第2話 むかしむかし 02

「ところで」

 タニシはふと思いついたように女の子の右手を見ながら口を開く。

「さっきから気になっていたんだけど、その手に持っているのは何だね?」

「これ? これはお味噌」

「何で味噌を持っているんだ?」

「何でって、味噌汁を作ろうとしていたからだけど」

「確かにタニシ長者救済は一刻を争う任務だ。しかし味噌汁の完成を待ってあげられないほどの時間的余裕がないワケでもない。ついでにお茶を入れる時間も確保しようじゃないか」

「ん?」

 小首を傾げると同時にへらも傾く。

 ちなみにタニシの言葉を解説すると、協力してもらいたいので味噌汁を作るくらいは待ってやろう。ついでにお茶も欲しい。ということらしい。

 図々しいタニシである。

「いいから味噌汁を作れ」

「うん、わかった」

 わかりやすい要求に、女の子は素直に頷いた。

「二人分だぞ?」

「うん、そうする。具はタニシでいい?」

「良くねぇよっ!」

 共食い一直線である。

「えー、でもタニシしかないよ」

「わかった。具なしでいい。お湯で味噌を溶かしただけでいいから」

 仕方なく妥協するタニシを見ながら女の子は立ち上がり――そして座った。

「どうした?」

「やっぱり無理。作れない」

「何でだ。その手に持った味噌をお湯で溶かすだけの簡単な仕事だろうに」

「そのお湯がない」

「は?」

 女の子の視線を追うと、大きな水瓶が一つ。

 その底部には『何故か』見事な穴が開いており、半分くらいは溜っていたハズの水は土間にすっかり飲まれていた。

「というか、明日から水がない」

 村の外れに位置するこのボロ屋は、一番近い井戸からでさえ一回の水汲みに五分近く要する。水瓶を満たすだけで一日消費する彼女にとって、貯水設備の損失は死活問題である。そしてもちろん、こんなボロ屋に予備の水瓶などあるハズもない。

「何だ。そんなことか」

「ひょっとして水汲みしてくれるの? 井戸は結構遠いよ?」

「いや、水汲みの必要はない。お嬢さん、桶はあるかい? なければ水を張れるものなら何でもいいが」

「桶……使ってない釜なら」

 つい先程カーンと鳴らしたヤツである。

「それでいい。そいつを地べたに置いて、中に僕を入れるんだ」

 それで何になるのだろうと素直な疑問を抱きはしたが、水汲みに行くよりは断然楽だと思った女の子は、言われるままに釜を置いてタニシを放り込んだ。

「じゃあ、少し待ってろよ」

 釜の底の中心に陣取ったタニシは、小刻みにプルプルと震え始める。すると不思議なことに、その周囲からこんこんと水が湧きだしてきた。水は見る見る内に釜を満たし、格子窓から差し込んでいる午後の日差しをキラキラと反射している。

「どーよ」

 釜の縁に上ってきたタニシが、胸ならぬ貝を張って自慢げに言い放つ。

「おー、凄い量のおしっこですね」

「違うよっ。純水だよっ。海水ですらないよ!」

「ホントに?」

「嘘だと思うなら飲んでみろって。言っとくけど僕の水は名水にも劣らないとご近所でも評判だったんだからなっ」

「……変な味したらつぼ焼きにしますからね」

「お、おう、心配するな。変な味はしない」

「まぁ、なら一口」

 それは確かに純水、否正確には極上の岩清水であった。



「そういえば」

 お椀の縁に張り付いて器用に具なしの味噌汁をすすりながら、タニシは口を開く。

「お嬢さんはここに一人で住んでいるのか?」

「そうだけど」

「お父さんやお母さんは?」

「母は何年も前に他界しています。父は出稼ぎに出たっきり、もう随分と帰っていません」

「そうか……。悪いことを聞いたな」

「ううん、時折アナタのような同居人が増えることはそんなに珍しくもないし、寂しいと思うほどでもないよ」

「同居人?」

 男を連れ込むには若すぎるように見えるし、宿にしてはみすぼらしい。せいぜい旅の僧が一晩の宿を借りる程度が関の山だが、それすらも少し歩けばまともな村落が目の前にある。仮にタニシが旅人でもそちらを選ぶだろう。

「あぁ、私はこう見えて座敷童子なんです」

「ほほぅ、へー」

 座敷童子と言えば家に宿る精霊のようなもので、富や繁栄を象徴する存在でもある。

「そんなワケだから、気にせず住んでいいよ。気になるようなら存在感消すから」

「いや、消さなくていいが……しかし座敷童子という割には――」

 タニシは全身をぐるりと巡らせて梁や天井を含めた部屋全体を見回してから、改めて切り出した。

「あまり裕福ではないようだが?」

 というか、ぶっちゃけ貧乏である。

「あぁ、それは――」

「おーい、やっちゃんやーい」

 言いかけた言葉を遮るように、玄関の隙間だらけの扉が叩かれる。どうやら客人のようだ。

「誰か来たな」

「ご近所さんです。いつも薪を分けてもらってるの」

「ほほう、そりゃなかなか善良な方だ」

 女の子は裸足で土間をとたとたと駆け抜け、間延びした返事をしながら引き戸を開いた。

 その向こうには、一匹の狸がいた。

 狸は薪を背負っていた。

「いやー、今日は何だか暑いねぇ」

 そして何故か、薪が盛大に燃えていた。

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