第11話 いなくなったアリス

 ある日、父がガックリと肩を落として帰ってきた。

 話を聞くと、家の前の通りでアリスが車にぶつかるのを見たという。

 家があるのは角地でカーブがあり、抜け道として交通量も結構多い道だった。

 アリスは車にぶつかった後、凄い勢いで何処かに逃げたらしい。


 家族でしばらく探したが、無情にもその日は暮れ、何日もアリスは帰ってこなかった。

 私にとっては子供が行方不明になったような気持ちだが、警察に届ける訳にもいかない。

 でも姿が見えないだけで、お星様になったと決まった訳ではない、と不思議と自信があって、ただ黙って帰りを待っていた。

 だから泣かなかったし、心配だったが悲しくはなかった。

 学校から帰ったらすぐにアリスの事を確かめ、何も手につかずに五日が経った。


 屋根裏部屋に通じる部屋に居を構える祖母が、珍しく大きな声を出したのはその時だ。


「アリス!」


 その声に、みんなが祖母の部屋に集まった。

 祖母の腕の中には、やや薄汚れたアリスが収まっていた。

 祖母によると、屋根裏部屋からひょっこり下りてきたという。

 動物、特に猫は、怪我を負うと食を絶ってまで、ひとところにジッと丸まって自然治癒しようとする性質がある。

 今回のアリスが、まさにそうだったのだろう。


 車にぶつかった後、密かに家に戻って屋根裏部屋に上がり、ジッと傷を治していたと思われる。

 病院に連れていったら、後ろ脚が脱臼しているが、筋肉で固まりつつあるという事だった。

 凄い。本当に自力で治したんだ。

 安心して、私はその時初めて泣いた。

 嬉し涙を流したのは、人生で初めてだった。


 その後もまれにアリスは姿を隠したが、たいてい怪我をほぼ自力で治して帰ってきた。

 一番気の毒だったのは、寄ってたかってカラスにつつかれた時だ。

 黒いので標的にされやすいらしく、つつかれた部分の毛が抜けポツンと肉に穴が開いた状態で帰ってくるので、慌てて車に乗せて動物病院に連れて行った。

 ケージは持っていなかったので、バスタオルで包んで抱くと、不安なのかにゃあにゃあと哀れっぽく鳴いていた。

 

「右見て、左見て、もう一回右見てから道路渡るんだよ!」


 幼稚園児に聞かせるような言葉だが、それが出かけていくアリスにかける母の決まり文句になった。

 必然か偶然か、アリスは右を見て、左を見て、もう一回右を見てから道路を渡る猫になった。

 どこまで人の言葉を理解しているのか……ひょっとしたら、全部分かってて知らないフリを決め込んでいるんじゃないかと疑うようになったものだった。

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