第3話 カチカチ山殺人事件 01

「火事だぁっ!」

 タニシが叫んだ。

「え、どこです?」

 たぬきが身体ごと後ろを振り返る。その拍子に火の粉が飛んだ。まじで火がつく五秒前な感じである。

「みみみみず、みずみずはどこだぁっ!」

 タニシが周囲をキョロキョロしながら転げまわる。

 そんな彼をむんずと掴んだ座敷童子が、大きく振りかぶり――

「鎮火」

 と呟きながら見事な投球フォームでタニシを投げた。

 コントロールも球速も申し分ない。外角高めの釣り玉に手を出したバッターは容赦なくポップフライを打ち上げることだろう。がしかし、今回の相手はバッターではない。

 ズボッと鈍い音を立てて、タニシが燃えている薪の間に挟まる。

 そして、しばし沈黙。

「うおぁっちゃぁぁああぁぁっ!」

 当然の反応である。

「おいみずっ、みずをはやくっ!」

「いや、自分で出してください」

「おぉっ、そうかっ。そういうことかっ!」

 いきなり炎に突っ込まれて動転していたようである。

 タニシは急いで身体を震わせ、全力で水を生み出す。

 結果、ボロ屋は洪水になった。



「いやぁ、助かりましたよぉ」

 ずずずと具のない味噌汁をすすりながら、ずぶ濡れの狸が湿った藁座布団に座ってニコやかに言い放つ。先程まで背中が火事になっていたという悲壮感は微塵もない。

「いや全く危ないところだった」

「つぼ焼き、惜しい……」

「何か言ったか?」

「別に」

 座敷童子としては少し残念だったらしい。

「まぁ、大した被害もなくて良かったな」

「家、水浸しだけど」

「いや全く、家が燃えなくて良かった良かった」

「布団もびしょびしょだけど」

「悪かったよっ。謝るよっ」

 一人と一匹の賑やかなやり取りを微笑ましく見ていた狸が、その楽しそうな表情を変えることなく口を挟む。

「ところでやっちゃん、そのタニシさんは?」

「あぁ、これは3文で買ってきたの」

「変な紹介するなっ。というか実際に3文払ってないだろ、お前!」

「えーと……」

 割って入ってはみたものの収拾がつかないことに戸惑った狸へと向き直り、タニシはずずいと前に出るなり口を開いた。

「僕はタニシ長者のタニシだ。知ってるか?」

「あぁはい、割と有名なタニシさんですね」

「それなら話は早い。で、そちらは?」

「あ、私は、ですね……」

 少々歯切れが悪い。

「この狸さんは、カチカチ山の狸さんの息子さんです」

「ほぅ、あの狸の」

 代わりに紹介する座敷童の言葉に、タニシは神妙な表情で小さく頷いた。

 カチカチ山の狸と言えば、性悪で有名な狸だ。その息子と名乗るのに少しばかり躊躇するのは、むしろ健全であるように思える。

「そういえば、背中は大丈夫かい?」

「あぁはい、毛先が少し焦げましたけど、火傷まではしていません」

「それは良かった」

 タニシは安堵する。無事に話題を逸らすことに成功したからだ。

「火傷するのは珍しいことじゃないんで別に構わないんですけど、兎さんに貰った薬がとても沁みるんで、できれば塗りたくないんですよね」

 それ絶対カラシだゾ。

「何というか、その話を聞く限りだと頻繁に薪が燃えているみたいに聞こえるんだが?」

「よく燃えてるよね?」

「はい、三日に一回くらいでしょうか」

 燃えすぎぃ。

「おいおい、どうなってるんだ? 薪が突然燃え出すのか?」

「いやいや、さすがにそれはないです」

 もしそんな薪が山に落ちていたら山火事まっしぐらである。

「じゃあ一体何で燃えるんだ?」

「以前私も不思議に思いまして兎さんに聞いたことがあるんですが、どうやら急ぎ過ぎが原因のようです」

「どういうこと?」

「空気との摩擦で燃えるんじゃないかと」

 いやまさか。

「そういえば、狸さんはよく走ってるよね」

「私自身としては特に急いでいるつもりはないんですが、少しでも早く仕事を終えれば次の仕事ができますからね」

 社畜の才能に溢れる狸である。

「走ったくらいで火が点くって、随分と危ない薪ですな」

 タニシは唖然とする。

「兎さんの話によれば、ここらの木々はカチカチ山から植林してきたって話で、極めて燃えやすい特性があるとか何とか。お陰で薪としては使いやすいという話です」

「へー……」

「あぁそうです。半分くらい燃えちゃったんで、また拾ってこないと。残ってる分はやっちゃんに上げるからね」

「いつもすいませんです」

「いやいや、お互い様だよ。じゃあ、ごちそうさま」

 具なし味噌汁を一気に喉へと流し込み、狸はすっくと立ちあがって木負子(きおいこ)を背負うとペコペコ頭を下げながらボロ屋を後にした。

「何というか、気が優しいというか、やたらと腰の低い狸だな」

「狸さんはイイ人なので」

「やはり父親が悪党だった分、しっかりしないと周囲も認めてはくれんということか」

「何の話?」

 座敷童子は小首を傾げる。

「いやだから、あの狸の父親が性悪だから、ああなっちゃったという話をしているんだが?」

「あの狸さん、お父さんにそっくりだけど」

「え、マジか?」

 タニシの貝殻は大きく傾いた。

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