第14話 王子様に花びらを

 アリスは、右を見て、左を見て、もう一回右を見て道路を渡る猫になったが、ラドはまだ仔猫と言っていい歳で、車の恐さを知らなかった。


 ある日私が学校から帰宅すると、家の前の路上に寝そべり、尻尾をピコピコと動かしているラドが見えた。


「ラド。危ないよー」


 言葉とは裏腹に、その可愛い姿に顔が笑ってしまう。

 私は自転車から降りて、ラドを見下ろした。


「ラド? ラド!?」


 笑顔が急速に冷えていくのを感じた。

 寝そべっているんじゃない。これは、倒れてるんだ。

 尻尾は、苦しくてバタバタ動かしてるんだ。

 赤く染まったアスファルトを見て、私は咄嗟にこれ以上ラドを危険に晒さないよう、自転車を道路に対し直角に停めた。

 病院に連れて行かなきゃ……!

 その一心で、タクシーに電話をかける。

 そしてバスタオルにラドを包み、タクシーを待った。


「ラド……ラド」


 待っている間にもラドが苦しんでいるのが分かって、私は号泣していた。

 やがて来たタクシーの運転手さんに、しゃがんでラドを抱いたまま何とか顔を上げて、声を張り上げる。


「猫、猫、乗せても良いですか!?」


 幸いタクシーの運転手さんは一瞥で状況を理解したようで、快く乗せてくれた。

 キャリーバッグは特に要らないと思っていたが、こういう時にキャリーバッグがあれば良かったと思った。

 最寄りの動物病院まで乗せて貰って、お金を持っていない私に「後で良い、早く行きな!」と親身になってくれた運転手さんの事は忘れない。


 診察結果は、『処置なし』だった。

 上顎が割れていて、治療のしようがないという。


「楽にしてあげましょう」


 いわゆる、『安楽死』の宣告だった。

 でも、最終判断は飼い主に委ねられている。

 高校生で、大切な家族を『安楽死』させるという決断が迫られたのだ。


「どっ、どうしようもない、んですか?」


 涙と鼻水でグシャグシャの顔で、私はラドの命を救う可能性を模索した。

 でも、返事は変わらなかった。

 父も母もいない。 

 私は一人で、『安楽死』に同意した。

 診察室から廊下に出され、安楽死の注射が打たれたようだったが、もう一度呼ばれるまでが、とてつもなく長く感じられた。

 

 家に帰る時には、ラドは魂一つ分しぼんで小さくなって、段ボールに入れられていた。

 もう尻尾は、苦しんでいない。それだけが救いだった。

 庭から花を摘んできて、段ボールの中に敷き詰めた。


 家の前の血溜まりを綺麗にしようと泣き腫らした目で外に出ると、何故か少し離れた公園の入り口に、子供たちが鈴なりに座ってこちらを見ていた。

 血溜まりは、人為的にとりどりの花びらが千切ってあって、見えなくなっていた。

 今思えば、その花びらは子供たちがやってくれたのだろう。

 でもその時は、誰とも話す気になれず、まるで追い払うように子供たちを睨めつけて、何も言わずに家に戻った。


 ほとんど後悔というものをした事がない私だったが、これは後悔している事の一つだ。

 きっと子供たちは私より先にラドを見付けて、どうしたものかと小さな頭を悩ませていたのだろう。

 そして、ラドがどうなったか、聞きたがっていたに違いないのだ。


「お花ありがとう。ラドは、苦しまずに天国に行ったよ」


 そう言ってあげられたら、良かったのに。

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