今昔奇譚タニシ

栖坂月

第1話 むかしむかし 01

 それは、昔々あるところに、から始まるお話である。


 オンボロで雨漏りの酷い、まるで『ふるやのもり』のような掘っ立て小屋に一人の女の子が住んでいた。片手には鍋、片手には小さな麻袋を持っている。

 鼻歌が聞こえるあたり、どうやら機嫌が良いらしい。

「ふんふーん、たーにしー」

 水を張った鍋を火にかけ、沸騰したところで大胆にも麻袋をひっくり返してタニシを投入。泥抜きとか関係ねぇと言わんばかりの野性味あふれる調理法である。

 そして足元をごそごそしていたかと思うと、右手にはヘラで掬った味噌が一塊。どうやら昼食はタニシの味噌汁で決まりである。

 え、おかずや御飯はどこかって?

 このボロ屋にそんなものはない。

 むしろ具の入っている味噌汁なんて贅沢品である。

「あとは味噌を溶かしてできあがりー」

 上機嫌な笑顔でへらを鍋に突っ込もうとした、その時である。

「ぅおあっちぃいいぃぃぃいいぃっ!」

 鍋から、囲炉裏に投げ入れた栗よろしく何かが飛びしてきた。いや、入れたのはタニシだけなので、何かというか一匹のタニシが飛び出してきた。

 そのタニシは梁に激突して跳ね返り、柱に突っ込んで少し傾けた後に土間に直撃して小さなクレーターを築いてから、最近はすっかり出番のなくなった大きな釜をカーンと鳴らして水瓶の底部を突き破った。

 何が起きたのかわからず、女の子は味噌を片手に固まっている。

 ジョボボと瓶にあいた穴から水が漏れだし、土間を伝って女の子の足元へと到達するまで約十秒、そこでようやく作っていた味噌汁が鍋から飛び出した奇妙なタニシのせいで台無しになったことを認識した。

 その証拠とばかりに、お腹がくぅと鳴る。

「いやー、びっくりした」

 そんな暢気な台詞と共に瓶の穴から顔、というか殻を覗かせたのは、小さなタニシだった。



「それで」

 片手に味噌ベラを持ったままの女の子と一匹のタニシが、囲炉裏を挟んで向かい合っている。実に奇妙な構図だが昔話ならそう珍しいことでもない。

「どうしてしゃべるタニシが売られていたの?」

「うむ、それには深くも長い事情があってな」

「長いなら別に話さなくていいです」

「短くまとめるから聞きなさい」

「えー」

「お嬢さんはタニシ長者という話を知っているかね?」

「……聞いたことはあるような。タニシに無理やり結婚させられた可哀そうな女の人の話?」

「無理矢理じゃないよっ。結構いちゃいちゃしてたよ!」

「それなら知らない。どんな話?」

「うむ、簡潔に語ってしんぜよう」

 タニシ長者という昔話は、比較的メジャーな部類に入る日本の昔話である。


 あるところに老いた小作人の夫婦が暮らしており、子供が欲しいと思った二人は水神様にお願いする。するとタニシを授かった。何でタニシなんだと普通なら思うところだが、この老夫婦は喜々として育て、可愛がった。

 しばらく経ったある日、タニシが突然しゃべりだし、家の手伝いをすると言い出した。いや無理だろと思う爺さんだったが、試しに年貢を乗せた馬に乗せてみたところ、上手く操って長者のところへ向かってくれる。その様子を見て驚いた長者が、水神様の授け子ということもあり、ぜひウチの二人の娘の婿にと言い出したのだ。

 当然のように上の娘は拒否、しかし下の娘は物好きなことにOKだった。こうしてタニシは結婚し、リア充生活に突入する。しかし哀れなハズの一人と一匹が幸せそうなのが許せないボッチの姉は、嫁が薬師様へ願掛けに行った隙に旦那の周りにタニシを撒いてカラスを呼び、周囲は大混乱。戻ってきた嫁が必死に探すものの旦那は見つからず途方に暮れる。

 そんな、田んぼの中に座り込む嫁に一人の青年が声をかけた。彼こそが嫁の願掛けによって人となった元タニシだったのである。

 めでたしめでたし。


「めでたくねぇぇえええぇぇっ!」

 タニシは絶叫した。

「いや、めでたい話じゃないの?」

「おい小娘、僕をちゃんと見るんだ」

「小娘じゃないです」

「いいから、僕を見てどう思う?」

「どうって、普通のタニシですね。しゃべる以外は」

「そう、僕はタニシだ。タニシ長者の主人公であるタニシだ」

 そもそも、薬師様への願いによって人間になったハズのタニシが、どうしてここにいるのか。それもタニシのままで。

「あぁ、なるほど。偽物なんですね」

「そう、その通りだ」

「アナタが」

「違うよっ。元タニシの人間が、だよっ!」

「えっと、つまり?」

 女の子は小首を傾げる。

「僕はカラスに持ち去られて食べられそうになったところを何とか逃げ出して、でも悪いタニシ売りに捕まってこの様さ」

 ははっとタニシは悲しげに笑う。しかしそれも一瞬だ。

「だけど、タニシ長者はまだ終わっていないっ。僕のフリをした偽物を追い出して、元のいちゃいちゃ生活を取り戻すんだっ」

「何か面倒なもの買ってきちゃったなぁ……」

「うむ、少々熱い思いはしたが、お嬢さんには感謝している。今は持ち合わせがないが、僕を買った時のお金は利子をつけてお返ししよう。で、幾らかね?」

「値段は3文でした」

「やっす。僕の命やっす!」

 単純比較はできないものの、今の感覚だと数十円といったところだろう。しかも30匹のタニシの値段なので、一匹当たりは0.1文である。

「あ、でも売れ残りだったので、その辺りで拾った峠のお茶屋さんの割引券と交換してくれました」

「どんだけ安いんだっ!」

 その辺に転がっているタニシを集めただけなので、仕方なし。

 その中に一つ、奇妙な物体が紛れ込んでいただけの話である。それが彼女にとってどれほどの価値になるのかは、まだわからない。

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