第8話 カチカチ山殺人事件 06

 兎さんの住む家は、村外れの山中にあった。周囲に他の民家はなく、一番近い建物は炭焼き小屋である。それすら辛うじて見える程度には遠い。

「お、見えてきたぞ。あれがそうだな」

「やっと着いた」

 少し上るという狸の言葉とは裏腹に、意外にも険しい山道を歩かされて、健乃は少々ご立腹だ。

「何だ、もう疲れたのか?」

「頭の上に乗っているだけのタニシは疲れなくていいですね」

「そんなことはないぞ。平坦な道と違って大きく揺れるから結構しがみついていないと危ない」

「今度崖が見えたら走ってみるよ」

「やめてっ」

 タニシ唯一の弱点が移動力の無さである。長者時代に隣の家まで一刻(30分)かかったのは伊達ではない。谷底などに落ちようものなら、帰ることを諦めて野生のタニシ(しゃべる)になるしかなかった。

 うるさいと文句を言われて森のヌシに追い出されそう。

「あの兎さんがそうかな?」

「どうやらそうみたいだな」

 庭先で薪割りをしている茶色い兎がいる。一人暮らしと聞いていたので間違いはなさそうだ。

「どうも、初めま――」

「キミ、赤いねっ」

 タニシの挨拶を遮るようにして、兎が開口一番そう口にする。

「はい、まぁ……」

 曖昧に頷く健乃。座敷童子である彼女は裾がほつれた粗末な小袖の上から赤いちゃんちゃんこを着ている。おかっぱ頭と合わせて、言うなれば座敷童子の正装だ。

「うむ、赤は良い。心が洗われるね」

「はい、えっと……」

「いや私もね、常日頃から赤い日常を心掛けているんだけどね。キミのようにはなかなか着こなせなくてね。あぁ座敷童子だったか。さすがだね」

「はぁ、どうも」

 どうやら変な人、もとい変な兎であるようだ。

「それであの、少し話を聞かせてもらってもいいですか?」

 赤い日常って何だろうと考えていたタニシがふと我に返り、話が脱線しない内にと切り出す。

「そうそう、そんな用件だったね。話は聞いているよ」

「では早速ですけど、カチカチ山の薪についてなんですが――」

 本音を言えばお爺さんのことを根掘り葉掘り尋ねたいタニシだったが、さすがに知り合いが殺人犯っぽいんですけどなどという質問をぶつけるワケにもいかず、まずは無難なところから攻めてみることにする。

「あれって、自然に火が点くって本当ですか?」

「火というのはね、キミ。点くとか点かないとか、そういうものではないのだよ」

「え?」

「火というのは常に存在するものだ。誰の中にもね」

「え、あ、はい」

 意味がわからない。

 そして雄弁に語りながら、その視線は健乃に釘付けだ。

「それはつまり、えっと……常に燃えていると?」

「うむ、それは理想だね。この世の全ては常に赤く燃えているべきだ。カチカチ山の薪とは、その象徴と言える」

「つまりその、燃えるんですね?」

「深紅に燃えない世界に、薪に何の意味があろうかっ」

「そ、そうですね」

 タニシが勢いに呑まれて頷く。ちなみに健乃は血走った眼で見つめられて怯えている。

「ところであの、実は最近噂がありまして」

 これ以上聞いてもわからないと判断して、話題を変えることにする。

「噂とは?」

「カチカチ山で殺されたお婆さんなんですが、その犯人は狸さんじゃないんじゃないか、という話が出回ってましてね」

 ここに噂の出所がいます。

「……誰がそんな世迷言を」

「さぁ、誰が言い出したのかはわかりませんが」

 このタニシです。

「ふむ……あ、ちょっと失礼」

 少し考え込んでから、兎はそう断ってから懐に手を伸ばし、二つの石を取り出した。

「それは?」

「あぁお気になさらず。考える時のクセみたいなものです」

 そう言いながらカチカチと鳴らす。

「そうですか。それで、犯人がもし別にいるとしたら、誰だと思います?」

「さすがに見当もつきませんね」

 カチカチ。

「そうですか? 案外身近にいたりしないですか?」

「いやさっぱりです」

 カチカチ。

「殺人とは限りませんよ。うっかり力加減が上手くいかなくて起きた事故という可能性もあります」

「記憶にないです」

 カチカチ。

 カチカチ気になる。

「……それ、何で鳴らしているんです?」

「こうしていると落ち着くんですよ」

「へぇ……」

「あー、燃やしてぇなぁ……」

「え?」

「あぁ、赤いものが食べたいという意味です」

「あ、そうなんですか」

 いやおかしいだろ。

「火ぃ点けてぇなぁ……」

「今夜はかやくご飯ですか?」

「そうそう、こう紅ショウガをまぶしてな。くひ、くひひひひ」

 この兎、絶対に放火魔だよっ。

「えっと……それでは我々はこれで」

「あ、そうかい? 悪いね、何のお構いもできなくて」

「いえいえ、色々とお聞かせいただきありがとうございました」

 タニシの礼の言葉を聞くなり、健乃は逃げるように退散した。

 終始ずっと見つめられていたのだから無理もない。

「それにしても――」

 唸りつつタニシは呟く。

「ただの赤いものが好きな兎さんだったな」

 おい、アイツ少なくとも放火魔だゾ。

「ごめん、話聞いてなかった」

 この事件、迷宮入り待ったなし。

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