01

 家なんてなかった。


「そういえば燃えてたっけ」

「屋根がない家なんて家じゃないと思うの」

「はいはい、悪うございましたね!」

 タニシの罪は重い。

「で、どうする? 狸の家に行くか?」

「んー……」

 一晩厄介になったとはいえ、そこが自分の家でないことは健乃にもわかっている。ここが、焼け落ちて黒ずんで屋根のない人どころか猫すら寄り付かないとすら思える元ボロ小屋が彼女の生まれ育った家であり、いずれ父親が帰ってくるといいなぁ、でも無理かなぁと思っている我が家であった。

「まだいい。ここにいる」

「そうか」

 出稼ぎに出ている父親からの連絡は一切ない。いつ帰ってくるのか、そもそも帰ってくるのか、更に言えば生きているのかどうかすらわからないというのが現状だ。

 うっかりすると顔を忘れそうなくらい離れ離れなのである。

「私がここにいないとね――」

「あぁ」

 タニシにもわかっている。健乃が心優しい座敷童子だということくらい。

「誰かが同情して野菜とか持ってきてくれた時受け取れないじゃない」

「うん……いや待て」

「あ、お肉とかお魚の方が嬉しいな」

 これはお父さんの顔なんて忘れてますわ。

「おいやっちゃん、あからさまに乞食みたいな発想はいかんぞ」

「でも私、働かせてはもらえないし」

 見た目幼女だからね。

「それに、狸さんにあげられるものが何もない」

「あぁ、なるほど」

 ただで厄介になるのは申し訳ない、ということらしい。

「それに、いつまでも狸さんのところにはいられないよ。何とか家を直して戻らないと」

 見上げる空には輪を描いて飛ぶトンビが一羽。

 世は太平である。

「直すと言っても、ここまで焼けているとさすがに建て直した方が早くないか?」

「私、大工さんじゃないし」

「うむ、僕も大工じゃないな」

「お金もないよ」

「うむ、僕も一文無しだな」

 役立たず二人。

 三人寄れば何とやらというが、最後の一人の負担がストレスでハゲそうなレベルの一人と一匹である。

「なら、家を建て直すのはしばらく諦めた方がいいだろう」

「むぅ……」

 タニシの言葉はもっともではあるが、健乃はどこか納得していない。

「それでだ、やっちゃん」

「なに?」

「一つ、提案がある」

「つぼ焼き一つくらいじゃ満腹にはならないんだけど」

「いやいや、何で食べようとしてるのっ?」

「違うの?」

「違うわっ。そんなアホな話じゃなくて、もっと真面目な話だ」

 タニシは空を、澄んでどこまでも深く見える空の彼方を見つめながら、抑揚を抑えた声で告げる。

「旅に出よう」

「……旅?」

「そうだ。ここで父親をただ待ち続けるより、自分から相手を探しに行くべきなんだ。燃えた家はもう戻らない。建て直そうにもお金はない。狸のところに厄介になり続けるのも好きではない。だとすれば選べる行動は一つだ。旅しかない」

「ふぅん……」

「旅は良いぞ。風を感じ、自由を謳歌し、草木と戯れる。そんな風来坊に僕はなりたい」

「で、本音は?」

「屋敷まで送ってください。お願いします」

 この正直者め。

「……まぁ、ここを出るのは別に構わないんだけどさ」

「何か問題でも? あ、屋敷にちゃんと着けたら報酬は出すぞ」

「いや、そんなの別にいいんだけど」

「じゃあ何だよ?」

「路銀が一銭もないよ。無一文で旅に出るって、野垂れ死にする未来しか見えないんだけど」

「何かと思えばそんなことか。大丈夫だ。心配はいらない」

「芸でもできるの? あ、しゃべるタニシなんて珍しいから見世物小屋に売れば――」

「やめてっ!」

「じゃあ水芸とか?」

「いや、水芸はできるかもしれんが、そういうことじゃなくてな。お前は座敷童子なんだから、どこに行ったって歓迎されるだろう? 一晩泊るどころか、ずっと居てくれと懇願されるんじゃないか。旅なんてちょろいぜ」

 お前の発想も大概ちょろい。

「あ、えっと、それなんだけど――」

「おーいっ!」

 背後からの声に振り返ると、お爺さんとの歴史的和解が済んで上機嫌の狸が走ってくるのが見えた。いつもニコニコとしている彼だが、今日はいつにも増して晴れやかだ。

 まるで頭上に広がる青空のように。

 などと言った途端に曇り始めているのは気のせいである。

「おぅ狸、あの爺さんとの話は終わったのか?」

「はい、今日のところは。またいつでも話せますし」

 カチカチ山の悪役の息子という風評とは、今日でおさらばである。

「そいつは良かったな」

「はいっ、これもお二人のお陰です」

「いやいやそれほどでも」

 何もしてないどころか間違ってたけどね。

「ところでお二人はお昼まだですよね。ぜひご馳走させてください」

「そりゃありがたい。おいやっちゃん、遠慮なく注文してやれ」

「え、いやそれよりさっきの話――」

「そうですよ。これはお礼も兼ねているんです。何でも言ってくださいね。あ、でもさすがに毎日ご馳走ってワケにはいきませんから、そこは容赦していただけると助かりますけど」

 楽しそうな狸を前に、健乃の言葉は続かない。

「あぁ、それなら心配いらんぞ」

「どうしてです?」

「僕ら二人は、明日にでも旅立つことにした」

「え?」

 健乃、唖然。

「そうですか。なら今夜は宴会ですね!」

 狸も珍しくノリノリである。

 山頂に鎮座している丸い岩をうっかり蹴とばしてしまったかのように、何かがゴロゴロと転がり始めたことを、健乃は感じざるを得なかった。

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